第五章 クリスマス前 ⑦


 イブ当日の朝。

 学校へ向けて歩いているが、地面から伝わる衝撃が股間まで上がってくる。


 痛い……まだ、痛い……。


 若干足を広げ、痛みを堪えながらよたよたと歩き進めていると、累と校門前でばったりとはち合わせる。待っていてくれてたのかと少し期待したが、累は驚いたように目を大きく見開いていた。


 この反応は、おそらく自分を待っていたものではない。たまたま鉢合わせた、そんな反応だ。


 それでも挨拶しようと片手を上げるも、累は顔を背け、反応を返してくれない。


 やっぱり、おれを待っていたわけではないな……。


 確信し、手を下ろす。顔を見ると、うっすらとだが目の下が赤らんでいる。


 昨日あの後、もしかして……泣いた、のか?


 固まりかけていると、累が先に校門を通り抜けていく。大急ぎであとを追い、累の隣に追いつく。自分でもわかるぐらいに不器用な笑顔を浮かべて明るく話しかけようと試みる。が、


「……っ!」


 魁斗は息をのんで立ち止まる。

 枯れきった冷たい瞳がこちらに向けられたからだ。


 立ち止まった魁斗を累は冷たくねめつける。それは今にも心を凍りつかせるような、恐ろしいほど冷ややかな視線。心が相当凍えてしまった。

 

 累は、そのまま近寄るなオーラを発動。久しぶりのひりひりした感覚を味わい、魁斗は追尾を止めた。


 今、近づくのはヤバい……。


 累が先に校舎へ入ると、魁斗は十五分くらい寒いグラウンドで立ち尽くした。





 ※※※





 そんな状態で授業を受けて、昼休み。

 最近は時々、累や好たちも交えて昼ご飯を食べたりするのだが、今日は累と好は参加しなかった。おそらく累が断ったのだと思う。明らかに距離を取られており、累は自分の席で禍々しいオーラを放ちながら、惣菜パンを激しく食い散らかしていた。


 それを横目に見つつ、はぁ……、と魁斗は深いため息をつく。

 弁当のおかずを口に運ぶが、美味しいはずの左喩の手作り弁当が喉を通らない。買ったイチゴ牛乳で無理やり食道へ流し込む。それを繰り返して、どうにか食した。


 こんなに美味しくないと感じた昼飯ははじめてだ……。


 教室の掛け時計を見ると、午後一時を回りかける頃。次の授業までは二十分程度ある。なんとか話しかけて関係を修復したい。魁斗は弁当箱をスクールバックに納めて、累の席を見た。だが、席に累の姿がない。


 えっ……もしかして逃げた……?


 累に避けられ続け、思考がネガティブ回路に陥る。


 絶対逃げたんだ……おれのことが、嫌で。


 項垂れるように机に突っ伏した。

 隣の席で弁当を食した友作が立ち上がり、自分の席に戻るのではなく教室の後ろ扉へ向かっていく。


「友作、どこか行くのか?」


 机の上に左頬を落ち着かせたまま、魁斗は友作へ尋ねる。


「あ、えーっと……トイレ、かな?」


「……おれも行こうかな」


 連れションしようと席から立ち上がろうとする。が、


「ああっ! 違う! 違ったっ! トイレじゃなかった……えーと、ちょっと、クラス委員の用事」


 にへっと気持ち悪い笑顔を浮かばせて、友作は急いで教室を出ていく。

 

 ……だったらなぜ、最初にトイレと言った?


 魁斗は連れション仲間を失い、トイレへ行く気も失せた。もう動く元気もない。再度、机に突っ伏すと、体を脱力させて目を閉じた。






 ※※※





 しばらくして、授業が始まる一分前くらいにガラリ、と教室の前扉と後ろ扉が開かれる。前から累、後ろからは友作と、それぞれが同じタイミングで教室内に戻ってきたのが見えた。


 ん……? あの二人……。





 ※※※





「起立、礼、ありがとうございましたー」


 日直の掛け声とともに学生たちは一斉にお辞儀をする。頭を上げると、それぞれの目的地に向かって散っていく。魁斗は頭を上げると、すぐに累の席を見る。すでにスクールバックを片手に持ち、好たちに挨拶を済ませて、累は教室を出るところだった。慌ててスクールバックに教科書を詰め込むと、あとを追うように魁斗も教室を出た。


「累っ!」


 長い学校の廊下、そこを行き交う生徒たちの中で、淡い薄紅色の髪の毛を揺らすその人物の背中に追いつく。名前を呼ばれて、その人物は立ち止まり、そっと後ろに振り返ってくれた。ただし、眉を寄せて。


「なに?」


 聞こえてきたのは、冷たく平坦な声。


 だいぶ怒っているようで、見えた顔の表情は眉間に皺を集めており、両目をすがめて、わたしは不機嫌なのだ、という心の内を吐露している。近寄りがたいオーラをふんだんに振り撒いているため萎縮しそうになる。引きつりかける顔をなんとか立て直して、一度唾を飲みこむと、口を開く。


