第6話
「悪夢でも見た?」
ぼうっとしている羽紅に真斗は笑いながら聞く。あの羽紅が呆けているのは珍しく、笑いが止まらない。
「ああ、まあね。課題が終わったと思ってたのに最終日に課題が残ってたっていう悪夢」
「うわあ、それ正夢になりそうで怖すぎ。まあ、羽紅はもちろんそんなことなさそうだけど」
「そういう真斗は終わったの?」
「俺? 俺はもちろん最終日にやる派だから。思いっきり遊んでるところだよ」
ガッツポーズをした真斗に、羽紅は笑った。
それでもため息を吐いた羽紅に何か様子がおかしいと感じた真斗は心配そうにその顔を覗き込む。
「僕は、一体誰なんだろう」
「え?」
「ああ、いや、何でもない。独り言」
高校生が公園のブランコで遊んでいるのもなかなかに謎な光景だ。こんな真夏日に外に出てるのもおかしな話だが。
昔も、こうやって夏には公園に出ていたのだろうか。
「僕、そろそろ帰るね。買い物とか行かなきゃだし」
「え、ああ。気をつけて。俺はコンビニ寄ってくから」
羽紅はブランコから立ち上がって歩き出した。そんな羽紅の背中を見て真斗は口を開いた。
「君は君だよ」
「ん? なんか言った?」
「ううん。何も。独り言」
振り返った羽紅に真斗は歯を見せて笑った。羽紅は首を傾げたが、そのまま向き直って歩き出した。
「嘘を吐く必要、もうないんだよ。羽琉」
◇◆◇◆◇◆◇◆
夜。ご飯も食べ終わり、風呂も入ってベッドでゴロゴロとしていた頃。インターホンが鳴り響いた。
「もう寝るとこだった? ごめん、ちょっとやっぱり話がしたくってさ。そこの公園までいいかな」
そこにいたのは真斗だった。羽紅は頷いて鍵だけ閉めて公園まで二人一緒に歩いた。
昼もいたブランコに座って星の見える空を見上げる。
「それで、話って何?」
「そう急かさないでよ。俺だって、ずっと話そうか迷って、やっと話すって決めたんだから」
真斗は目を閉じながらそう言う。羽紅も不安な気持ちを掻き立てられながら空を見た。
あの日も、よく晴れてよく星が見えた日だったと思いながら。
「そういえば明日、誕生日だね。おめでとう」
「覚えてるの?」
「うん。忘れないよ。君の誕生日だけはね」
「どういう──」
真斗は嬉しそうに、それでいて悲しそうに微笑むとブランコをこぎ出した。風がなびいて夜の涼しさを呼び起こす。
「羽紅は、俺をどれくらい覚えていた? 正直で良いよ。覚えてなかったら覚えてないと言って」
「何言って。僕は君を忘れてないよ」
「嘘」
真斗は羽紅の言葉を遮って言った。羽紅も動揺していたわけではなかった。淡々と、呟いた言葉だった。
「灰田真斗は、天崎羽紅と初めて会ったから」
「は?」
真斗はブランコが前後に揺れ動かすのを止めずに言った。羽紅は目を見開いている。
あの時、幼馴染と言ったのは。混乱して今は何も考えられなかった。
「これを言ってしまえば、もう君とは一緒にはいられない気がして言えなかった。俺は、君みたいに上手く嘘はつけないみたいだ」
「ど、どういうこと? ちゃんと、説明してくれなきゃ」
「天崎羽紅は死んだ。でも、羽紅は生き返った。その代わり、天崎羽琉が死んだ。そうでしょ?」
羽紅は息を呑んだ。羽紅が死んだことは、 自分と両親や医師などしか知らないはずだ。なぜそれを、近所に住んでもいなかった真斗が知っているのだろうか。
おばさんが言ったのか。でも、おばさんもその時。
灰田真斗は、本当に前にあの家に住んでいただろうか。
「一緒に学校に行ってみたかった。一緒に遊びたかった。君と、一緒にいたかった。だから僕も嘘を吐いちゃった」
真斗はブランコをゆっくりと止め、深く息を吸った。そして羽紅の驚いている顔を見つめて微笑んだ。
「今まで嘘をついててごめん、羽琉。お母さんとお父さんを亡くして、独りにさせてごめん。今更僕が帰ってきたって君は腹が立つだけかもしれない。僕は、最悪だ」
その言葉に羽紅、羽琉は目を見開いた。目の前にいるのは天崎羽紅だ。自分は、天崎羽琉。
「は、な、意味分かんな、死んだはずだ。だから親も死んだんだ。何デタラメ言って」
「そういうことにしておいてって言ったんだ。先生にこっそりね。僕が死んだことになったらきっと二人は羽琉を見てくれるだろうって、思っちゃったんだ。でも僕の間違いだった」
羽紅は俯いて言った。
夢でも見ているのだろうと思った。きっとあの時寝て、これは夢なのだと。だって羽紅が生きているわけがないのだ。そこに仏壇もあるし、遺影だって。
