第七章 綺麗な花には棘がある ②
「女の子を突き飛ばすなんてひどくない?」
「ごめんなさい……」
「それに、なにも覚えてないってひどくない?」
「ごめんなさい……」
「それにそれに、女の子にホテル代を全額払わせるってひどくない?」
「ほんとにごめんなさい。近日中に必ず全額お支払いしますので……その、タクシー代も……」
派手目の建物から出ることにはなったが、風花が帰るための電車の終電はもちろんなかった。自ずと風花は徒歩か、タクシーで帰宅することになる。女の子を真夜中に歩いて帰らせるわけにはいかないので選択肢はタクシー一択だ。だが、レストランで一万円を使ってしまったため、財布の中身はスッカラカンだった。
現在、タクシー乗り場で順番を待ちつつ、隣にいる風花にチクチクと咎められていた。艶やかな唇からは大きなため息が漏れる。
風花は不満に満ちた顔で首を横に振ると、
「遊ばれたわけだ……あたしは」
「ち、ちがっ……! そういうわけじゃ……ないんだけど……ほんとに、ごめんなさい」
言い訳を言えるはずもなかった。
遊んでしまったという記憶はないのだが、事実、そういう形になってしまった。
どうしたらいいのか頭を抱える。
責任を取って付き合ってしまえばいいのかもしれないが、今の自分の中では、このまま流れで風花と付き合うという安直な選択肢を選ぶことができなかった。
普通の、正常な世界の子と、もし付き合ったりして、その相手にまで命の危険を背負わせるのはダメだ……それに――
脳裏には、あの二人が映る。
決心できない。どういうわけか、あの二人のことが思い浮かんでしまう。
だが、自分のしでかしてしまったことは、もちろんダメだ。でも、どう償えばいいのかもわからない。謝るしか方法が見つからない。
「……そうやって謝られても辛いだけなんだけど、あたし」
「ごめ……」
謝罪の言葉を言いかけ、止める。
望んではいなかったが風花も傷つけてしまった。
なんで……なんでこんなことに……。
謝ることもできなくなり、目を落としていく。
「……」
そんな魁斗の様子を見て、風花はまた一つため息を落とした。
そうしているうちに、タクシーの順番が来たみたいだった。
風花はタクシーに乗り込もうと、後部座席に片足を乗っける。そして、こちらを見ないまま口を開く。
「とりあえず今日は、魁斗くんもあたしも頭を冷やそう。それで……頭を冷やしてから……また、お話をしよう。その時に、色々と……うん、とりあえずそうしよう」
魁斗は風花の言葉に従って黙って頷いた。申し訳ない気持ちがいっぱいで目を合わせられない。
「うん……その、ほんとに……」
「謝るのはもういいから」
最後にもう一度謝ろうとしたのだが、途中で遮られる。目線を上げると風花はわざとらしく微笑みを浮かべていた。
「また、明日ね」
そう言って後部座席の扉が閉まると、窓越しに愁いを帯びた表情が見える。そして、そのまま風花を乗せたタクシーが遠く離れていく。
置き去りにされたようにただ立ち尽くし、しばらく放心。
思考はいまだぐちゃぐちゃで、脳が上手く機能しない。
空を見上げるとひらひらと小さな雪の切片が寂しげに舞っていた。鼻先にその切片が落ちてくる。
冷たい……。
はあっ、と吐き出した真っ白な息がもやもやといつまでも消えずに顔の前で漂う。
「帰ろう……」
向きを変えて前へ進むと、白い息が揺れて消える。
クリスマス・イブを終えての真夜中、重たい足取りで皆継家へと戻っていった。
※※※
スマホの画面を見れば時刻は丑三つ時。
家に帰るのがかなり遅くなってしまった。
屋敷のどこにも明かりは灯されていない。皆継家の人たちはさすがに寝静まっている頃だろう。
玄関の扉の前で一度立ち止まる。不意に、この家を出た時の記憶が蘇る。
『――その……なるべく早く帰ってきてください……』
家を出る時に左喩が寂しげな顔で自分に伝えてくれた。
迷うように瞳が揺れ、声もいくらかか細かった。いつもよりも弱々しい姿が印象的に映った。
おれ、なにも約束守れてないな……。
長いため息を吐くと玄関の扉を開ける。建物内は真っ暗闇だった。そんな真っ暗闇の中、上がり框に腰を落ち着かせている人影が薄っすらと見える。
え、……幽、霊……?
