第2話

さて、ここで話を戻して慶長5年の関ヶ原の戦いの話に戻る。

家康は会津征伐を終えた後、上洛し征夷大将軍に就任すると、すぐさま全国の大名に対して官位を与えていった。その中には当然のように豊臣家も含まれている。

まず最初に与えられたのは正五位上左近衛将監であり、これは事実上の従四位下に相当する位階だった。

そして、続いて従二位権大納言に任じられる。

さらに続けて正二位内大臣に昇進し、中納言に任官された。これは当時の最高位である。

この異例の昇進の裏には、やはり豊臣家と徳川家との繋がりの強さがあった。

家康は征夷大将軍就任後、諸大名に対し官位を与えるにあたって、豊臣家の処遇について言及する。

『もし今後、再び乱が起きた際、豊臣家を存続させるか否か』

これに対して諸大名の反応は様々であったが、特に目立った反応を示した大名は加藤清正・福島正則・浅野幸長の三名。

この三人は、かつて大坂冬の陣と夏の陣において共に戦った戦友たちであった。そのことからも、彼らの心情は察することができるだろう。

彼らは家康に、

「我等が再び乱を起こすことはありませぬ。乱世を終わらせるために徳川様の下で戦うことを誓いましょう」

と答えた。これに家康は満足気に微笑むと、

「うむ。では、そなたらの忠義に応えるべく、今後も徳川に尽くしてくれ」

と言った。そして、三名は同時に平伏すると、

「ははっ」

と返事をした。こうして、家康は諸大名に対する面子を保って、朝廷からも認められた形で豊臣家の存続を許した。

一方、石田三成らは官位こそ与えられなかったものの、九州の大名たちは所領を没収されてしまう。これにより、多くの家臣を失ったことで、彼らにはもう天下を狙う気力は残されていなかった。

こうして、慶長7年1月6日

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女城主茜 @Tsubaki525525

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