そういえば葬式はしただろうか。両親のやつをした覚えはある。祖父母が付き添って外に出ていくのを力づくで止められたから。
でも、天崎羽紅の葬式をした覚えがない。
「結構大掛かりなことをしちゃったんだ。灰田家に一時的にお世話にさせてもらって。おばさんには迷惑かけちゃったよ」
「じゃあ、俺は、今まで何のために」
羽琉は立ち上がって隣に座っていた羽琉の襟を掴んだ。
「余計なことばっかしやがって。昔っから、俺はお前が大嫌いなんだよ」
「うん。知ってる」
「あの時、本当に死んでれば……!」
「うん。ごめんね」
「そういうところが、嫌いなんだ!」
羽琉は羽紅を突き飛ばした。羽紅は地面に倒れ込んだ。
「僕のせいで両親も死んだ。僕のせいで、弟が死んだ。僕は、どうしたら許されるかな」
「許される? 許されるわけないだろ。お前のせいで、俺が今までどんな……っ」
羽琉は歯を食いしばって手を握りしめた。それでもあの時収められた涙は溢れ出てしまう。
そんな羽琉の涙を拭うように羽紅は寄り添う。
「最近は喧嘩、してないよね。怪我はしてないよね」
「うるっせぇ。触んじゃねぇよ」
「ははっ。嫌なら退けてしまえばいいのに」
羽紅はポケットから紐を取り出した。羽琉はそれに見覚えがあった。あの時、羽紅が誕生日プレゼントとして渡したミサンガだ。二つにちぎれたまんまだ。
「それ……」
「まだ持ってるの、おかしい?」
「気色悪い」
断言した羽琉に羽紅は笑う。
「もう大きくなったから足にも手にもつけられないだろうね。指にでもつけちゃう?」
「キモい」
「……お母さんとお父さんはね、あの時すっごい怒ってた」
「だろうな」
皮肉ったように笑った羽琉を見て羽紅は首を横に振った。
「違うよ。自分たちにだよ。だから気に病んじゃったんだ。僕が搬送された後も頭を抱えてた。自分たちのせいだってずっと言ってた。先生あたふたしてたよ。僕も体調悪くなるし、両親は鬱っぽくなってるし、弟は家を飛び出したって言うし」
「でも、俺がお前のフリをした時、あいつらは喜んだんだ。結局、認めなかったけど」
羽琉は呟くように言った。羽紅は頷く。
それは当然だ。いくら愛する息子が一人死んだとして、この世に残っている息子でさえも死んでしまえば、認めやしないだろう。
だって、天崎羽琉はこの世で一人なのだから。両親の息子の一人で、愛する息子の一人なのだから。
「あいつらが死んだのはお前が死んだって言われたから一年後の夏だった。二日とも冷たい雨が降ってて、寒かった」
「あの時、側にいてやれなくてごめん」
「いい。お前なんかが側にいたら吐き気するから」
軽く羽紅は笑い、それからしばらく沈黙が流れた。
「最悪の誕生日になっちゃったね、ごめん。お誕生日おめでとう」
「嬉しくない」
羽琉はそっぽを向くと歩き出してしまった。羽紅は慌てながら羽琉の後を追いかける。あの時も、こうやって追いかける。
いつか、羽琉が両親に酷い言葉を言って羽紅が追いかけた日のことを。その日も同じようにこの公園のブランコに座った。
初めて、一緒に帰った日だった。
「……病気は?」
「完治したよ。だから運動できてるでしょ。陸上部、入れたじゃないか」
「そっか」
羽琉は羽紅と目を合わせることなく歩き続ける。
羽琉も内心の気持ちを悟らせないように必死だった。本当は嬉しかった。安心した。まだ、謝れてなかった。色んなことを。
いつか会えたらなんて思いながら、怒りを覚えて。嘘を重ねながら。結局、嘘が真実になることはないのだ。
「これからどうする気?」
「うーん。これはおばさんとも話途中なんだよね。どうして欲しい?」
「どっか行って欲しい」
「そう。じゃあ大学まで一緒のとこ行ってやるよ」
「はぁ? 話聞いてねぇだろ」
「ちゃんと聞いてたよ。嘘下手さん」
羽琉は顔を真っ赤にさせて、苛立ったように歩く。
二人の家の前に着き、羽琉は立ち止まった。
「明日、空いてる?」
「え? 空いてるけど」
「ん。じゃあ七時に金とスマホだけ持ってここいろよな。じゃ」
羽琉はそう言うと、羽紅の答えを聞かずに家の中に入っていった。羽紅はしばらく立ち止まって目をぱちくりさせていたが、微笑んで言った。
「もちろん」
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