第五章 クリスマス前 ⑨


 大急ぎで皆継家に戻って身支度を整えようとしたところ、スマホに一件のメールが入る。これから落ち合う予定の風花からだ。内容を確認すると、時間と場所が記してあった。時間はディナー時の午後七時半。場所はよくわからなかったが、記されている住所を地図アプリで検索すれば、たぶん辿り着けるだろう。レストランの画像まで添付されていた。見れば、なんだか大人っぽい雰囲気のレストラン。文面には、『クリスマスディナーにおすすめの隠れ家的なレストランだよ♪ 予算はひとり一万円くらい!』と書かれてある。一万円は自分にとって多少高いが、今日はなんてったってクリスマス・イブ。こういった時に奮発しないでどうする。


 魁斗は顔を引きしめる。


 曲がりなりにも、自分だって華の高校生。青春を……おれだって、普通に青い春を謳歌してみたいのだ。


 よし……。


 作業を開始する。

 高揚状態の頭で一生懸命に考えて、経験値が無いなりにもおしゃれをしてみる。ファッションのことはまるでわからないが、大人っぽいレストランでも浮かないように考えて服を選択。白シャツに黒のテーラードジャケットを羽織り、黒のテーパードパンツを履いて綺麗めでシックにまとめてみた。


 ふんふん……なかなかのスマートカジュアルだ。暁斗が着たら、もっと似合うのだろうが、自分だって様になってるじゃないか……。


 姿見鏡を見ながら自分の姿を褒め称える。


 ダウンジャケットを上から羽織っていくが、脱いだ時にこっちだっておしゃれしてることを風花ちゃんが褒めてくれるかも……。


 淡い期待感を胸に秘めて、魁斗は続けて身だしなみを整える。

 普段は使用していないが、なにかの時のために買っておいた整髪料をトップと前髪付近にちょっぴり馴染ませ、斜めに流してみる。確認のため鏡を見た。


「こりゃ、おしゃれだっ!」


 キリッと眉を寄せてみせると、いつもよりも数倍はビシッと決まっているように見える。


 姿見鏡で何度も何度も自分の姿を確認し、準備は全て整った。

 意気揚々と襖を開け、自室を出る。玄関で本革に見えなくもないライトブラウンのカジュアルシューズを足に引っ掛けながら、魁斗は思う。

  

 今日のおれのおしゃれ具合、完璧すぎやしないか……。


 もうすでに浮かれまくっていて、このまま羽でも広げて空を飛んでいけるんじゃないかと思う。おれって、けっこうおしゃれだったんだ……と自画自賛を脳内で繰り返す。行く手に迷いなどなし。故に背後から近づく音に気がつかなかった。


「あの、魁斗さん……どこか出かけるのですか? こんな時間に……そんなおめかしをして」


 後ろから聞こえてきた声に、ビクッ! と体が反応。全身の毛が逆立つ。驚いた猫のように体を瞬間的に震わせ、妄想で生やしていた背中の羽が朽ちて地面に落ちていく。そして、心臓がなぜか大波を打ち始めた。


 振り返ると、そこには制服姿の左喩が立っていた。後ろに両手を組んで不思議そうに体まで斜めにして、首を傾げながらこちらを窺っている。


「えーと、その……まあ、ちょっと……」


 魁斗はいきなり尋ねられて、かなり間の悪い返事をした。

 左喩が目をぱちくりとさせ、キュッと一度唇を横に結んだ。そして、質問が続けられる。


「累さん、ですか……?」


「えっ……累? 違いますよ」


 左喩からの質問に何の考えもなく答えてしまう。すると、左喩が驚いた様子で目を大きく広げたのち、徐々に目が細められていく。


「……へぇ」


 なんだか疑るような目で、じーっと見つめられる。魁斗は引きつりかける顔をなんとか制御するも生唾を飲む。その間もずっと、左喩からは太陽のような真っすぐな視線を向けられていて、魁斗の目から離してくれない。


 なんか、熱い……。


 身が焦がされそうだった。

 雪が溶けて、屋根から落ちる音がする。


「では、どちらに行かれるのですか?」


 左喩がにっこりと笑顔になりながらも質問を重ねてくる。


「……」


 今から最近仲良くなった同級生の女の子とクリスマス・イブのディナーに出かけてきます……とは、なかなか言えなかった。


 どうにか誤魔化そうと思考を巡らす。


「……その、クラスの男子と……ご飯を……」


 咄嗟の嘘を発してみるが、左喩の顔を見返せば、なぜかにっこりと笑みが濃くなる。その笑みは無言の圧力のようで、毎回この笑顔を浮かべられると魁斗は非常にムズムズと心が落ち着かなくなる。息が詰まり、取り繕ったり、逆らう気力が削がれてしまう。


