第六章 それぞれのクリスマス・イブ ③


 ディナーのコース料理が運ばれてくる。

 とにかく盛り付けが綺麗で見栄えのいい食べ物が目の前へと置かれる。ウェイターが料理の説明をしてくれるのだが、緊張していて耳に言葉が入らない。とりあえず食べ物を口へ運んでいく。


「魁斗くんはさぁ、学校以外は普段なにしてるの?」


 風花が上品にナイフとフォークで料理を切り分け、口に運びながら、会話を展開してくる。


「普段?」


「えっとね、休日とか」


「休日、か……」


 以前は仕事の依頼をこなすことが多かったのだが、前回の累の一件があって、深海からの信用を失ってしまい、しばらく仕事の依頼は入っていない。なので、休日はだいたい皆継の道場で身体を鍛えている。あとは、たまに累の家にご飯を作りに行ったり、優弥の様子を見に事務所へ赴くことが多い。


 思い返してみると、風花にまともに言える内容が少なかった。


「……えーと」


 この場合、なにを言えばいいんだろう……。


 もちろん嘘をつけばいい。実際にクラスメイトたちには嘘をついている。だから、風花にも同じようにすればいい。友達とどこそこに遊びに行くとか、ちょっとしたバイトをしてるとか、なにか適当なことを言えばいい。だけど、なぜか風花には嘘をつきたくない。


 言葉に詰まっていると、風花が少しだけ不思議そうな顔をしながら口を開く。


「あまり……プライベートなところには踏み込まれたくない感じ?」


 問いかけながら、首を少しだけ傾げ、迷うようにして笑みを浮かべられる。


「そういうわけじゃ、ない……けど」


 だけど、思った。


 自分は果たして普通の恋が出来るのだろうか……。


 この世界で、普通の生活を、普通の青春を送りたいと思っている反面、自分は普通ではない世界に身を置いている。それは自分で選んだことだ。今の自分は、裏の世界で現実を生きる人間なのだから、表の世界で生きる人と、もし付き合うことになったら、どんなに気をつけていても、我知らずに傷つけてしまうかもしれない。もしかしたら、なにかしらの理由で命だって狙われるかもしれない。


 だから、やはり深くまでは言えない。


 だけど、心の置き場は、おそらく裏世界に振り切れていない。ふらふらで、どこまでも中途半端な人間だ、おれは……。


「ごめん」


 思考が錯雑し、なにを言ったらいいのかわからず、謝っていた。

 謝った魁斗に対し、風花は両手を突き出して、首をぶんぶんと横に振った。


「ううん、いいのいいのっ! わたしだって言いたくないことの一つや二つ……あるしっ! それに……」


 風花が妖しげな目つきをして魁斗を見つめる。


「そういうミステリアスなのは……あたし大好物だから」


「……」


 風花の言葉に思わず苦笑いを零した。

 








 運ばれてくる料理を口に運ぶ。

 味は美味しい。

 非常に美味しい……はずなのだが、脳裏には累と左喩が不意に浮かんできてしまう。

 まるで味がしなかった。

 なんだか、心が空虚だ。幸せの味がしない。どこまでも虚しく感じてしまう。


 なんだ、これ……おれはいったいなにがしたいんだ……?


