第七章 綺麗な花には棘がある ①


 真冬の夜空には星と月がロマンティックに瞬いている。街はジングルベルの音楽が鳴り響き、イルミネーションに彩られていた。多くの人々はロマンティックな夜に沁み込んでいる頃だろう。冷たい真冬の風が吹きすさぶ中、たくましい狼の遠吠えのような犬の鳴き声がどこからか耳に届く。洋品店や文房具店はさすがにシャッターを閉ざしていたが、コンビニと居酒屋の何件かは、明るい光を放っていた。その通りを少し外れたピンク色の看板が目立つラブホ街。そこから放たれる光はまさに強烈だった。LEDネオンサイン。英語で書かれている店の看板。そして、扉を越えていく。


 ――なんでこんな記憶があるのだろう……。





 ※※※





 水が弾く音がする。


 これは……シャワーの音?


 閉じていた目蓋を開くと、目に飛び込んできたのはピンク色のライトを灯したシャンデリアだった。首を横に回旋させる。そこには赤色のソファーにローテーブルが見える。その先は壁だった。薔薇柄のアート調の模様で壁一面が赤い。そして、部屋全体は間接照明がついているにもかかわらず、どことなく薄暗い。壁沿いにネオンライトが走っており、それがときおり紫やピンクといった妖しげな色に変化している。


 なに、ここ……?


「あっ、起きたんだぁ」


 魁斗が横になっている大きなダブルベッド端でバスローブ姿の風花が嬉しそうな表情でこちらを見て微笑んでいた。濡れた髪をタオルで拭きながら、ギシッ、と音を鳴らし、ベッド端にお尻を乗っける。


「おはよっ」


「……」


 急展開に魁斗は状況の理解ができない。口を開けてはいるものの挨拶を返せずにいた。


 えっ……ちょっと待って。


 ふかふかのベッドから身を起こす。肩まで掛かっていた布団がずり落ちると、肌色の自分の胸板が見える。


「……」


 視線を上げて周りを見渡す。だけど、いまいち状況がつかめない。


 どういう……こと? 


 眉をひそめ、首を捻る。


「ここは……どこ……?」


 漏らした魁斗の声に風花は驚いたような顔をして目を見開く。


「えっ……魁斗くん……もしかして覚えてないの?」


 覚えてないのって……なにを?


 アホな顔で風花の顔を見返すと、風花は手で口を覆い、ショックを受けるように眉尻を下げた。


「ひ、ひどいっ! ひどすぎるよ!」


「ええっ……!」


 ひどいと言われてもわからない。


「ほんとに……なにも覚えてないの?」


 風花が少し瞳を潤ませている。

 しかし、それでも覚えてはいない。魁斗はコクン、と頷いた。


「こんなところに来て……その……やることなんて、ひとつでしょ?」


「えっ……」


 こんなところって……。


 改めて、部屋を見渡した。

 どう考えても普通の部屋ではない。部屋の基調からして、あきらかにエロエロな雰囲気が醸し出されている。こういったところに入ったのは初めてではあるが、さすがにこの部屋の雰囲気からして魁斗は気がついた。途端に汗が止まらなくなる。血の気が引いて、背筋が凍りつく。


 風花が顔全体を両手で覆う。


「ひどいっ! ひどいよっ! あんなに……あんなに、あたしを求めてくれたのに――」


 弾けるように言葉を吐き出していく。


「――あたしに貪りついて、一心不乱に腰を……」


「うわぁあああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 紅月魁斗のクリスマス・イブ。

 とんでもないことをしでかしたみたいだ。





 ※※※





 もう、なにがなんだかわからない……。


 魁斗はコーヒーを一口飲んで気を落ち着かせようとする。

 しかしながら、いまだに体はカタカタと震えが止まらず、さらにベッドからも出られないでいた。


 叫んだ後は、乱れた精神と呼吸、動悸を抑えるために、いったん枕の下に隠れた。 全身、布団にもくるまったのだが、なにも状態が変わることはなく、恐る恐る枕の下から出て、部屋の内装をもう一度見回した。どう考えてもラブホテル、その一室だった。すると、わざとらしくはにかんだ顔をした風花が温かいインスタントコーヒーを淹れてくれて、手渡してくれた。飲んではみるも、コーヒーの苦みもコクも酸味も何も感じるわけが無かった。


 ……というか、おれのパンツはどこに行った……!?