「いや、あのさ……今日のこと……ほんと、ごめん……」


 もしお互いに相手がいなかったらクリスマス・イブを一緒に過ごそうか、という二人で交わした言葉。約束ではなかったにしろ自分は蹴った形になっている。その腹いせに暴力を浴びて、実際に蹴り上げられた股間はまだじんじんと痛む。そのことに対してはやり過ぎだとは思うけど。でも、本当に申し訳なく思っている。昨日の態度を見て、今日の態度を見て、わかるとおりに累の心を傷つけてしまっている。累を傷つけたくはなかった。


 累は魁斗の謝罪の言葉を聞いて、胸が痛そうに唇を歪めた。しばらく沈黙をおいてから、そっぽを向くように小さく呟く。


「……あんたは、誰かさんとイブを過ごすんでしょ? べつに、いいんじゃない? わたしたちのは約束じゃなかったんだし。もう関係ない」


 返ってきた言葉がとんでもなく胸を刺す。痛む己の左胸を押さえて、顔を歪める。そう言い放った累自身も悲しげに顔を伏せていく。


 冬の冷たい風が窓ガラスをカタカタと叩く。校庭のグラウンドや木の枝には、薄く雪の結晶が降り注いでいる。


「それに……」


 俯いたまま累が呟いた。顔を上げて魁斗の顔を見る。だが、


「あ……いや、やっぱりなんでもない」


 すぐに目を逸らした。

 その瞬間、脳裏に昼休憩の場面が浮かぶ。

 一緒のタイミングで教室に戻ってきた累と友作の姿が映し出された。


「それに、なんだよ……?」


 自然と口が動き、問いかけていた。両目を強く開いて、累の瞳を覗く。


 なんかおれ……変だ。


「べつになんでもないって言ったでしょ」


 返ってきた累の言葉に、無性に腹が立つ。もう一度問いただすように口を開いた。


「なんだよ?」


「な、なに?」


 圧を感じたのか、累が驚いたように目を見開く。見返されるが、今自分がどんな顔をしているのか、わからない。一瞬、言うのを迷う素振りをするが、累は口を開いてくれた。


「……わたしも、誘われたの」


 ――は?


 頭が真っ白になる。一瞬、今、自分が現実にいるのか、わからなくなった。

 だが、すぐに思考を再開させる。


 友作が……本当に、実行に移したってことか……?


「友作……か?」


 おずおずと問いかける。

 累はその名前が出てきたことに対して、また大きく目を広げていく。


「え、なんで……?」


 反応を見て確信。

 魁斗は固まり、瞬きもせず、しばらくぼーっと立ち尽くす。

 窓ガラスを叩く音が激しく鼓膜に響いてくる。

 次の言葉が浮かんでこない。

 累が、俯き加減で聞いてくる。


「わたしも……行った方が、いいのかな……?」


 思考はいまだまともには働いてくれない。


「……なんで、おれに聞くんだよ」


「だって……」


 だってってなんだ。……なんだってんだよ。


「おれは関係ないだろ。お前が誘われたんだから、お前が決めろよ」


 思考が変だ。だけど、まともな答えを言ったと思う。間違っていない。

 しかし、なぜだろう。自分の声のトーンが明らかにおかしい。いつもよりも荒々しくなっている。


「……なんで、あんたが怒ってるのよ?」


 その言葉に、なぜか腹が煮えくりかえりそうになった。


「は? 怒ってねぇよ」


「怒ってんじゃん!」


「怒ってねぇって言ってんだろうがっ! ああ、そうだ、昨日聞いてきたよな? 教えてやるよ。こっちは風花ちゃんにイブのデートを申し込まれたんだよ。ちょうどよかったじゃないか。今回はそれぞれ楽しもうぜ。お前も受けてやれよ、友作の申し出を」


 口が止まらない。


「あいつはいいやつだぞ。優しいし、頼りになるし、人の細かい部分にだって気づくし、気遣いができる」


 おれとは大違いだ。


「お前もあいつのことを知ればきっと……」


 そうだ、友作……。いいやつじゃないか。背は低いけど、その分懐が広いし、気さくに話しかけてくれるし、他人を思える優しい人間だ。累の心だって、すぐに開いてみせるだろう。それはいいことなんだ。おれはずっと、それを望んでいた――


 はず――


「なによそれ……」


 累のか細い声が漏れるのが聞こえる。だけど、顔を上げられない。


 だけど――なんだ……この不愉快な気分は?


「きっと……」


 あいつのことを好きになる?


「わかった」


 気づいたときには、累は目に涙を溜めて、必死に流れそうになるのを止めていた。全身を震えさせながら拳を握り込んで、涙を流すまいと必死に唇を噛み堪えていた。


 見てしまった、こっちの胸までもが抉られるような、そんな形相だった。

 ようやく見返した両目には、悲しみ、しか見えない。


「あっ――」


 一瞬で後悔した。

 おれが累を、ああいう顔にさせてしまっている。


 さっきまでつらつらと言葉を並べていたのに、一瞬で喉が冷える。

 無言で立ち尽くしていると、累が踵を返して、駆け足で校舎を出ていこうとする。


「待っ……!」


 脚が、動かない……。


 代わりに手を伸ばしかけるが、しかし自分にそんな資格がないことに気づき腕を落とす。


 姿が見えなくなり、自分の爪先をただ茫然と瞳に映していく。

 

 

 ――なにやってんだ? おれ……。

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