「魁斗くん? ……どうしたの? もしかして、あまり体調よくない?」


 風花が心配そうに尋ねてくる。

 思わず自分の顔を撫でた。


 どんな顔してんだ、おれは……。


 自分の表情がわからない。


 左喩さんは今頃、自宅でケーキを作ってるのかな……。おれも一緒に作りたかったな……。そして累は……今頃、友作と……。


 想像すると、胃が重たくなってくる。二人のことを考えると脳が引きちぎられそうになった。眉間に力を入れて、指先で軽くマッサージをする。


 もう想像するのはやめよう……と首を左右に振って風花の顔を見ると、途端に痛みが落ち着いてきた。


「ううん、大丈夫。……美味しいね、この料理」


 そう言って料理を褒めると風花は喜色満面になった。


「でしょっ! あたし休日とかはこういう穴場を見つけて食べに来たりするんだぁー。最近はおしゃれなお店が増えてきたから、ほんとたいへん!」


 明るく話す風花に思わず笑みが零れる。


 元気で、明るくて、いい子だよな……この子は。


 風花のことを考えると、頭は軽快。胃の重ったるさが取れ、自然と頭痛も止んだ。


「また……魁斗くんと、他のお店にも行けるといいなぁ……」


 聞こえるか、聞こえないかの声量で囁く風花の言葉が耳に届いて、頬が熱くなる。思わず風花を見つめてしまう。


 なんだろう……やっぱりおれ、ちょっと変かも……。


 手も足も頭もロボットのように固まり、瞬きの時だけ目蓋が上下する。


「なんで魁斗くん、固まってるの?」


 風花の呟きのせいである。が、言えない。

 喉も固まっている。


「変なのぉ」


 そう言って風花は目尻を下げて、ふにゃっと表情を崩した。

 慌てて魁斗は目を逸らした。いつまでも見ていたら、なにかとてつもない引力に引っ張られそうになったからだ。


「さ、たべよたべよ。魁斗くんも」


 促されなければ、ひたすらカチンコチンに固まっていたかもしれない。


 なんだろう、この状態……意味わからない。


 魁斗は機械的にカチャカチャとナイフとフォークを操作して出された料理を全て食べきった。





 ※※※





「はぁ~、美味しかったぁ」


「うん、美味しかった」


 ほとんど味はわからなかったけど……。


 グビッ、とグラスに入っていた水を飲み干す。そこにちょうど風花がオススメと言って頼んであったノンアルコールカクテルが届いた。『チェリーパイナップルレモネード』というモノらしい。見た目も鮮やかで、甘酸っぱいレモネードとパイナップルにチェリーの風味が加わったノンアルコールカクテルだそうだ。グラスにはカットしたパイナップルとチェリーが乗っている。


「可愛い飲み物だね」


 魁斗が感想を述べると、風花は顔を輝かせて、嬉しそうに声を弾ませる。


「うん! 可愛いでしょっ、味も美味しいんだよ!」


 女子ウケするだろうな、これ。女子ーズが好きなやつだ……。


 魁斗はストローに口をつけ、飲んでみる。


「あっ、ほんとだ……美味しい」


 思ったままを口から漏らす。

 甘酸っぱくて、食後でも非常に飲みやすかった。


「でしょ! よかったぁ~」


 風花も嬉しそうにストローに唇をくっつけて、ちゅ、ちゅ、ちゅう~っと飲み始める。まるで、求めているみたいに何度も唇を開いては吸い付いていく大人のキスをしているように見えた。


 それを見て、魁斗はグビッとジュースではないものを飲み込んだ。


 ……幻覚か?


 飲み方すら色香を感じてしまい、恍惚しかけていると、こちらを向いた風花がテーブル越しに、ぐっと身を乗り出してくる。ただでさえ開かれている胸元がよりいっそう広がって、隙間からは柔らかそうな部分がばっちりと瞳に映る。慌てて目を逸らそうとするも、その胸元はなぜか目の前にやってきた。


 えっ、なにこれ……幻覚……じゃない。天国……?


 チラチラと魅惑の谷間に覆いかぶさる紺色のブラジャーが覗かれる。


 見せびらかしてるの……? 見てもいいってこと……?


 立ち昇る甘い香水が鼻孔をくすぐっていく。甘い花の蜜を垂らしたような匂い。くらくらと目の前が回るような感覚がした。


 そんな魁斗の様子を知ってか知らずか、風花は魁斗の頭にそっと触れると、なにかを掴んでストン、と腰を下ろす。魅惑の谷間が一瞬にして消え去った。


「髪についてたよ、わたあめ」


 なんて可愛いことを言いながら、指先で掴んでいた埃を見せてくれる。ふっ、と唇を細めて埃を吹き飛ばすと、ほろり、と雪が降っていくように埃が地面へと落ちていく。


 あ、そういうこと……。


「あ、ありがと」


「どういたしまして」


 明るくにっこりと微笑みを浮かべると、風花は再びストローに唇をくっつけて、ちゅ、ちゅ、ちゅう~っと『チェリーパイナップルレモネード』を飲む。


 幻覚ではなかった。まぎれもなくそうやって飲んでいる。一動作一動作がエロティックだ。思わずちらりと風花の様子を盗み見る。


 この子はどうして、おれを……。


 不意に疑問に思った。


 今までの言動を見ていて、少なからず好意は持たれている……と思う。しかし、自分のどこを好きになるというのだろう。こんなアホで馬鹿な自分のことを。


 脳裏には再び、累と左喩の姿が浮かんだ。

 途端に頭に激痛が走る。


 おれは人を傷つけまくっている……。自分で言うのも悲しいが、おれのことを好きになる要素なんてどこにもない。そうだよ……好きになるわけがないんだ……。


 気を落ち着かせようと、『チェリーパイナップルレモネード』をぐびぐびと飲んだ。


 風花はちらりとこちらを一度覗いてから、頬をバラ色に染めた。


「好きなの、魁斗くんが……」


「ぐばぁはっあっ!! ぶっふぉぉっ!!」


「ちょっとやだぁ! 汚いよっ、魁斗くん」


 げほ! げほ! げっほっ! とむせ返る口元をおしぼりで押さえる。零してしまった飲み物は風花が立ち上がって自分が使用していたおしぼりで拭き取ってくれた。


「ごほっ……ご、ごめん、ありがとう……」


 むせながら、拭いてくれたことへの感謝を伝えつつ、頭は混乱の渦に陥る。

 あまりに唐突。

 不思議に思い、涙目のまま風花を見る。

 真正面に座った風花は、目を逸らすことなくこちらを見つめていた。

 その美貌が自分を、自分だけを見るように、瞳が離れない。煌めく紅いリップが弧を描く。


 な、な、な、なにが……起きている!?


