第一章 沈む夕日 ④
どれくらい時間がたったのかもわからない。
夕陽の亡骸を抱きかかえ、警察や救急車を呼ぶことさえも頭に浮かばずに、ただ呆然としていると玄関から聞き慣れた声が届く。
「魁斗!!!! おばさん!!!!」
自分の名前を呼んでいた。だが、反応することができなかった。どうしても声を出すことができない。今の自分は完全に正常な機能を失ったようだった。視界の端に累の姿が映る。
累が両手で口を塞ぐ。
「噓……嘘、噓っ!!!!」
震えながら床へ膝をつき、零れそうなほどに目を見開く。
――そこから先は断片的にしか記憶していない。
気づけば累が近くで泣き叫んでいた。ともに夕陽の亡骸を抱きかかえた後、累は立ち上がってどこかに電話を掛けていた。
いつのまにか駆けつけてきた警察が声をかけてくる。
しかし、なにを話しているのかもわからない。なにも頭に入ってこなかった。目の前で夕陽にシーツがかけられて、そして大人たちによって運ばれていく。
待って――
声にならない声をあげ、運ばれていく夕陽に手を伸ばすも届かない。無情にも視界から夕陽の姿が消えていく。
もう、なにがなんだかわからなかった。
そして、目の前が、回転――
※※※
気がついたときには警察署で事情聴取を受けていた。
どうやって歩いて来たのかさえ覚えていない。
警察は自分を第一発見者として、質問を投げかけていた。部屋の外で職員と思わしき人達の会話する声が聞こえる。
「最近の殺人事件は家族関係のもつれが多いからなぁ」
「なぁ、嫌な世の中だよ、まったく……」
言葉を聞いて、沸騰したかのように頭に血が昇る。
ふざけるなよ、お前らはおれと母さんのことを何も知らないくせに。
勝手なことをいうな。
おれが母さんを殺すわけが無いだろ。馬鹿が。いっそ、お前を殺してやろうか。
気がつけば、拳から血が流れるほど強く握っていた。
怒りの感情から徐々に思考する能力が蘇り、ある記憶が頭をよぎる。
一度、自分を落ち着かせるように大きく息を吐く、そして、
「……おれが、家に帰る前に……誰かが走っていくのを見ました……」
警察官はようやくしゃべりだした魁斗に少々驚いた様子だが、本格的に事情聴取を開始。魁斗はできうる限りの記憶を呼び起こす。しかし、去って行った人物で覚えているのは身長や身なりだけだ。おそらく自分よりも身長は高かった。少なくとも170センチ以上。暗がりで顔は見えず夏なのに厚着をしていたせいで年齢や性別も不明。体格も厚着の服のせいで詳細なことが割り出せなかった。それ以上の情報が自分の中では見つからず、ひとまず事情聴取が終わる。
何時間か部屋で待機させられて、警察官が戻ってきた。
どうやら自分が犯人ではないということを確信している様子だった。魁斗は開放されることとなったが、家は事件の捜査をするため、しばらく帰れないと伝えられる。
汚れたフローリングや壁は綺麗に戻しておきます、とも言われた。
それって警察の仕事なのか? と普段なら思っただろうが、この時は、まだまともに頭が働かなかった。言われるがまま、警察官の指示に従った。
警察官に取ってもらったホテルに送ってもらい、何かわかったら連絡します、とだけ言い残され、警察官は去って行った。
ドアを開けると、ベッドが一台に傍らには小さなテレビ。どうやらビジネスホテルみたいだ。
魁斗はベッドに腰掛けると、頭を抱えて愕然とする。
あまりにも……あまりにも、いつもの日常とかけ離れた日となり、放心状態となる。そのまま黙ってしばらく俯いていると、ドアをノックする音が聞こえ、
「魁斗……?」
ドアの向こう側からは聞きなじみのある声が聞こえた。
そっと立ち上がり、ドアの鍵を開けると、累が一人悲しそうな顔で立っていた。
「累……」
名前は呼ぶも言葉は交わさず。手だけで部屋に入ることを容認し、累を部屋に入れる。
累もベッドの端に腰掛けると第一声に、
「大丈夫?」
心配そうな目で声をかけてくれる。
大丈夫なわけがない。
ただ、累の顔面も涙の跡が残っており、パンパンに目蓋を泣き腫らしていた。
お前だって目を泣き腫らしているくせに……。
魁斗は静かに首を横に振った。
「そう……だよね……」
呟くと累は視線を床に落とした。
しばらく沈黙が流れる。
とても、しゃべる気分にはならなかった。
「……おばさんのこと…」
「言うな! 今は……やめてくれ……」
受け入れがたい現実に自分の身も心も耐えられそうにない。
泣きそうになるのを必死で堪えながら累の言葉を遮る。
「……ごめん」
累は再び視線を落とした。
ダメだ、胸が痛い。苦しい。耐えられそうにない。
自然と目尻いっぱいに涙が溜まってくる。言葉を発したり聞いたりすると、はち切れそうだった。
すると、累が魁斗の頭に手を伸ばす。そっと後頭部を支えて、自分の胸に引き寄せていく。そのまま、ぎゅっと優しく包み込んでくれた。まるで、母さんが小さい頃に自分を抱きしめてくれたときのように。
頬に温かさを感じた。
ぐちゃぐちゃだった思考がひも解かれていく。
力が抜ける。
涙が今にも溢れ出しそうだった。
胸が、痛い。
暗くて重くて不愉快で苦しい、
この気持ちが、もはや爆発寸前だった。
しばらく累はそのまま黙っていた。
空白の時が満ちる。
そのあとに、擦れた声で累がそっと耳元で囁いた。
「泣いてもいいよ……」
言葉を聞いて、自分の中の固く縛られていたものが一気に開放される。
累の身体にしがみつき、
「ぐっ、っああ!! ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――――――っ!!!!」
声を上げた。
魁斗は生まれて初めて本気で、心の底から泣いた。
※※※
しばらくして落ち着きを取り戻したあと、魁斗は累に「もういいよ」と肩を叩く。累は、優しく壊さないようにゆっくりと手を放していく。
「ごめん……おまえも辛いのに……」
「っ……うん……」
返ってきた累の声も震えていた。唇を噛みしめながら、濡れた目尻を手の甲で拭う。
魁斗は累の目を見つめながら問いかける。
「いったい、なにが起きたんだ……?」
「……」
累は魁斗の目から視線を逸らし、目を伏せる。そのまま数秒間、黙り込む。しばらくして、ようやく決心がついたかのように口を開いていく。
「……今回の事件は……たぶん、普通じゃないの……」
魁斗は目を見開き、累の顔を見る。累は言うことをためらうように瞳が揺れていた。
「お前なにか知ってるのか!?」
「……」
再び沈黙。
唇を結んで、押し黙る累に魁斗は言葉をぶつける。
「なにか知ってるのなら教えてくれ!」
累の肩を引っ掴む。
自分の声が息を吹き返した。そんな気がした。
「ごめん。犯人は……わからない……。だけど、魁斗も……たぶんだけど……これから危険が及ぶ可能性が高い」
「どういうことだ?」
累はおずおずといった様子で話を続ける。
「魁斗……おそらく、おばさんを殺したのは正常な世界の人間じゃない……」
「……は?」
何を言ってるんだ……。
話が見えない魁斗は苛立ちと戸惑いが入り交じる。そんな中でも、累は続けた。
この世界には裏側があるの――
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