第六章 それぞれのクリスマス・イブ ①


 街は、夜を迎える。

 人々の頭上に、街に、踊るように雪が舞う。

 クリスマス・イブのイルミネーションはまるで光の洪水のように煌めき。

 そこに笑顔が溢れて、世界はよりいっそう光を増す。

 

 十二月二十四日、聖夜。

 

 胸が高鳴る。

 期待と不安が交互に押し寄せてくる。

 一年でたった一日の特別な夜。


 恋する人たちが炎と燃える戦いの日に、坂井優弥は事務所でソワソワとしていた。

 時刻は間もなく午後七時半。紫がぼちぼち事務所に来る頃合いだ。


『恋愛』に燃える優弥は、どうにも心が落ち着かない。

 ソファーを立ったり座ったり、事務所内を無意味に歩き回ったりしてしまう。ふと、思い立って事務所のデスクで育てているすみれの花の水を新しく交換すると、再びデスクにコトッと置く。扉の方を振り返るも、まだ紫は来ていない。


 入り口付近には、なけなしのお金で買ったクリスマスツリーが輝いている。簡単な組み立て式ではあったが、割と綺麗に見える。九十センチ程のクリスマスツリーで、色とりどりのオーナメント、天辺にはトップスターをつけ、LEDのライトも試行錯誤しながら巻きつけた。そのライトがぴかぴかと楽しく踊っているように光っている。


 そして、光るたびにすみれの花が発色する。


 クリスマスツリーもいいけど、ぼくはやっぱりこっちの方が綺麗だと思う……。


 すみれの花に視線を集中させ、心を落ち着かせるように一度、深呼吸。

 目を閉じる。

 今日のこれからのことを想像する。 


 魁斗くんの言った通りに演劇部からサンタの衣装を貸してもらった。

 すでに衣装には着替えている。

 サンタクロースの口髭や眉毛のウィッグも装着しているし、まさか自分がサンタクロースに変装しているとはバレないはずだ。あとは、紫が来たら袋からプレゼントを渡して事務所を出ていく。出たらすぐにサンタの衣装を脱いで事務所に戻る。用事があってぼくは外に出ていたことにして、「なに? サンタクロースが来てたの!?」とでも惚ければ、紫はサンタクロースの存在を疑うことはしないだろう……。


 緊張して、いまだ落ち着かない。ソワソワして心拍数が上がっている。手汗までもかいている。


 だけど、紫に――きみは『いい子』なんだ、と伝えたかった。


 現実にはサンタはいない。だけど、自分は紫がどんなに『いい子』かを知っている。ずっと近くで見てきたんだ。ハッピーなクリスマスは紫みたいな子に訪れなければならない。


 幼くして両親を亡くしたきみは、それでも歪まずに誠実に育った。ぼくとは違う。


 目の前にある、すみれの花のように。

 控えめな優しさだけど奥ゆかしくて。

 いつでも、そっと寄り添ってくれているような、

 ひっそりと小さく咲きながらも芯のある、そんな可憐な花だ――


 ギギィ、と出入り口の扉が開かれ、軋んだ音が鳴り響いた。

 優弥は振り返ると、扉の方を見つめた。そこには、小さくて可憐な少女が立っている。


「えっ……」


 優弥の姿を見た瞬間、驚いたような声が漏れて、事務所内がシーンと静まり返る。

 紫は寒い扉の向こう側で立ちすくみ、戸惑い、身じろぎもしていた。

 コートの下に着こんだロングワンピースの裾が風に揺られている。


 もしかして、変質者だと思われているのだろうか……。


 不安に思ったが、自分の恰好はどっからどう見てもサンタクロースだ。

 変質者でも怖い人でもないんだよ、と伝えるように紫の顔を見るとやんわりと目を細める。


 紫は声を詰まらせているが、一度ゴクッと唾を飲み込むと、大きく開眼させたまま小さな唇を開いた。


「サ……」


 一度言葉が途切れるも、紫はもう一度唇を動かしていく。


「……サンタ、さん……?」


 コクリ、と大きく頷いてみせた。

 自分はサンタである、と紫に向けて伝えるように。


「……ほんとに?」


 コクリ、コクリと今度は二回ほど大きく頷く。

 紫は少し警戒を解いたように事務所内に入ってくる。

 おずおずといった感じだが、近くまで寄って来てくれた。

 そして、優弥サンタは真っすぐ紫の目を見つめて口を開く。


「紫ちゃん、今年もいい子にしていたね……」


 普段の自分の地声は高い方だが、声をなるべく低くして、可能な限りおじいさんっぽい声で喋った。すると紫は突然地面に顔を伏せ、口許を隠すように手で覆うと、ぷるぷると全身を震えさせる。返事が返ってこず、優弥サンタは黙ってその姿を瞳に映す。


 実物に会って感動しちゃった……とか……? もしや……感動して泣いてる……?


