第六章 それぞれのクリスマス・イブ ②
街は、夜を迎える。
人々の頭上に、街に、踊るように雪が舞う。
クリスマス・イブのイルミネーションはまるで光の洪水のように煌めき。
そこに笑顔が溢れて、世界はよりいっそう光を増す。
十二月二十四日、聖夜。
胸が高鳴る。
期待と不安が交互に押し寄せてくる。
一年でたった一日の特別な夜。
恋する人たちが炎と燃える戦いの日に、紅月魁斗は焦りながら、光り輝くイブの街を歩いていた。
時刻は間もなく午後七時半。
ヤバい、遅れる……!
待ち合わせ時間に遅れそうで、かなり焦っていた。そこを行き交うカップルの大群や忙しそうに早足で歩くサラリーマンを追い抜かし、誰よりも大股な競歩で街中をすり抜ける。ぼちぼち目的の場所に着くはずだ。
ぐるりと周囲を見回してみると、やはり聖夜。いつもとは違う眩い世界。
そして、普通の平日とは比べ物にならないぐらいの人で溢れていた。
カップルがイチャコラと羨ましい限りに仲睦まじくくっつきながら歩いている。ガラス張りで店内の様子が見えるおしゃれな飲食店に目をやると、席に座っている男女たちも心なしか物理的距離が近い。呆れるくらいに人肌を求めているように見える。
クリスマス・イブに恋人ができることは、やはり多いのだろうか……? あの席に座っている男女は恋人同士、なのか……? だとするとクリスマス・イブに恋人と一緒に過ごすなんて素敵なことだよなぁ……。
羨ましそうに周りを見回しながら、光り煌めく街の表通りを進んでいると、魁斗の脇を通り過ぎていった顔が知り合いに似ていた。思わず振り返って見てみると、似ていたのではなく本当に知り合いだった。皆継の門下生である
魁斗は、その光景をアホみたいな顔で見つめる。
嘘だ……。
かなり失礼なことを脳内で思ってしまったが、魁斗が嘘だと否定しようと、高田の顔を見上げたその女性の目には、特別な親しみが込められているようだった。高田もその視線に柔らかい笑みで返す。
「……」
言葉もなく、ただ二人が仲睦まじく輝く街の中に消えて行くのをまじまじと眺めてしまっていた。普通に……というか、大分綺麗な年上の女性だった。
嘘だなんて失礼だった……。
すぐに反省。そして、今日という日の特別性がよりリアルに感じられた。
なにもおかしいことなんてない。人は恋をする。高田さんだって恋をする。
だけど、普段は道場で男くさいところしか見たことがない。あんなに特別な目で相手を見る姿なんて想像もつかなかった。
今度、道場で会ったら、クリスマス・イブに街で見かけましたよって聞いてみようかな……。
一瞬思うも、すぐに思い直す。
いや、ダメだ……そこまでプライベートに踏み込むのは。
道場で共に汗を流している門下生の人たちは仲間であり、同士でもあるが、その素性やプライベートはなにも知らない。べつに互いのことを隠す決まりなんてものはないが、自分が入った時から暗黙のルールみたいなものがある。互いに深くまでは踏み込まないことが、あの場の空気では流れている。
それぞれ色々と事情があるよな……。
踏み込みはしないが、勇気はもらえた。
自分だって、もしかしたら今日……。
魁斗は踵を返して風花が待っているレストランへ足を急がせた。
※※※
「ここか……」
ようやく目的地付近にたどり着く。風花が指定した場所は光り煌めく街の表通りからは少し外れた静かな路地。ビルの一階がお店になっている。周りを見れば、落ち着いた大人がお酒を嗜むようなお店ばかり。
なんか、BARが多い……。
場違いな感じがしたが、魁斗はレストランの扉を開き、そろそろと足を踏み入れる。店内はさほど広いとは言えない横長の空間。やや薄暗くカップルには気の利いた雰囲気だ。店の奥で、先に到着していた風花が椅子から立ち上がり「こっちこっち!」と手を振っている。
