第七章 綺麗な花には棘がある ⑨
戦闘を終えて、風花は制服についた土埃を払う。しかし、付着した返り血は払っても取れはしない。「うえぇっ、最悪~」などと心底嫌そうに声を漏らしながら顔を歪ませている。
それを横目に魁斗は先ほど投げた自分のスクールコートを地面から持ち上げた。服全体がべちょべちょになっており、最悪な状態になっていた。とても着れたものじゃない。水を払うようにしてスクールコートをばっさばっさと振ると片手に抱える。
冷たっ……まあ、しょうがない……。
そして、風花の方に改めて向き直すと、
「それで、どういうこと?」
尋ねる。
こんな状況だというのに、まるで風花には恐怖を感じない。
なぜ? と自分に問いたいが、とりあえず事態を把握するために、その疑問は一旦凍結。まずは情報収集からだ。
風花をじっと眺めるも風花はマイペースにスマホを取り出し、「事後処理をお願いするからちょっと待ってて」と少し離れていく。どこかに電話を掛け始めている。
情報を聞きだしたかったのだが、言われるまましばらく待機。
待っている間に少し思考にふけることにした。
風花ちゃんの目的がまるでわからない……。暴力団を雇っておれを始末しようとしていたのだろうか? それにしたって中途半端な戦力だった。暴力団の下部組織か、あるいは半グレ集団か、連中は拳銃こそ持っていたけど、自分の命が奪われるリスクが迫ると、震えてまともに動くことすらできていなかった。戦闘に慣れているようには到底思えない。それに、あんな奴らを雇う必要がないほどに、風花ちゃんの方が何十倍も強かった……。おれを殺す目的であるならば、最近一緒に過ごしてきた中で、チャンスなんていくらでもあったはず……。
疑問が疑問を呼ぶ思考を続けていると、風花が戻ってきた。
「それで、なんの話だったっけ?」
「……風花ちゃんは、なにが目的だったの?」
疑問を晴らすべく質問を口にする。
風花は、うーんと口許に手を当てると、瞳を光らせながら魁斗の顔を覗き込んでくる。
「知りたい?」
妖しい笑み。そして、紅く輝くリップが上下に開いた。その唇に目が吸い込まれそうになるが、魁斗は肯首。
「いいよ」
あっさりと風花がそう言った。
いいのか……。
風花の目を見る。上目遣いで、明らかに自分のことを見ているはずなのに、見ていないような感覚がある。しかし、見つめ返すとその瞳に呼ばれそうな気がしてならない。たまらず目を逸らす。
なんだろう……? 底が読めないというよりも、この子……よくわからない。
もう一度風花を見ようとすると、頭の中がグルグルと渦巻いていく。
意識のモヤが生じているような、どうもすっきりとしない感覚。
なんなんだ、これ? 自分のことも、よくわからない……。なんだか、現実味がない。
目を瞬かせていると、風花が周りを見渡しながら言う。
「でもさ、ちょっとここじゃあ……ほら」
手を広げて魁斗に景色を見せるように促す。たくさんの人が血を流して死んでいる壮絶な光景。
「とりあえず場所を変えよっか」
そう言うと風花は地面に落としたスクールバックを拾って駐車場を出ていく。従うように、魁斗はあとを追った。
※※※
しばらく前を歩く風花に続いて歩いていると、魁斗はあることに気がついた。
今、気づいたのだが風花はまったくと言っていいほど足音を立てないで歩いている。
脳内で累を思い出す。
累もたしか、こんなふうにあまり足音を立てずに歩く。気づいたときには居なくなっていることが多いし。もしかして風花ちゃんも、忍び……だったりして?