 優弥は一瞬、そう疑った。

 いまだに紫は顔を俯かせて、全身を震えさせている。


 な、泣かせちゃったかも……。


 そう思ったのも束の間だった。

 優弥の思惑とはまったく別方向の反応が返ってきた。


「……ぷっ、あはは……」


 紫は口許を必死に押さえて笑いを堪えていたようだった。そして、堪えきれなくなり吹き出す。急に笑い始めた紫に優弥サンタはぎょっとして、目を丸くさせた。


「……あははははっ! 優弥、なにそれっ!? どうしたの?」


 紫が少女のように笑い、お腹をかかえる。けらけらとこっちを指差しながら、大爆笑する。


 な、なぜにっ!?


「声、変だし!」


 バレてないとでも思ったのかこいつは本気で! とでも言いたげに紫は己の太ももをバシバシ叩きつつ笑いを止められないでいた。


 対して優弥はサンタの恰好をしていることがバレたことに、顔を歪ませる。


「嘘でしょ……あんなに作戦練ったのに……」


 もう、このあとの作戦だってパァだ。魁斗くんにもいろいろ相談して、手伝ってもらったのに……。


 項垂れるようにして、心の声が口から漏れていた。

 紫は涙が付着した目尻を指で払いのけると言葉を拾って問いかけてくる。


「あいつの仕業か……なるほどね、優弥も魁斗に手伝ってもらってたんだ?」


「優弥もって……えっ、どういうこと!? 紫、も……。……あっ、もしかしてっ! この前のお出かけって!」


 紫は静かに微笑みながらコクッと頷く。


「優弥がクリスマスになにが欲しいか相談してみたの。男の子のことわたしわかんないし、プレゼントなんてあげたこともなかったから……だから、ちょっと手伝ってもらったの。まったくの役立たずだったけど……」


「そ、そういうこと、かぁ……」


 はぁーっと長い吐息を漏らした。これは、たぶん安堵のため息だ。

 力が抜け、優弥はソファーに倒れ込むように腰を下ろした。


 魁斗くんの言った通りだった。本当に二人は、お互い特別な想いなんて無かったみたいだ。


 安心して息を吐き切ると、目の前になにかが映る。


「これ……あげる。クリスマスプレゼント。いつも貰ってばっかりだったから……」


 紫は少しだけ目を逸らし気味で、持っていた紙袋をこちらに渡してくる。両手で受け取ると、紙袋の中身が見える。クリスマス仕様に丁寧に包装してもらった緑と赤色のポリエステルの袋が入っていた。


