第四章 約束 ⑤


 気づけば、いつもの河川敷を歩いている。

 夜空を見上げ、ふと考えてしまった。


 あの席の組み合わせは、狙って……なのだろうか?


 ファミレスでのことを思い返していると、


「それであんたは大丈夫そうなの? 期末試験」


 累が質問してくる。

 思考をすぐに切り変え、魁斗は答える。


「んー……たぶん?」


「なんで疑問形なの……?」


「やってみなきゃわからないからだ」


 胸を張って答えると、はぁっと累が呆れたようにため息をつく。


 本気でおれのことアホだと思ってる……。中間テストの追試が五個もあったくせに。


 その煽り文句は心の中だけに留めておいた。


「お前は大丈夫なのかよ?」


 尋ね返すと累が腰に手を添える。ファミレスでのやり取りをもう一度試みるように、


「わたし、魁斗みたいな本当のアホじゃないもん」


 口角を上げて、再びその言葉を口にする。


「はいはい……」


 流すように返答。

 その反応が面白くないのか、累がムッと眉を寄せる。もうちょっと突っかかってきなさいよ……とかなんとかぶつぶつ囁きつつ、言葉を続ける。


「友作くんだってわたしのこと大丈夫だって言ってたでしょ? もうお墨付きなんだから。それに、テストでおおよその出るとこを教えてもらったから余裕よ」


「そう――」


 ――なんだ、と囁くように言いながら、自然と目を伏せる。


 どうやら自分が目を離していた間はちゃんと勉強をしていたらしい。……だけど、勉強後にご飯を食べる時間だってあったんだ。その時に教科書を広げて勉強の話なんてしないだろう。チラッと横目に見てみたが、二人は楽しそうになにかを話していた。


 いつかの友作が言っていた。



『――じゃあさ……おれ、累ちゃんをたまに遊びに誘ってみてもいいかな?』



 顔を赤く染めながら、真剣な顔で言った友作の言葉が思い浮かぶ。


 累は遊びに誘われたりはしなかったのだろうか……。もしかして、期末テストが終わったあとのクリスマスの日、とか……?


 想像し、妙に胸がざわついた。


「友作とさ……他にどんな話をしたんだ?」


 思わず問いかける。なんの疑問も持っていない素の目で累が答える。


「……べつに普通のことだよ? 好きな食べ物とか、趣味とか、クラスのこととか、あとは……将来のこと、とか?」


 将来?


 思ってもみない会話の内容だった。そこで累が、ふふっと無邪気に表情を緩める。


「友作くんってさ、将来看護師になりたいんだって。男の看護師さん。ちょっとなんか似合うかも。熱く語ってたよ。それに、クラスのみんなのこと……すごく色々見てるし、あいつはいいやつだって教えてくれるの。……なんだか、ちょっとあんたに似てるかも」


 あんたよりはバカじゃないけどね、と続けつつ累が頬笑みを浮かべた。


 その顔を見て、なにか引っかかった。


 まるで気になる男の子の話をするみたいに、無邪気な女の子の顔をしているように見える。


 もやりと心が曇る感覚。


 なんだ今の……。


 唐突に言いようのない自己嫌悪が込み上げてくる。


 もしかして嫌だな、とか、思ったのか……?


 信じられない感覚だった。

 たぶん、心の中では自惚れていたのだと思う。


 累の本当の笑顔を引き出せるのは自分しかいないと、心の奥ではそう思っていた。

 そんな自惚れを、おれはずっと今日まで抱いていたみたいだった。



 ――なんだよ、おれって……



 累の笑顔が周りにも零れるといいなと思っていた。

 望んでいたはずだった。

 なのに……。



 ――やっぱり、自分勝手な奴じゃないか……。



「――魁斗?」


 意識を取り戻したように、ハッと目の前を見る。

 累が不思議そうな顔でこちらを見ていた。


「どうしたの?」


 反射的に笑みを浮かべる。


「べつになんでもないよ」


 胸には小さな痛みが響いたままだった。





 ※※※





 そして、それは別れ際だった。


「魁斗はさ、今年はどうするの?」


「どうするのって……なにが?」


「クリスマス」


 累が最後の会話として展開してきたのは意外にもクリスマスのことだった。こちらを見ておらず前を向いたまま髪で顔を隠している。


「クリスマス?」


 まさかその話題が累の口から出ると思っていなかったので、まるでオウムのように言葉を返してしまう。


「なんでオウム返しすんのよ」


「あ、いや……累からその言葉が出るとは思ってなかったから……」


 それに、と魁斗は引っかかる。


 その話題を出すということは、もしかして友作にクリスマスの日に誘われた、とか?