 魁斗は整理がつかなくてパニックを起こす。


 聞き間違い――ではない。


 恋愛偏差値の低い男の妄想が脳内で爆発して現実との区別がつかなくなった――わけでもない。


 村雨風花は、たしかに言った。


 ――好きだと。


 おれのことが……。


「あの……えーっと……」


 とりあえず、なにかを言おうとするがなにも思い浮かばない。ふわふわとした頭は、綿毛のようになにも考えられずに空を飛んでいる。


 きょろきょろと目を泳がせ、不意に目が合う。すると、相手は唇を緩ませて微笑みを浮かべる。

 

 目線を合わせられなくなり、考え込むみたいにテーブルの端に視線を落とした。

 すると風花が席を立って、隣に座った。それにすら、うまく反応できない。

 耳元で風花が囁く。


「まだ返事はしなくていいから……」


 甘い声が、吐息が、耳介を掠めていく。


「今からでしょ……? 仲を深めていくのは」


 続けて伝えられる。


 手も指先までもが熱い。顔が熱く火照っており、バカみたいに赤面しているのが自分でもわかる。


 純情な乙女かよ、おれは……。


 目を瞬かせて、風花を見返す。

 風花は照れたように顎を引いて、上目遣いになり、そのまま唇を開いた。


「だけど……なるべくなら、早く返事は欲しいかな」


 そう言って艶やかに微笑んだ。


 本音を言うなら、脳みそが焦がされそうなほどに狂おしかった。

 ジェットコースターにでも乗っているみたいに、身体ごとぶん回されている気分。


 すぐ隣にいる風花に、甘い匂いに、その髪の毛に、華奢な肩に、真っ白な手首に、紅く光る唇に、全身の感覚器官が反応。


 手を握るだけなら許されるだろうか……?

 肩を抱いて、引き寄せるくらいなら……。


 そこで止まれるはず。おれはそんな無遠慮なバカ野郎じゃない。

 風花ちゃんだって、もしかしたら望んでいるのかもしれない。


 触れたいと――


 欲する気持ちを、少しだけの身体的接触で満たしてしまって、それで、それで足りるはず。満足できるはずだ、おれは――。


 手を伸ばし、バシンッと己の手を叩き落とした。


 あ、危なっ……衝動に任せていたらヤバかった……。


「なにしてるの?」


 魁斗の不思議な行動に、風花も不思議そうな顔を浮かべていた。


「……えっと、蚊がいた」


「こんな冬に?」


「そう……冬の蚊がいたみたい」


 自分で言っててわけがわからない言い訳。待てよ……言い訳じゃないかもしれない。おれは、もはや血を求める蚊である。人間ではなくなっているのだ。


 ……は? どういうこと……?


 次の瞬間には、目の前の風花が溶けゆく蜜のように魁斗には見えた。


 蚊ではなかったら、蜂?



 ――思考が散乱。



 いやいや、蚊とか蜂とか、今関係ないだろ。おれは生まれて初めての告白をされたんだぞ。


 もどかしいといった感情が爆発しそうで頭を力強く上げようとするも、カクンと首が下がる。


 ア、……レ。


 目だけで風花を見る。

 風花はバラ色のリップで淡く光る唇で弧を描いていた。

 それだけで目を奪われそうになるのだから、美人というものは恐ろしい。

 思わず変な声が口から漏れそうになるのを必死で堪えた。


 人生で三回はあると言われているモテ期が、本当に来たんだ……紅月魁斗、一世一代のモテキ到来。やったぁ、やったぞ……今日はお祝いだぁ……いや、待て、ルイ? アレ、左喩……。


 思考が統合できない。

 もう、見つめられる瞳からは目が離せないでいた。それなのに凝視ができない。


 アレ? ……なんか、ふらふらしてる?


 視線がどうも定まらない。


 返事を、返事、早く返さなきゃ……。


 声を出そうとした。しかし、口から実際に出てきたのは声を伴わない空気だけだった。


 あれぇ、緊張しすぎて声がでない?


 気を落ち着かせるため、一度腹の底まで息を吸いこみ、ゆっくりと吐いてみた。

 だけど、目の前がさらにふわふわするだけだった。


 え、なにこれェ、酔ってる……? でも、おれが飲んだのってノンアルコールカクテルだったよなぁ……。


 ぽやぽやしたまま、風花にとりあえず言葉を返そうと無理やり舌を動かしていく。


「あ、あ、あのさ、お、おで、は……」


 ろれつが回らなかった。


 ――あれ?


 ついには目の前が暗転した。

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