こんな時に似つかわしくない思考が巡ってきた。
試しに魁斗も足音を消すように歩いてみた。が、けっこう難しい。
長年の経験が必要みたいだな、これは……。
距離が離れて置いて行かれそうになったため、すぐにやめた。風花の背中を見つめながらいつも通りの歩行であとを追う。
風花ちゃんは……でも、忍びにしてはかなり気さくだ。忍びと言えば……
今度は
まあ、でも……平気で人を殺していたけど……。
だから、無邪気なんて言葉が当てはまるわけが無い。
おれの目が狂ってんのかな……。
強く瞬きを繰り返し、先導する風花のあとを追うも、やはり誰とも行き会わない。
また
怪しさは極まっている。しかし、体はなぜかついて行ってしまう。誘われるように、足は風花に向かって歩いていく。
花の蜜に群がるミツバチ、みたいな感じだな……このまま着いて行ったら命を落とすかな……。
だけど、風花ちゃんになら――と、一瞬頭によぎる。
……いやいや、なんで風花ちゃんにならいいかとか考えてる?
腹をくくりそうになっていた。
周りに目をやると、まばらに立つ街灯でところどころ照らされた道を歩いている。陽は沈んで空は薄暗い。
「あっ! ちょっと待って! 自動販売機があるっ! あたたかい飲み物買おうっと……寒い寒い」
風花は行く先で見つけた自動販売機に手を擦り合わせながら向かい、飲み物を買い求める。硬化を投入し、ボタンを押すとガタンと音が鳴る。どうやらホットの缶入りのカフェオレを買ったみたいだ。
たしかに今日は寒い。雪はいつまで降り続けるつもりだろうか?
空を仰ぎ見れば、結構な量の銀の粉が吹雪いていた。魁斗は肩にかかる雪を払いつつ、地面に目を落とす。徐々に雪の結晶が降り重なってきている。
「寒いけど、ここにしよっか」
風花の声で顔を上げると、たどり着いた先は管理も行き届いていない草木に囲まれた公園。当然ながら周りには誰もいない。風花はベンチの座面の上に降り積もっていた雪を払いのけると、腰掛けようとお尻を下ろしていく。お尻が座面についた瞬間、ビクッ! と勢いよく立ち上がり、
「おしり冷たーいっ!」
叫ぶ。
「……」
見ていると、どうしても強そうには見えない。だけど、先ほどの駐車場での動きは自分よりも遥かに経験を積んでおり強い。
駐車場での惨事が蘇る。
人を大量に殺害していく村雨風花。返り血を浴びながら、変わらず明るい表情で笑っていた。
なのに――と、魁斗は風花を見る。
あんな場面を見たというのに、まるで普通の可愛い女子校生に思えてしまう。
風花は制服のポケットからハンカチを取り出すと、ベンチの上に敷いて、その上にお尻を乗っけた。「あっ、これならだいじょーぶだっ」とか言いながら腰を落ち着かせると、風花が人差し指でトントン、と座面を叩き、隣に座るように示す。
「……」
とりあえず風花の隣に腰がける。
少し尻は冷たいが、男は制服ズボンを履いているから平気だ。
腰を落ち着かせて、周りに目を配る。風花は買ったホットのカフェオレ缶を両手で包み、手を温めている。
どうやら風花は自分と話そうという意思はあるらしい。魁斗はわずかばかり草木から、また待ち伏せを警戒していたのだが、待っても全然出てくる気配がない。杞憂に終わったみたいだ。
風花は白い息を吐きながらカフェオレ缶、そのプルトップを開ける。フタを開けると、カフェオレ缶をこちらに差し出してくる。
「ん、寒いでしょ? 少しあげるよ」
「……」
さすがに疑った。警戒しないほうがおかしい。
風花は、ほんとに好意で差し出しているのだろうか?