「べつに、どうするのかなって思っただけよ。去年は……それどころじゃなかったし……。でも、それ以前はずっと……プレゼントとかケーキ、一緒に食べたりしてたから……」


 こちらを見る累の瞳が寂しげに揺らぐ。


「三人で」


 その目を見返し、記憶が蘇る。


 そうだ。去年は母さんのことがあって、とてもじゃないがクリスマスのイベントを謳歌する気分にはなれなかった。だけど、それ以前は毎年恒例のように母さんと累とおれの三人でケーキをつつき合ったり、母さんからおれたちにプレゼントが配られていた。累の大好物のお稲荷さんと唐揚げなんかも用意して、三人でクリスマスを楽しんでたんだ。


 累が意味ありげに瞳を揺らす。


 その口ぶりや目つきから、またあの頃のように過ごしたいのかな、と推測。だから、問うことにした。


「累はクリスマスの日……なにも予定とか入ってないの?」


 魁斗の質問に、今度は累が意外そうな顔を浮かべる。


「予定? なんで? べつにないけど?」


 不思議そうに、こちらを見返してくる。

 魁斗はそれを見て、すぐに返答。


「や、べつになんでも……」


 この反応は誘われてないってことか……。


 なぜか安堵している。理由はよくわからないが、少しだけ胸の中で曇っていた感触が晴れていた。


 これはいったい何なんだろう……。


 己の心臓を見る。見てもよくわからない。

 そして、当初の質問に答えていないことに気づき、口を開く。


「クリスマスの日は……たしか皆継家で家族パーティーをする予定になってるけど……」


 聞くと累が目線を逸らすように顔を斜め下に向けた。


「あっ、そう……なんだ……」


「あー……でもさ、家族でクリスマスパーティーするっていうなら、二十五日だよな。確認してないから、たぶんなんだけど。……二十四日のイブの日は空いてるんじゃないか?」


「イッ、イブゥッ!?」


 累が伏せていた顔を勢いよくがばっと上げる。声がうわずっている。なんだか、少し焦ってもいる。



 ――クリスマス・イブ。


 世間ではカップルの日とされている。あまりにも日本では十二月二十四日という日付は、恋愛的な意味を捉える人が多い。色恋盛んな高校生は二十四日を迎える前に『恋人』というのを作ることも少なくないと聞く。また、この日にデートに誘って、一気にアプローチをかける輩も少なくないだろう。


 目の前で狼狽ろうばいしている累は、おそらくそれを思い浮かべている。


 累が後ろを振り返り、ぶつぶつと「イブ、イブって……」と、唱えている。魁斗は魁斗でもう一度、思い描く。


 重ねて言うが、クリスマス・イブ。恋人の日。


 恋人のいないおれには関係ない日だけど……。


 真っ白いため息を零した。


 恋人、か……。

 さすがにこの年齢になると考えてしまう。生まれてこの方、告白したこともなければされたこともない。自分が恋愛経験に疎くて、もしかしたら見逃しているのかもしれないが、色恋のイベントが人生において全く起きてこなかったのだ。人生にはモテ期が三度くると言うけれど、おれにはいつ来るのだろう……。


 頭を悩ませる。


 紫ちゃんにこの前誘われた時には、ついにモテ期が来たのかと疑ったけど、そうではなかったし……うん、まあ、当たり前だけど……。


 再び深いため息をつく。

 もういいや、と開き直る。背中を向けている累に向かって声をかける。


「二十四日はおれ、たぶん暇だろうし。外を歩けばカップルがイチャコラしてるだろうから、出歩くのは嫌だし。なんか飯でも作って、ケーキ買ってお前んちで食べよっかな……」


 瞬間的に累が振り返った。光速の速さだった。大きな目を、さらに大きく広げてこっちを見てくる。


「嫌だったか? まあ、そうだよなぁ……。まだわからないよな? おれたちも。二十四日までにモテ期が来て、ロマンティックな展開が待ってるかもしれない」


 魁斗はグッと拳を握って空想を浮かべた空を見る。

 そんな魁斗を見て、累は半目になりながら言ってみせた。


「性欲旺盛……」


「誰が性欲旺盛だっ!」


 累が呆れるように首を横に振ると、ぽんっと肩に手を乗せてくる。


「大丈夫。あんたの性欲は無駄に終わる。一人で勝手に……」


「女の子がそんなこと言っちゃいけませんっ!!!!」


 言葉を続けさせまいと声を張り上げた。一気に喉が嗄れそうになる。周りに人が居なくてよかった。


 累は肩に置いていた手を引っ込め、口許を覆いながら笑った。そんな累に対して言う。


「じゃあ、二十四日のイブ。お互いに相手がいなかったら、お前んちでケーキと飯を食うってことで……どうだ?」


 これなら、もし友作が累を誘ってきても、どうするか決断するのは累だ。悪い判断ではないだろう。


「えっ……あうっ、うん。それで」


 累の返事がおぼつかない。確認するようにもう一度口を開く。


「じゃあ、そういうことでいいんだな?」


「……う、うん。そういうことに、しとく……。そ、それじゃ」


 累が別れの挨拶を口にする。踵を返すと自宅アパートに向け、どんどん足を踏み出していく。足の運びが速い。あっという間に距離が離れる。


「それじゃ……」


 すでに遠く離れているが、累に向けて片手を上げる。たぶん、もう聞こえていない。そのまま振り向くことなくズンズン進み、累の姿が見えなくなる。


「……」


 手を下ろした。

 

 気のせいだっただろうか? 

 去り際に見えた口許が、微かに微笑んでいたように見えたのは。

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