第七章 綺麗な花には棘がある ⑧


 先導されて通る道はやはり人通りが少ない。

 ラブホ街を抜け、古いアパートや住宅を越えると、目の前には古びたマンションが見える。ひび割れに汚損、破損が目立ち、おそらくは誰も住んではいない……というか、ほぼ廃墟だ。六階建てのマンションの様式で、一階が駐車場になっているタイプだった。


 黙ってついてきたが、いくらなんでも道から外れすぎている。魁斗はマンションを見上げた顔を下ろすと、前を歩く風花に質問。


「風花ちゃん……なんでこんなところ通るの?」


「ん? ここの駐車場を突っ切れば駅まで近道なんだよ」


 問いかけに対し、風花はまるで普通ごとのように答えた。


「そう、なの?」


 もう一度顔を上げて、マンションを眺める。

 こんな廃墟みたいなところ通りたくないと、心では思うも風花が先に進んでいくため仕方なくあとに続く。


 薄暗い駐車場。

 そこを通りながら、うげっ、と魁斗は顔をしかめる。

 視界には錆びついている丸椅子が無造作に転がっている。首を巡らせると、窓ガラスが砕けた4WDの車が一台あり、車内は赤錆が湧いて真っ赤になっている。掲示板には破れかけの張り紙がしてあるが、日付が何十年も前だ。

 

 いつから廃墟なんだ……ここ……。


 駐車場を通り抜けようと、ちょうど真ん中付近まで足を進めたところだった。コンクリートの床に落ちる自分の伸びた影が一瞬、輪郭を濃くした。反射的に辺りを見渡す。


 建物を支える四隅の柱の陰から、自分ではない人の影が揺れている。

 前を歩く風花は足を止めると、驚いたような様相でスクールバックを地面に落とした。音が鳴り、そちらに目を向けると風花が背中を震わせていた。なにかを見て、恐怖に慄いているようだ。もう一度辺りを見渡すと、すでに大勢に囲まれていた。全員、男。視線を走らせるとだいたい二十人程度はいる。全員がこちらを見て、ニタリと傲慢な笑みを浮かべながら、手には短刀。拳銃を所持している輩も多数。いかにも物々しい風貌。一般人であるはずがない。


 ヤクザ……? ここら一帯を治めている暴力団の関係か?


 エラの張ったごつい顔をしているリーダーらしき人物が歩み寄ってくる。先を歩いていた風花に近づいて、その顔に向けガチャリと拳銃を突き付けた。


「よお」


 たまらず風花が叫ぶ。


「キャァァァーーーーーッ! た、助けてぇ! 魁斗くんっ!」


 風花がこちらに振り返り涙目で助けを求めてくる。魁斗は瞬時に風花を助けようと足に力を込めた。地面を踏んで男との間合いを一気に詰めようと足を踏み込む、その瞬間。


「芝居はもういいだろ、お嬢ちゃん」


 風花に拳銃を突き付けている、ごつい顔の男が言う。


「金はもらったけどよぉ、その少年を襲ったら、もうおれらとはおさらばなんだろ? でもさぁ……それじゃあ全然足りねぇよ」


 男はいやらしい笑みを浮かべると、風花にド迫力の濃ゆい顔を近づける。一度、風花の髪を指でさらって匂いを嗅ぐと、恍惚な表情を浮かべる。品定めをするように目を細めると、風花の周りをぐるぐると回り始めた。


「おれさぁ……お前のこと高く売れると思うんだよねぇ」


 風花の制服に目を落としていく。


「それに……まだ学生だ」


 ニヤつくように口角を上げる。


「女子高生、JK、ブランドもんだ。そして、その美貌……どれだけの値打ちがつくか」


 男が風に揺れる風花の制服スカートに目をやると、ニィと目尻が三日月を描く。


「その前に、ちょっと楽しませてもらおうか」


 再び風花に向け、顔を近づけさせる。瞳がやけにギラついている。向けた銃口はそのままに、反対の自由な手で短いスカートから伸びている風花のきめ細かな太ももを男が舐めるように下から擦っていく。風花は触られてもまるで動じず、覇気のない瞳で視線を明後日の方向に向けていた。


 ……えーっと……なにこれ?