魁斗は眉を寄せる。
暴力団らしき人たちの中にアルコールカクテルを提供した奴の顔があった。あのアルコールカクテルは絶対に意図的。もしかしたら、アルコールではないものを混ぜて飲まされ、自分は意識が混濁したのかもしれない。
魁斗は差し出された缶を受け取らず、じーっと疑惑の目で、それを眺めた。
「あー疑ってるなぁ! ひっどーい! 毒なんか入ってないのにっ!」
風花はぶー垂れると、おもむろに自分で飲み始めた。毒物が入っていないことを証明するようにゴクゴクと飲む。
「プハァッ! ほら、どうだぁ! 入ってないでしょ! はいっ、どうぞ!」
風花が再びカフェオレ缶を差し出してくる。
飲め! と言わんばかりに両目をすがめている。
缶の開け口には紅色が付着。風花の紅いリップがついたみたいだ。
「……」
色んな意味で飲むか、少し迷った。
風花が飲んだということは、毒物は入っていない証明は成された。だが、風花と、このままでは間接キスになる。しかしながら、制服の上に来ていたスクールコートは今やびちょびちょで着ようにも着れず、物凄く体は寒い。開け口を拭いて飲もうとするのは相手を意識しまくっているように思われそうだし、この歳でそれはみっともないような気がする。
少し迷うも、いまだ降っている雪のせいで体は凍え、冷え切っている。
魁斗はカフェオレ缶を受け取ると、一口だけ口に含んだ。
横目に風花を見てみると、風花は自分の様子を微笑ましそうに見ている。それがまた、恥ずかしくて目を逸らした。
カフェオレなのに、妙に苦い。でも、温かかった。
「あーっ、間接キッスだぁ」
茶化すように風花が言ってくるも、魁斗は気にしない素振り。
「ん、ありがとう」
一応、お礼は伝えておいて風花にカフェオレ缶を返す。
「いいよー、また飲みたい時には言ってね」
風花は缶を受け取ると体の脇にコトッと置いた。
一息ついて、ようやく本題に入る。
「あたしさぁ……魁斗くんのこと知ってるんだよね。少し前からだけど」
風花は空を見上げ、降ってくる雪を瞳に映しながら話し出す。
「知ってるって……なにを?」
「んーとねぇ」
風花は人差し指を顎に当てると、言葉を継ぐ。
「魁斗くんが皆継家で暮らしていること」
聞いて、魁斗は目を見開く。
なんで……それがバレてる?
そんな問いを脳内で思い浮かべるが、真面目な顔を浮かべた風花にじっと見つめられ、魁斗は思考が鈍麻する。
「魁斗くん……よかったらさ、こっち側に戻ってきなよ」
「こっち、側?」
「うん。あたし……詳しい身分は明かせないんだけどさ、大陸派に属してるの」
「大、陸……」
「うん」
風花が頷く。
大陸派の人間……つまりは、今の自分と敵同士……。
「魁斗くんはさ……もともと大陸派の人間でしょ? 紅月家の者なんだから、あたしたちは仲間なんだよ」
風花がじっとこちらを見ながら、手を取ってくる。明るくて甘美な笑みを浮かばせ、魁斗の耳元にそっと唇を近づけさせる。
――瞬間、どこかそそられるような甘いチューベローズの香りが漂う。
脳にモヤがかかる。
覚醒と半覚醒の間を漂うようなゆらゆらとした感覚に陥る。
「魁斗くん……」
蕩けるような優しい声で、そっと名前を呼ばれた。
「あたしが魁斗くんのことを使ってあげる。ずーっと一緒にいてあげる。協力してくれるのなら、あたしのこと……好きにしてもいいから。ね、嬉しいでしょ? 幸せになれるよ……」
甘い、甘い声だった。
風花の吐息が耳にぶつかる。
息の根が止まりかけた。
思考がまともではなくなっていく。
おれ――風花ちゃんと――幸せになれる――それは――とても――素敵な――こと、で――最高に――いいことだ――だって、さ――あの――風花ちゃんと、だよ――幸せ――幸せに決まってる――
途方もなく甘い感覚。気づけば、ずっと風花を見つめている。理性が彼方に飛んでいきそうだった。
「だからさ、そのまま皆継家に潜り込んで、皆継左喩を――」
次の瞬間、信じられない言葉を風花が呟いた。
「――排除して」
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