女城主茜

第1話

 大崎城の女城主であり大崎義直の娘でもある大崎茜。戦の最中、鉄砲隊の残党による不意打ちの銃弾を背中に受け、胸にも銃弾を受け朱い鮮血が飛び散るがそれでもめげずに立ち向かう姿はまさに女城主。


 そして、同じく義姫の側にいた家老である最上義康も、主君義光の無念と悲壮な最期を見届ける。

「父上……!お許し下さい!」

「……義康よ」

「……はい」

「お前は……お前だけは生きてくれ……。お前まで死ねば、我が伊達家はどうなる?」

「御意……!」

「ならば、生きてこの乱世を生き延びろ!それが私の願いだ……」

 そう言って、義光は自らの手で腹を切る。義康はそれを見届けた後、自害する。

 そんな二人を見て、伊達政宗と片倉小十郎は涙を流す。

「父上……!!」

「兄者……!」

「小十郎……政宗様のこと頼んだぞ」

「はい……必ずや……!」

 こうして、伊達家の内乱は幕を閉じた。

 そして、乱世の終わりを告げるかのように、天下分け目の関ヶ原の戦いが起きる


ーー 時は流れて慶長5年9月15日(1600年10月21日)―――

徳川家康率いる東軍が石田三成らの西軍を破り、江戸への凱旋を果たしていた。これにより、家康は征夷大将軍に就任し、名実ともに日の本の支配者となった。

しかし、家康の悲願はこれだけではなかった。


それは"日本統一"である。

徳川幕府成立後も諸大名同士の争いはなくならず、むしろ激化していた。そこで、家康はある決断をする。

それは、諸大名に官位を与えることだった。

徳川家康は征夷大将軍就任と同時に従三位参議兼右近衛大将となり、朝廷から正三位大納言に任じられ、左大臣・右大臣に次ぐ三位の地位を与えられた。

これによって、諸大名には従五位下以上の官位が与えられ、また将軍からの偏諱を受けたり、大名として叙任されたりする者も少なくなかった。

その筆頭格とも言える存在がいた。

その名は豊臣秀頼(とよとみ ひでより)。

淀殿との間にできた次男で、後の太閤秀吉の養子となった豊臣秀長の子である。

秀長は関ヶ原合戦の前に病死しており、秀次事件によって高野山へ追放されるも後に切腹した千姫の子ではない。

実は、秀長は亡くなる前に自身の嫡男を密かに大坂城へ呼び寄せており、その際に産まれた子こそが秀頼であったのだ。つまり、秀次は秀長の子ではなく秀次の実子ということになる。

秀長は秀次に自分の娘との息子を託したが、その後すぐに病により他界してしまう。

だが、秀次の妻は秀次の娘であるため、秀頼の母親となる人物は他にいない。

よって、秀頼の母は千姫になるのだが、千姫は家康の孫にあたるので、千姫は家康にとって姪ということになり、千姫の母・大政所は千姫とは従兄弟同士ということにもなる。

さらに言えば、豊臣家は元々は織田家の家臣であり、信長の妹が嫁いでいる関係でもあった。そのため、秀頼は家康にとっては甥でもあり、千姫は秀頼にとっても叔母にあたることになる。

つまり、二人は叔父と甥の間柄でもあるわけだ。

そして、この事実を知る秀頼本人も知らなかったのである。

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