 様子を見ていた魁斗は、突然の事態に混乱。


 どういうこと……?


 もう一度、じっくりと回りを見渡した。人垣にはイブの日にアルコールカクテルを提供したウェイターの顔があった。


 あいつ、この前あの店にいた……。風花ちゃんは、こいつらとグル……? そんで今、裏切られてるの?


 風花は太ももを擦られ続け、さすがに嫌気が刺したのか、不快そうに眉を寄せ始める。男の手がスカートの中に伸びてくる直前に、さらりと躱すと、


「……あーあ、もう最悪。だから、その辺の汚ねぇゴロツキを使うのは嫌だったんだよ。あのケチ野郎……」


 ぼやきながら己の美貌を歪ます。汚い言葉を吐き、傍らにいるごつい男を睨みつける。男は風花に逃れられ、舌打ちをするも、


「ふぁははは、可哀そうになぁ。お前、運が悪かったんだよ。おれたちを雇おうとしたのが。なぁ、お前ら」


 そう言い放つと、回りを取り囲んでいる男たちも交えて高らかに笑い声を上げる。

 風花は短いため息をつくも、「キモッ」と吐き捨てながら、こちらに視線を合わせてくる。頬を緩ませ、ニコッと笑みを浮かべると、瞳を潤ませながら、


「あ、そうだ、魁斗くん。ほんとに助けてくれる? この人たち、あたしのこともどうにかしようとしてるみたい」


 明るい声で言ってくる。


 な、なに言ってるんだ……。


 いまだ理解が追いつかない。

 だが、これだけはわかる。


 風花ちゃんはとにかくおれをめようとしていた。だけど、グルだったこの人達に今、裏切られている最中なんだろう……これって、手を貸した方がいいのか?


 迷うも、結局この暴力団らしき人たちは自分のことも襲ってくるのだろう。戦闘になれば、自分も殺されないように戦わなくてはならない。


 だが、風花は――味方ではない。


 なんだこれ、敵だらけじゃないか……。


 黙ったまま、ぐるぐる思考を続けていると、ごつい男が風花の真正面に立ち、脅すように銃口を眉間に突きつけた。


「お前はいい女だよなぁ……お金もくれてさぁ。そんでもって、今からおれたちを楽しませてくれるんだろぉ。ありがたいねぇ。いっぱい、い~っぱい可愛がってやるよ。たくさん楽しませてもらってたら、いいところに高く売ってやるからなぁ」


 舌を舐めずり、脅すごつい男は喜色を示すように笑う。

 対して風花が浮かべたのは冷笑だった。


「……バッカじゃないの。あーあ、もういいや。キモい」


「あっ?」


 ひゅっと風が吹くようになにかが薙いだ。

 瞬間、銃を突きつけていたごつい男の首から血液が吹き上がる。血は土埃目立つアスファルトの床に飛散。

 風花は、血をまき散らしているごつい男の手から銃を奪い取り、左手に持つ。


 一瞬にして、空気が凍った。

 ごつい男が倒れたのはそのあとだった。もう二度と起き上がらないことを確信させる倒れ方。まるで吊るされていたマリオネットの糸が突然切れたかのように勢いよく倒れた。


「危ないねー、こんなものを可愛い女の子に使おうとするなんて……」


 風花は左手に持った拳銃に一度目を落とすと、銃口を取り囲んでいる男たちに向けて、迷うことなく撃ちだした。そのまま連射。瞬く間に五人の男が撃ち倒され、周りにいた暴力団らしき人たちが慌てて色めき立つ。だが、遅かった。完全に虚をつかれている。


