第5話
嘘は一度吐いてしまえば、もう後戻りはできない。口からすぐに出てくる言葉が、一生首にまとわりつく鎖となる。
嘘とは誰でも自分にかけられる呪いなのだ。
羽紅は部屋の窓から外を見ていた。
近くにある木が風で揺れているのを見るに、今日は風が吹いているのだろう。窓を開けて見るのも良いだろうが、夏の風は命取りだ。その湿度と熱気を含んだ熱風は当たっただけで死を感じる。
窓を開けるのは断念し、朝から夜までつけっぱなしのエアコンのリモコンを手に取る。
電気代なんて気にしている場合ではない。今年の夏、節電を考えてケチっていたら確実に死ぬやつなのだから。
しかし、二十四度に設定されたエアコンからは冬の寒さを感じさせられた。
「さすがに、二十四度は寒いか」
羽紅はエアコンの設定温度を一度上げた。
まだ途中の課題のテキストを一旦閉じてベッドにダイブする。ひんやりと冷えた布団が最高に気持ちいい。
ふと、目に入った卓上カレンダーを見つめる。昨日から八月になったため、また新しい絵柄が見れる。
柄にもなく買ったパンダイラストのカレンダー。仕方ないのだ。これだけが、五十円引きで売っていたのだから。
そんな新しいカレンダーのある日付に雑に赤マーカーで丸をつけられていた。紛れもない、羽紅自身でカレンダーを買った日につけたものだ。
羽紅は一種の習慣になっていた。この日を忘れてはいけない、と。
八月四日。事件が起こった日。
◇◆◇◆◇◆◇◆
とある都内の一軒家。四人家族が住んでいた。
一般企業に勤める男と近所の病院の事務をしている女の夫婦。その間に生まれた双子の男の子。
彼らはよくいる、ごく普通の家族だった。
長男は幼い頃から優秀だった。頭も良く、優しく。周りから好かれる子だ。
しかし、運動をまともにすることができない体だった。体が弱く、散歩程度しかできなかった。
次男は長男とは違って問題児だった。勉強を嫌い、両親を嫌い。自分よりも歳が上の子に喧嘩を売って暴れて帰ってきたり。
家族だけでなく、近所の人からもよく怒られていた。
そんな二人の相性は最悪だった。長男は嫌ってはいなかった。どうにかして仲良くして、せめて他人に迷惑をかけることのないようにしようとしていた。しかし、そのお節介が次男にとっては鬱陶しかった。
顔も性格も何もかもが異なる双子は、一生噛み合うことのない歯車だった。
二人の六歳の誕生日を迎えた日。いつものように長男は机で勉強をし、次男は近くの河川敷で喧嘩をしていた。
両親は実を言うと長男の方を贔屓にしていた。何を言っても言うことを聞いてくれない次男を気にすることを、諦めかけていたのだ。
それでも次男にとっては唯一の親だ。誕生日は平等に祝うことを決めていた。
それなのに。
「ふざけんなよ! どうしてこいつは何個もプレゼントが。こいつが病気だから? 俺が悪い子だから?」
次男は受け取った小さな箱を床に投げつけた。両親は慌てて次男の元に駆け寄る。
長男には大きな箱と小さな箱が二つ用意されて、それを楽しそうに開けている。
格差を見せつけられたようで、堪らなく悔しくなったのだ。
「ごめんなさい。あなた、だって欲しい物を話してくれないから、私何が欲しいのか分からなくて。それに、お兄ちゃんは病気でいつも欲しい物買ってあげられないから、分かってちょうだい」
「そうだぞ。お前はお出かけに付き合ってくれたら欲しい物買ってやってるじゃないか。弟だって我慢も大切で」
次男は溢れ出る涙を堪えようと歯を強く食いしばり、拳を握る。
そんな三人に近づいたのは長男だった。長男は先程とは違う小さな箱を次男にあげた。
次男はその箱を恐る恐る開ける。そこには手作りのミサンガが入っていた。緑色と青色と赤色。決して綺麗な色の組み合わせではないのは次男の好きな色だけを組み合わせているからだ。
「これ、あまり上手くできなかったけど、僕が作ったんだ。君はよく喧嘩してボロボロになって帰ってくるから。ちゃんと毎日家に帰ってこれますようにって。いつも迷惑かけちゃってごめん。君が僕のこと嫌いなのは知ってるよ。でも、僕は君のこと──」
「……いらない。こんなもの、いらねぇよ! お前なんか、とっとと死んじまえばいいんだ!」
次男はそのミサンガを手で引きちぎると家を飛び出した。その時の長男の顔を、次男はちゃんと見れなかった。
家を飛び出した次男は、喧嘩仲間の家に上がり込んでいた。友達とはいえないが、仲間。
その子の両親も渋々承諾してくれ、一晩泊まることになった。
「お前、まじかよ。兄ちゃん、病気なんだろ? その言葉が一番心にくるよ」
一通りの話をした後、その仲間はぽつりと呟いた。
「でも、あいつ憎ったらしいんだよ。病気ってだけで特別扱い。だったら俺も病気になりたかった」
「まあ、そう思っちまうのも仕方ないけどね。明日、家帰ったら兄ちゃんに謝れよ。二度と謝れなくなったら嫌だろ? 早く謝った方が賢いと思うぜー」
次男は俯いた。用意された敷布団に寝転がり、電気の消えた天井を見つめる。
今まで誰にも謝ったことはない。赤ん坊の時は謝っていたかもしれない。それでも、自分から謝った記憶は一個もない。
謝るのは恥ずかしかった。誇りを捨てるようで、自分を下にしているようで堪らなく嫌だったのだ。
「謝る、か」
とりあえず今日は寝てしまおうと目を閉じた。
その夜、サイレン音が聞こえたのはどうにも他人事だとは思えなかった。
その日の夜、長男は病気が急に悪化して救急搬送されるも翌日に死亡が確認された。
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