 布団の中身を確認してみると自分は生まれたままの姿だった。そのことも身動きがとれない大きな要因。


 ベッドを一人で占領し固まる魁斗を見ながら、その傍らで立って、同じようにコーヒーを飲んでいる風花は、ちょっと肩をすくめて、片手で髪の毛を梳いている。梳いてみせた髪の毛は、まだ見てわかるほどに湿り気を帯びており、先ほどまでバスルームでシャワーを浴びていた、ということが容易に想像できる。


「ねぇ、魁斗くん……ほんとに覚えてないの? 昨夜のこと……」


 魁斗はベッドボードに備え付けてあるデジタル時計を確認。イブの夜はとっくに越えており、日付が変わって、十二月二十五日のクリスマス当日。その午前一時を回っていた。


「……」


 すぐに返事ができず、コーヒーをグビッ、と一口飲み込むと素直に伝える。


「……覚えて……ない」


「……そう、なんだ……」


 悲しげに風花は瞳を伏せると、一度ため息をつく。ベッド端にギシッと腰掛けると、顔を伏せたままで、昨日なにがあったかを説明し始める。


「昨日ね、レストランで……最後に、わたしたちノンアルコールカクテルを飲んだでしょ?」


 聞きながら魁斗は黙って風花に視線を向ける。


「それがね……お店の人が間違えてしまったみたいで、魁斗くんのはアルコール入りのドリンクを提供してたみたいなの」


「え……あっ」


 魁斗は思いだしたように、声を漏らした。


 思えば、あの飲み物を飲んだ時から記憶がまだらだ。徐々に意識が混濁していったような気がする。


「魁斗くんさ、それを飲んで酔っぱらってしまって、ふらふらになっちゃって」


 やっぱりそうだ。あの飲み物を飲んでから、おれは記憶がほとんどない。


「だから、お開きにして魁斗くんを家まで送ろうとしたの。体を支えて、お店を出て……でも、家の住所を聞いても寝言みたいなことしか言わないから、なにもわかんなくて。行く当てもなく、その辺の道を歩いていたら、そしたら……」


 風花が少しだけ、うっとりと目を細めた。


「魁斗くんがあたしの手を握ってきてくれて。そのあとに、あたしのことを強く抱きしめてくれて……その、いろんなところを触られて……」


 頬を赤く染めながら風花は己の肩を優しく抱きしめる。

 魁斗は瞬きも忘れて、口を半開きにした。


「あたし……魁斗くんのことが好き、だからさ……その、嬉しくて。たまたま近くにラブホテルがあったから」


 そこで風花は慌てたように一度言葉を切った。両手をこちらに突き出して、首をブンブン横に振る。


「あっ、でも、誤解しないで! そういうことをしようと思ってここに入ったわけじゃないから! ま、間違いは起きてもいいとは思ったけど……魁斗くんの家わかんなかったし、行き場に迷ってたから、魁斗くんの酔いが醒めるまで、ちょっと休憩していこうと思って……入ったの。……そしたら」


 照れたように風花は頬に手を当てる。

 魁斗は呆けたように身体が固まってしまっていた。


「部屋に入った途端、魁斗くんがまた抱きついてきて、耳元で囁いてきたの。『きみに触れたい』って。だから、あたし……思わず頷いたら、そのままいろいろと触られて……その、流れのまま……」