 そして風花は、躊躇ちゅうちょしない。

 撃つことを止めずに約十五発、全弾撃ち尽くす。十数名が一気に倒れ、残るは半数以下になっていた。


 相手は事態の深刻さに気づき、対抗するため急いで銃を構える。しかし、風花は臆することなく相手に近づいていく。撃ち尽くした拳銃を床に放り捨てると、右手を眼前に構えた。その手にはギラリと光る小ぶりのナイフを所持。それを一瞬にして逆手に構え、発砲される寸前に銃身に沿わせてナイフを滑らせ、相手の親指を飛ばす。銃を向けていた男は発砲ができなくなる。風花は攻撃を封じた隙に、近くにいた二人目の膝裏を突き刺す。ガクンと態勢が崩れ落ちていく。それを見越して相手が崩れ落ちるところにナイフを走らせ、そのまま喉から頸動脈までを一気に切り裂いた。血が飛び散り始めたと同時に、親指を飛ばした相手の胸にナイフを突き立て――トス、トス、トス――と、三度は抜き刺しして、命を刈り取る。


 一連の動きが、まるで風のように流れる運びだった。


 胸部にナイフが深く突き刺さったまま暴力団らしき男が倒れる。その背後から、短刀を持った男が風花を狙う。心臓を目掛けて突き刺そうとしている。だが、風花は一歩後ろへ下がりながら、いつのまにか左手に持っていたナイフで相手の両手首を流れるように切った。動脈までもが切り裂かれ、血が勢いよく噴き出し、短刀がアスファルトに落ちていく。短刀がアスファルトにぶつかって音が鳴ると、そのままヒュン、と。喉元を搔っ捌いた。ナイフの刃には血が付着していない。あまりの速さで男は自分の喉が切られたことにも気づいていなかった。ちょうど声帯あたりを切開。「ヒュー、ヒュー……」と空気が漏れる音が鳴る。男がなにかを言おうと口を動かすが声を出すことができないようだ。やがて首から鮮血が溢れる。男は喉元を手で押さえるも、そのまま何も言えずに息絶えた。


 生き残っている暴力団らしき男たちは一斉に銃口を風花へ向けるが、さすがに一気に殺され過ぎて、臆しているようだ。ガタガタと手を震わせている。それを見た風花はどこか挑発するように甘く微笑んだ。


「よぉ~く狙って、あたしの心臓はここ」


 風花はすぐ近くの銃で狙っている男に少しずつ近づきながら、右の親指で自分の左胸辺りをトントン、と指差す。男は呼吸が荒ぶってはいるが両手でしっかりとグリップを握って肘を伸ばし、視線の高さに合わせて拳銃を構えた。


「そうそう、いい構え。ここね、ここ。外さないでよ」


 風花が再び挑発するように己の左胸に手を添える。

 男は右手の人差し指を引き金に掛けて――そして引いた。


 銃口から銃弾が発射される。

 駐車場に銃声が轟いた。発砲した男の位置から風花までの距離はわずか数メートル。とても躱せるような距離ではない。


「――なっ!?」


 銃弾を放った男が驚愕に目を剥いた。銃弾が風花の体に当たらなかったのだ。男が外したわけではない。風花が躱したわけでもない。風花の胸元、その懐からはナイフの刃が光っていた。風花は左胸に添えていた右手を一瞬にして動かし、懐からナイフを取り出したようだった。そのナイフの刃で銃弾を弾いた。


「ざーんねん」


 艶然と笑いながら、風花は右手を相手に差し出すようにスッと伸ばした。そして、持っていたナイフの切っ先は、そのまま発砲した男の左胸に刺さっていく。


「……あっ、あ……ぁ……」


 か細い声を漏らした頃には、ナイフの刃は深々と左胸の奥に仕舞われていた。おそらく心臓まで達している。風花が刺したナイフを引き抜くと、左胸あたりが血に染まっていく。男は自分の左胸を見ると、鮮血が瞳に映り、悲痛に喘いで前のめりに倒れた。