「えっ……ぼくに……」


「だから……そう言ってるでしょ」


 頬をほんのりと赤くして、紫は照れたようにそっぽを向く。


「ありが、とう……」


 プレゼントを渡すつもりが、反対にプレゼントを渡されてしまって呆気に取られる。そして、胸の中ではふつふつと熱いものが込み上げていた。


「えっと、開けてもいいのかな……?」


 問いかけるも紫はそっぽを向いたまま答える。


「いいけど……べつに、たいした物じゃないよ……」


 そう言って、眼球だけチラリと横目に覗いてくる。

 優弥は丁寧に袋を外していく。その間に紫が隣に静かに腰掛けるのが視界の端で見えた。袋の中から見えた中身を取り出して、両手で持ち上げる。


「……帽子?」


 優弥が呟くと、紫がこちらに振り向いて、少しばかり説明するように口を開く。


「うん、ニット帽。なにがいいとか、わかんなかったんだけど……今、寒いから……ちょうどいいかなって、思って……」


 手にあるのはグレー色のニット帽。防寒によさそうで学校にもつけていけそうだ。

 嬉しさが顔から零れる。自然と表情が綻んでいくのが自分でもわかった。


 そのまま嬉しすぎてニット帽をしばらく眺めていると、紫がなぜか焦るように言葉を付け足す。


「ぶ、無難でしょ? 優弥、無難なの好きでしょ?」


 渡したプレゼントを不安に思っているのか、紫はちらちらとこちらを覗く。


「べつに無難なのが好きってわけじゃないけど……でも、ほんとに嬉しいよ。ありがとう。大事にする」


 もらったニット帽を大切に胸に抱く。

 こんなに幸せでいいのだろうか……と嬉しすぎて綻んだ表情が元に戻らない。


「……よかった」


 そんな自分の顔を見て、紫が安堵の表情を浮かべる。

 途端に全身の体温が熱くなっていく。


「まいったな……」


 自然と囁いていた。


 これは敵わない。

 ぼくは、この子には絶対に敵わない。

 剣の腕では多少自分の方が上手かもしれない。だけど、その他全てで敵う気がしない。何と戦っているのかと問われると困るが、とにかくなんでもだ。

 心の底から思う。

 紫には、もうこの先、絶対に敵わない。


「それで?」


 紫の小さな唇が開かれる。


「作戦ってなんだったの?」


「……もういい。バレたら意味無いし、敗北感が半端ないし……」


「敗北感って、なに……? いやだ、言って。このあとどうする予定だったの?」


「……」


 優弥は白い布袋から、プレゼントを取り出す。


「これ、サンタさんからお菓子の詰め合わせ……」


 そして、優弥はもうひとつ紫になにかを手渡す。


「あと、サンタさんからのメッセージカード」


 紫は手渡されたメッセージカードの内容に目を落とす。内容は簡単に短い文章で書いた。


『Dear 紫ちゃんへ 今年もいい子にしていたね。ささやかだけどいい子の紫ちゃんにプレゼントを差し上げます。甘いものがたっぷり入っているので虫歯にならないように気をつけてね。いつでもきみの幸せを祈っています。来年、また会えるのを楽しみにしているよ From サンタクロース』


「なにこれ、めっちゃおもしろい」


「いや、ウケ狙って無いと思うんだけど……」


「なんか、敬語とタメ口が交互に書いてあるし……それに、完璧に優弥の字じゃん」


「ええっ!? な、なに言ってんの!? そんなわけないじゃん……サンタクロースの字だよ」


「……この期に及んで、まだそんなこと言ってんの? わたし、優弥がずっとサンタしてたの知ってるけど」


「ええっ!?」


 驚愕の事実だった。


「知ってて……ずっと知らないふりしてたの……?」


「だって、面白かったから」


 紫が目を細めて、ふふっと笑う。優弥は開いた口が塞がらない。


 ぼくが、ずっと騙されてたのか……。


 意気消沈し、首も肩もがっくりと項垂れる。紫は、励ますつもりなのか、もう一度手紙を見せてくる。


「ほら、見てこれ。完璧、優弥の字」


 紫が手紙の文章を指差して言ってくる。


「……そんなに、ぼくの字ってクセあるかな……」


 優弥は顔を上げると、手紙の中身を覗き込む。

 二人して並んで手紙の内容を見る。コツンと肩と肩が触れ合った。


 振り向くと相手もこちらを見ていて。

 見つめられて、見つめて、見つめ返され、見つめ合う。

 そして、瞳の奥に見つけた。

 たしかに、『愛』の絆が見えた気がした。


「優弥」


「うん?」


「わたしは、見てるから」


「えっ」


「ずっと見てるからね」


「……」


 見てるから――と、紫の瞳が自分を映す。そこにはもう過去の自分は映っていなかった。


 紫の言葉が、耳の奥に凛と響く。


 見ていたのはぼくだけではなかった。

 ずっと近くでぼくのことを見てくれていた人がいた。

 自分の孤独を支えてくれて、自分の孤独を知られて。そして、ぶつけた。

 それでも受け入れてくれた。

 ずっと前から、この世にたった一人だけ、ぼくを見てくれていた人がいる。


 その子の名前は、佐々宮紫。


 この世でたった一人。『恋』をして『愛』を知った。一番大事な女の子。


 自分はこの子がいたから生きていたのだと思う。この身体の全身全霊がこの子に恋愛をしている。『恋』と『愛』が体を、脳を、魂さえも熱くさせる。


 ぼくは、どうしようもなく紫に『恋』をしている。


 心が満たされていく。


 ――紫。きみがいるから、ぼくは……この世に存在する。


 気がつけば紫の肩を抱いていた。

 至近距離で互いの目を見つめ合い、どちらかともなく顔を寄せていく。

 引力に導かれていくように、互いの距離がさらに縮まっていく。

 互いの吐息がかかる。相手の温度がわかる。

 とても、とても熱い。

 バクン、バクンと心臓の鼓動が高まっていく。

 紫がすべてを許すように、そっと瞳を閉じた。唇を柔らかく解く。

 覚悟するように、自分の喉の奥が鳴る。小さくて柔らかそうな唇。そこに自分の唇を寄せていく。


 唇と唇が触れ合う……その直前――



 ギシッ、ギシッ、ドギャァシャャァァァンッ!!



 大きな音が鳴り響き、二人は驚いたように部屋の入り口に振り返る。

 音の正体は、建付けの悪かったこの部屋の扉が風によって壊れて、ぶっ倒れた音だった。


「……えっ、嘘でしょ……」


 強制的に開かれた入り口からは冷たい風が入り込み、部屋の中を一気に冷やす。


「さ、寒いよぉ、優弥ぁ!」


 紫が隣であたふたしだす。


「……はは……」


 もはや苦笑を漏らすしかない。

 最悪のタイミングだった。


 やはり、ぼくは神に見放されているのでしょうか……?


 天を仰ぎ、絶望するように両手を掲げた。

 聖夜に優弥は神様を呪うことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る