瞬間的に声も上げられないほどビビり散らしていると、やがて目が慣れてきた。
淡い月の光で見えたのは腿に肘をついて頬杖をついている左喩だった。唇を横にむっすりと結んでおり、玄関の扉が開かれても、瞬きもせずに静かに黙って左喩は目線を上げた。上目遣い……ではない、軽く睨まれている。
「……ずいぶん、遅かったですね?」
こんな時間にまさか左喩と出くわすなんて思いもよらなかった魁斗は一瞬思考が停止。しばらくしてから、ようやく口を開く。
「さ、左喩さんこそ……どうして? こんな真夜中に……もしかして、ずっと待ってたんですか?」
「質問しているのはわたしです」
「……」
遅くなった理由を問われているようだ。
しかしながら、とても伝えられない。伝えられるわけがない。
逃げ場を失って魁斗は思わず顔を引きつらせた。おずおずと左喩の顔を覗くと、おそらく怒っているのであろう左喩の顔が、今すぐにでも恨みの対象に向け、丑の刻参りにわら人形を持ってお出かけに行きそうな形相に思えた。そして、出かけた先でわら人形に五寸釘を打ち込む左喩の姿が勝手に脳内で膨らんできて、身の毛がよだつ。
「なにをしていたのですか?」
問いかけが続く。回答次第では、本当に呪われてしまうのではないかと恐怖した。必死にその恐怖を背後に隠すも、背筋にはぴりぴりとした緊張が走る。
「あの……ご飯を、食べたあと……その、カラオケ、に……」
ギロリと左喩が一度鋭い視線を投げてくる。
初めて向けられた鋭い視線。さらに、左喩の目力が強くなり、喉の奥がヒリヒリと締め付けられる。視線が魁斗の目を通して心臓を強く握り込む。
おそらく嘘だとバレている。普段の左喩は、のほほんとしているがこういった時には勘が鋭い。絶対に見抜かれている。
そんな確信が脳に降りてきた。
理由をごまかすように言った魁斗に対し、左喩が悲しそうに肩を落とす。
「嘘は、嫌いです……」
「あっ……さ、左喩さん、そのっ……!」
「不潔」
「その……」
「不潔です」
言葉が続けられない。続けようにも弁解はできない。事実がアレなのだ。
どうすればいい……? と、うまく説明をする術を探すが見出せなかった。考えれば考えるほどに心が怯える。こんなときには自分はより口下手に、不器用になってしまう。余計なことさえ言ってしまいそうになる。
なにも―――なにも言えなかった。
冷たい玄関で二人して黙りこくり、漂う不穏な空気。肌がぴりぴりするほどの沈黙が降りる中、左喩の視線が正面からぶつかってくる。強く開かれて真っすぐに、動かない二つの瞳がずっとこちらを見ていた。たまらず目を逸らしてしまう。
「……もう、いいです……」
左喩の澄んだ声が聞こえた。
上がり框から立ち上がる気配がする。目だけを向けてみると、両手を前で丁寧に重ねて、その瞳は潤んでいた。こちら見る眼差しには失望の色が見える。その肩が、身体が、小さく震えているのもわかってしまった。
左喩は向きを変えると、自分の部屋へ戻ろうと足を踏み出す。だが、いつもの凛とした美しい足取りではない。そこに彼女らしくは無く、よろよろと体がふらついて、おぼつかずに壁に手をついた。その様子を見た魁斗は急いで近づいて手を出そうとするも、
「触らないでください!
左喩に浴びせられた言葉に魁斗の伸ばそうとした手は空中で強制停止。左喩は壁に寄りかかりながらも、ふらふらと自室へ戻っていく。そして、背中越しに伝えられた。
「ケーキは無しです」
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