「うぁああああああああああああああああああああああっ!」


 少し離れた位置にいた男はもはや錯乱しており、叫び声を上げながら、引き金を引こうとする。風花がそちらに目をやると、両手を頭上に高く上げて指をパッと開いてみせた。


 途端に叫び声が止んだ。

 風花は、もちろん降参したわけではない。


 距離が離れていた男が白目を剥きながらズルッと後方に倒れていく。ちょうど眉間のど真ん中にナイフが突き刺さっていた。


 ――投擲とうてき


 風花はナイフを、その手から矢のような速さで放ったようだ。


「……弱いね、きみたち。これじゃあ力試しにもならなかったじゃん。雇った意味なかったかも」


 風花が目を細めて笑う。

 そして、ようやくこちらへと顔を向けた。


「魁斗くん」


 名前を呼ぶ声はいつも通りの甘くて明るい色。

 それがあまりにも現在行われている惨事と真逆的過ぎて、魁斗は血液が凍りつくような悪寒に襲われる。


「後ろ危ないよぉ。ほらほら狙われてる」


「え?」


 急いで後ろに振り返った。

 二人、生き残りが居た。仲間たちが一斉に殺され錯乱状態に陥っている。慌てふためいて目が血走っているが、絶対に生き残ってやろうという生への執着が見える。手を震わせながら、こちらに拳銃が向けられていた。


 ヤバいと思い、咄嗟に着ていたスクールコートを剥いで目くらましに投げた。しかし、すぐに振り払われ、ちょうど水たまりが出来ているところにべちょんと落ちる。


 ただ、一瞬の隙ができたため、魁斗はひとりの男の顔面に拳を叩き込むことに成功。もう一人が隣で苦し紛れに発砲してくるも、弾丸は明後日の方向に飛んでいった。再び引き金を引こうとするも、素早く銃身を掴む。スライドが後ろに下がらなくなり引き金が引けなくなった。そのまま拳銃を鷲掴み、捻り上げると、


「ああっ……!」


 拳銃を奪われ、男が絶望した顔を浮かばせる。


「……もう、逃げな」


 男に向かって囁いた。

 この男と同様に自分だって今、思考が錯乱している。


 しかし、目の前の男は魁斗の声すらも耳に届いていないようだ。慌てて懐から短刀を取り出すと、心臓に突き刺そうとしてくる。

 

 だが、魁斗の蹴りの方が圧倒的に速かった。一度重心を後方に沈みこませると、右足を跳ね上げ、男の側頭部を打ちぬく。一発で意識を刈り取られた男は、声ひとつ上げることなく吹っ飛ばされ、4WDの車に激突。フロントガラスを派手に割りながら、そのまま車内に侵入。白目を剥いて完全に気絶した。


 上げた右足を下ろすと、後ろからふわりと薔薇の香りが漂ってくる。


「おお~、やるねぇ魁斗くん」


 気づいたときには、風花が魁斗の肩に顎を乗っけるようにして、にっこりと顔を出していた。


「……っ!」


 魁斗は飛び退くようにして、すぐに風花から下がる。


「そんなに怖がらなくったっていいじゃんかぁ」


 わざとらしく上目遣いで、笑顔を崩さず風花が呟く。

 鼻の粘膜がおかしい。甘い匂いがはなれていかない。

 急に額から汗が噴き出てくる。


「ほんと最悪だよねぇ~。あたしこいつらに裏切られちゃってさぁ~」


 見てればわかった。しかし、そんなことよりも……。


 風花は、たった今、何人も人を殺めておきながら、悪びれもしない様子だった。頭の後ろで両手を組むと、普通に会話を投げかけてくる。


 こんなのはおかしい、と思う。

 風花は笑っている。人を殺したあととは思えない表情だ。

 それなのに、自分の頭がおかしい。


 人が次々と殺されたのに、あまりにもなにも感じなかった。普段来るはずの嫌悪感が込み上がってこない。大きな衝撃が胸には来なかった。それどころか風花が無事でいたことに安堵すらしている。


 人が殺される場面に、慣れてしまった……のか?


 だが、妙にたかぶっている。

 よくわからない上気したような感覚。


 なんだこれ……いや、今はいい。それよりも……


「風花ちゃん、きみは……」


「あー……聞きたいことわかるよ、うん」


 魁斗が聞こうとしていることがわかったみたいに、風花は言葉を遮ると口許をにっこりと綻ばせ、継句を述べた。


「そうだよぉ、魁斗くんと一緒。こっち側の人間裏世界の住人

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