魁斗は急ぎ近づくと、風花の向かい合わせに着席。
「ごめんっ! 遅くなって……」
「ううん、気にしてないよっ。あたしの方こそいきなりだったもん。ごめんね、おしゃれしたいだなんて……」
風花は遅刻を咎めることなく、口許を綻ばすと、
「でも……どうかな? 頑張って、おしゃれしてきたの……」
魁斗に見せるようにして両手を広げる。上目遣いで、見上げるようにこちらを見てくる。その姿を見て魁斗はわかりやすく惚けてしまいそうだった。
風花の服装は黒色のワンピース。さすがにこの店に入るまではコートを羽織っていたらしく、隣の椅子に掛けてある。黒ワンピースと言えば、上品な装いに思えるが、袖は透け感があり、背中がぱっくりと開いている。さらには胸元ががっつりと開いていて、肌の露出が多い。そして、風花のモデルのような体つきを存分に強調するようなシルエット。女の子、ではなく女性というものを強く感じさせる装いだった。
なんてセクシーなんだ……いったい、どこ見ればいいんだろう……。
視線を一度彷徨わせ、風花の顔を見ると化粧がされていた。そこまで濃くはないが学校よりも着飾るようにメイクが成されている。普通の時でも上がっているまつ毛がより上げられていて、アイライナーやアイシャドウで、より目が大きくぱっちりとしている。それでいて妖艶。白いファンデーションが塗られているにもかかわらず、そのメイクでは隠しきれないほど、風花の頬は紅潮していた。そして、唇にはリップグロスが塗られており、紅い薔薇のように輝いている。
やはりというか、改めて見ても、風花は極上の美貌を持った非常に魅力的な女性だった。
感想を欲しているように風花が、じっと見てくる。
魁斗はしばらくの間、ただ呆然としていた。いつのまにか息を吸うのを忘れていて、意識的に息を吸った。途端にもわっと立ち込める甘い香水の匂いに立ちくらみがする。
あぅ、ヤバい。思考力が低下する……。
香水のせいで脳が蕩け、思考能力が低下するも、息を吐き、もう一度吸ってから、感想を述べる。
「あの、その、えっと、その、えっと……すっごい……」
「すっごい?」
風花がこてんと小首を傾げる。
「す、すっごい……き、綺麗……で、あっ、あ、ありんす」
なんだかよくわからない言葉遣いになってしまった。だが、すぐに思い浮かんだ。これは
満足したのか、風花はニコッと顔を綻ばせ、
「なぁに、その言葉遣いっ……ふふっ、でもありがとっ。魁斗くんも、すっごくカッコイイ!」
ああ、褒め返してくれた……。
頑張っておしゃれしてきた甲斐があったと恍惚状態に陥る。早くも、頭がくらくらだ。
誰のために今夜はこんなに美しい……。村雨風花に決まってるじゃないか……。
脳内で世迷言が浮かんで、片手を天へと伸ばしている。グルグルとあほみたいに世迷言が回る。
そんな状態でしばらく呆けていると、風花が一度真面目な顔になり、こちらを見る。
「今日は来てくれて、ほんとに嬉しい……」
自分の心と共に、カラン、とグラスに入っていた氷が溶けていく。
「ありがとう――」
あまりに真正面からの言葉に、思わず息を飲んだ。微笑んでくれた風花は、おそらく誰が見ても見惚れてしまいそうなくらいに、綺麗で艶っぽくて、可愛らしい。
今、顔にはどれだけの熱がたまってしまったのか、手のひらで覆うように触れればいつもより明らかに熱いものを感じる。
こんな調子で大丈夫か……おれ。
「こ、こっちこそ。ありがとう」
閉じていた喉を無理やりにこじ開け、返事を返す。
紅月魁斗のクリスマス・イブが始まった。
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