 風花は唇を一度引き結ぶと、こちらに視線を向ける。


「ほんとに、覚えてない……?」


 眉尻を下げながら、もう一度尋ねてくる。

 だけど、答えは一緒だった。

 風花の語られたエピソードをまったくなにも覚えていない。聞いた魁斗は黙りこくったまま、首を二回ぎこちなく横に振った。


「……そっか」


 風花は悲しみを含ませたような声を漏らすと、一度瞳を伏せる。

 静寂が妖しい部屋の中を満たしていく。


 たしかに風花ちゃんは可愛いし、あの時は触れたいという欲求があった。それは否定できない。でも、まさか、本当に……。


 思い悩んだままでいると、風花が決心したように顔を上げた。潤んだ瞳をこちらに向けて、なにを思ったのか手をベッドにつき、近づいてくる。


「へ?」


 間抜けな声を思わず漏らすも、風花は四つん這いのまま両手両足を動かして一歩ずつゆっくりと近づいてくる。そのたびにマットレスなのか、ベッドのスプリングなのかよくわからないが、ギシッ、ギシッとわざとらしくベッドが軋むような音が鳴った。


「え、ちょ、なっ、な、なななななななにっ!?」


 魁斗は徐々に迫ってくる風花に対して、後ずさろうとするも、後ろはベッドボード。ごつんと頭を盛大にぶつける。だが、痛みに悶えている暇などない。


 四つん這いで近づいてくる風花の体を纏うバスローブの隙間から、火照った鎖骨と白い谷間が柔らかそうに揺れている。シャワーを浴びた後だからか、その谷間には汗か、もしくはシャワーの水滴がツーと一筋流れている。


「うわあっ! ちょっとまって! まっ……! わぁっ! わわわわわわわわわっ!」


 目線をどこに向けていいのかわからない。目線を上げれば、上気した色気たっぷりの風花の顔があり、目線を下げれば、ひらかれた胸元がある。先ほど同様にバスローブの隙間から女性の丸みがチラチラと覗かれる。目線を横に逸らせばいいのだろうが、動揺しているためか、あるいは風花の妖しい色香によって目を逸らせないでいた。


 魁斗が手をついている場所にその手を重ねて風花の四つ這い移動が止まる。ぺたん、と女の子座りになり、そして、ねっとりと目を細める。


「ね……じゃあ、さ」


 ほんのり上目遣いでそう言って、重ねていた魁斗の右手を取ると、どこかへ誘導していく。辿り着いた先は、風花の丸みを帯びた胸部だった。薄布越しに伝わる生々しい体温が、柔らかさが、指先から脳にドバドバと伝わり頭がおかしくなりそうだった。柔らかい風花の手よりも、さらに柔らかい。バスローブ越しでもわかる、張りのある弾力性。吸い付くように手がそこで固定。感触が生々しすぎて、女性というものを、この手に感じてしまった。


「……は……はっ……はぁ……」


 呼吸のリズムがおかしくなる。

 続けて風花は反対の手を動かしていく。指先でそっと下腹部をつぅーっとなぞられる。

 ゾクッと、甘い痺れが下腹部から腰に抜け、そのまま背中を走った。

 その反応を楽しむように、風花はクスっと笑う。指先で円を描くように回される。


「あたしは、全然かまわないからさ……」


 ふありと香る薔薇のシャンプーの匂いが、鼻先を舐める。


「……は、はっ、はぁ……」


 呼吸は不規則に、心臓の鼓動は異常に早くなっていく。風花は魅惑的に色めいた目で魁斗を見つめて。そして、ゆっくりとした瞬きが魁斗の目を奪い、唇を柔らかに解いた後、吐息と聞き違えるような微かな声で囁きかける。


「もう、一回……する……?」


 もわん、と立ち昇る、暖かな呼気。 

 雷に打たれたように身体が、心臓が、脳が、激しく痺れた。


 おれは思春期真っただ中の高校二年生。


 目の前には色情を感じさせる魅力的な女の子。


 風花の肩をガシッと掴んだ。

 動悸が、胸の高鳴りが収まらない。

 はあ、はあ、と荒ぶる呼吸が整わない。

 脳内に溢れる色欲が、もう爆発しそうだった。



 ――そして



「ご、ごめんなさぁあああああああああああああああああああああああああいっ!」


 魁斗はベッドから風花を突き飛ばし、布団に全身くるまった。

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