第4話
天崎羽紅の両親は昔に亡くなった。父親は首吊り自殺。母親は衰弱して息を引き取った。
残されたのは、問題児の次男だけだった。
望んでいたことだった。口うるさい人がいなくなって欲しい。嫌いな人がいなくなれば良い。
だが、いざとなって訪れた静寂は壊れかけた心に刃のごとく突き刺さった。
そんな孤独の時間が続き、小学六年生になった日のこと。玄関先から明るい声で名を呼ばれた。友達などいなかった。ふらふらと小学生ながら道を行き、睨まれた相手と喧嘩をする。
こんな風に名を呼ぶ相手など心当たりがなかった。
恐る恐るドアを開けると、見覚えのあるような顔がそこに立っていた。身長は自分より低いが恐らく同級生だろう。
だが、名前も思い出せない。ああ、もしかしたら幼い頃自分が遊んでいた──。
「久しぶり! 覚えてるー? 昔さ、隣の家住んでたんだけど親の都合でおばあちゃん家に越してさ。親が戻ってきたから今日からまたここに住むんだ。また一緒に遊ぼうな!」
歯を見せて笑った少年はそれだけ言って右の一軒家へ帰っていった。
その時、なぜか心は快楽で満ちていた。ああ、やっと嘘が真になれたのだと。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「……そうだ。お前は死んだんだよ、
かつて使っていた部屋は掃除されているからか澄んだ匂いがするが、一つ一つの道具からさびれた匂いがした。
道具から自分に何かを語りかけられているようで羽紅は急いでその部屋から出た。
「道具が寂しそうなんて、馬鹿みたいだ」
羽紅はシンプルな勉強机に参考書とノートを置いて、安物のシャーペンの芯を出してその白い紙を黒で埋めていく。
ふと、思った。なぜ自分はこんなことをしているのだろうと。なぜ、こんなことを始めたのだろうか。
最初は自分が認められたかった。一度でも良い。肯定して欲しかった。
初めて、すごいとその三文字が心に染み込んだ時。とてつもない幸福を得た。どれだけ強い相手に勝ったとしても得られなかったものを、手に入れたのだ。
もっと頑張ろうと思った。そうすれば、きっと自分自身をも認めてくれそうで。
しかし、それは叶わなかった。結局自分じゃだめだったのだ。その人じゃなきゃ。
だから決めた。心に誓った。
俺は死ぬ。
そんなどうでも良いことを考えている内に、夏休みの課題であった数学のテキストは終わった。
簡単だった。今、羽紅が抱えている謎を解くより遥かに簡単で。
答えが用意されてあることの安心感。なぜ、世の中の出来事には答案がないのだろう。
それで、自分はこうも十年も悩まされているというのに。
お昼時になったため、一階に下りて冷蔵庫を見る。
「買い物行かなきゃ。とりあえず昼はスープパスタ作っとこう」
棚からパスタを出し、二百グラムのパスタを沸騰したお湯の中に入れる。
最近、二人前は食べないと気が済まなくなってきたのも悩みである。食費が大変なことになってしまうからだ。しかし成長期。食べねばいけないのだからしょうがない。
鶏肉を焼き、そこにほうれん草を入れる。火が通ったら牛乳を加え、塩コショウで味付けをする。隠し味程度にチーズも入れたらスープは完成だ。
茹で上がったパスタをスープと絡め、洗うのも面倒なため、机に鍋敷きを敷いてその上にフライパンを置く。
羽紅は、比較的少ない材料で美味しくできるパスタは万能だと思った。
消え入る声で、そっと羽紅は呟いた。
「まだ、苦手だ」
◇◆◇◆◇◆◇◆
真斗は正直者だ。嘘が苦手だ。それでも隣に住む嘘吐きと仲良くするのはある理由があった。
幼馴染だから、でもない。例え幼馴染であろうと嘘を吐くやつは嫌いだ。
でも、羽紅だけは違う。あれは、自分を守るための嘘。自分を守るための嘘だと真斗は知っていた。
皆はよく騙される。あんな分かりやすい嘘なのに、すぐ騙されて人間不信にでもなっちゃって。
すぐ、嘘だって分かる。
だってこの羽紅は、何かが絶対的に違うのだから。
「まあ、それも俺にしか分からないよね。無理して嫌いな物食べてさ。俺は知ってるよ。お前が無理してそのアイス食べてたこと。忘れるわけないよ。あの日、初めて君が僕に買ってきてくれたから」
真斗は手に持っていた安いシャーペンをくるくると回す。
とっくに、大量にある課題は終わっていた。
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