 ぐっ、と呻いた魁斗は、訂正するように口を開く。


「その、同級生の女の子と……ご飯を」


「はぁ……なるほど……色気づいたんですね」


「いや、そんな……色気づいたとかじゃ……」


 魁斗の言葉を聞きながら、左喩は目線を切る。斜め下を向いて、そして唇を尖らせていく。


「今日は……わたしとお母さんでクリスマスケーキを作る予定だったんです。みんなで楽しくクリスマス・イブのパーティーをしようと思っていたのですけど……そうかぁ、魁斗さんいないのですかぁ……そうですかぁ……」


 圧力だ、圧力をかけられている……だけど、そんな話は聞いていない。


「イ、イブにですか? クリスマスパーティーは明日じゃ……」


 左喩の両目がすがめられる。眉根も真ん中にきゅいっと寄せられて、機嫌悪そうに、


「だから、イブのパーティーって言ってるじゃないですか。我が家のクリスマスパーティーは二日間あるんです」


「そ、それは……知らなかったです……」


「……言ってなかった、わたしが悪いんですけどね」


 どう考えても不貞腐れ気味だった。いつもは柔らかい目つきが、ちょっと尖っている。


 これは、自分も謝っておくべきだ……。


「いや、その……自分もクリスマスパーティーのこと、ちゃんと確認しなかったのが悪かったと…」


「そうですね」


 非を認めたら、即答されてしまった。


「……すいませんでした」


「べつに魁斗さんが謝る必要はないですよ。参加するのは個人の自由ですから」


 にっこりと微笑まれるも、それがかえって恐怖を感じる。


「あの、左喩さん……怒ってます?」


「なんでわたしが怒るんですか? 怒ってないですよ?」


 口許を手で覆い隠して、うふふと上品に笑う。


 さっきから笑顔の裏側になぜか般若のお面のようなものが見える気が……。


「そ、そうですか……ならよかったです」


「はい。まったくおかしなことを言いますね、魁斗さんは」


 あはは、うふふ、あは、うふふ、と笑い合うが非常に居心地が悪い。空々しい笑い声が玄関の天井にこだましたとき、左喩が言葉を続ける。


「明日の分もケーキを作る予定なんですけどね。魁斗さんのぶん、ぜーんぶ食べてしまっていたらごめんなさい」


 笑顔で告げられるも、やはり言葉の裏には棘がある。いや、見逃してはいけない。言葉にも棘があった。その棘が心臓深くまで突き刺さり、鋭い痛みを脳へ伝えてくる。そして、ついには左喩の背後に見えていた般若のお面が睨みつけてきた。


「だ、大丈夫です……あの、それじゃあ、おれ行きますね……」


 これ以上この場にいることが耐えられない、と思った魁斗は、左喩に背を向けて玄関の扉を開く。すると後ろからは、あっ……と寂しげな声が聞こえてきた。


「魁斗さん」


 左喩に名前を呼ばれて、動きを止める。

 ビクビクしながら振り返ると、思ってもみない顔をしていた。

 自分の思い上がりなのかもしれないけど、左喩は肩を落とし、顔を悲しげに俯かせ、両指を胸の前で合わせていた。


「その……なるべく早く帰ってきてくださいね……」


 揺れる瞳とともに、か細い声で伝えられる。いつもよりも弱々しい姿が瞳に鮮明に映り込んだ。


 胸が張り裂けそうだった。


 なぜ……おれは左喩さんや累と過ごさないで、風花ちゃんのもとへ向かうのだろう? 


 そんな考えが頭によぎる。

 自分で決めたイブなのに、あんなに意気込んでいたのに、なんだか心がもどかしい。


 あの二人よりも風花ちゃんの方が大事なんだろうか……。


 それを考えると、頭がかち割れそうなほど痛くなった。


 頭がズキズキする……心臓も痛い……なんだ、これ……。


 だが、約束は約束だ。自分は誘いに乗ったのだし、体はいち早く風花のもとへ向かいたいと急かしてくる。この感覚がなんなのか、よくわからないけど行かないわけにも……。


「はい……」


 とだけ答え、閉めきる瞬間まで左喩の顔を見ながら玄関の扉を閉めた。

 左喩はこちらを見ながら、ずっと瞳を悲しげに揺らしていた。

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