第五章 クリスマス前 ①


 クリスマスまで、あと一週間強。

 明日からの土日を挟んで、来週から始まるテスト週間を乗り越えたらクリスマス・イブ、そしてクリスマスの日を迎える。


 金曜日の昼休み。

 魁斗は昼飯で満たされたお腹と、ここ最近の疲れで強烈な睡魔に襲われていた。


 放課後に開催されるテスト勉強。家でも左喩に勉強の教示を受け、テスト対策はばっちりではあった。しかし頑張りすぎて脳はオーバーヒート中。ぷす、ぷす、ぷす、と壊れたロボットみたいに頭からは見えない煙が上がっている。右頬を下にして机に突っ伏し、窓の方を向いて昼休みの名の通りに休息をとる。外はひゅるひゅると冷たそうな風が吹いていた。


 昼休みということもあって教室内にはだべっているクラスメイトが多く、あちこちから声が飛んでいる。しかし、それが一瞬静まり返る。主に男子のやかましい声が止んだ。


 なんだ……? 


 魁斗は窓ではなく教室内を見渡すために首を回旋。左頬を下にして閉じかけていた目蓋を開く。


 教室の後ろ側、出入り口にクラスメイトの視線が集まっている。

 魁斗も同じように視線をそちらに向けた。目に映ったのは一人の女子生徒。

 この教室のクラスメイトではない。隣クラスの女の子だ。

 ただし普通の女の子ではない。超絶美少女。


 左喩と校内の男子人気で二分するほど美貌の持ち主・村雨風花がそこには立っていた。

 他の生徒と見比べたら、やはり彼女の姿は一人だけ浮き上がっているように見える。

 長い手足やすらりと伸びた背、透き通るような肌。すべてが廊下を行き交う他の連中とは違っていた。

 

 改めて、村雨風花という存在の異質さを、魁斗は強く意識する。


 廊下の窓から射し込む淡い光を浴びた美貌がじっとこちらを見ていた。長い脚を内股気味にして、手を後ろに組んでいる。


 顔を見ると、その柔らかそうな唇を緩めていく。

 

 そして風花は、教室と廊下の境界線を跨いで我がクラスに侵入してきた。

 跨ぐ際に綺麗な長い足でぴょんと跳ぶ。飛び越えると両足で着地。丈の短いスカートがひらひらと翻る。教室内にいた男子生徒たちは一様に「おおーっ!」と声を漏らし、どよめきのようなものが湧いた。「見えた?」「くっそ、見えなかった……」「それより風花ちゃんがこの教室に入ってきたぞ……」と、男子生徒たちは耳打ちをし始める。


 風花は周りの目など気にせずに、そのままふわふわと体重を感じさせない足取りで魁斗のすぐ傍まで近づいてきた。そのまま後ろ手で上半身だけをズイッと前に傾けて、はにかむ。


「こんにちはっ」


「……こんにちは」


 魁斗は机に左頬をくっつけたまま挨拶を返す。すると風花が目線を合わせるようにしゃがみこんだ。魁斗の机の上に両腕を乗せて、その上に顎を乗っける。いたずらっぽく小首を傾げて、こちらを見る。


 うぉっ! ち、近い……。


「ど、どうしたの?」


 急いで頭を起こした。ちらりと周りを見ると教室内にいる男子生徒どもが鋭い視線を送っている。


「ねぇ、魁斗くん……」


 質問には答えず、風花は問いかけてきた。


「期末テストの対策はどう?」


 期末テストの対策……? わざわざ世間話をしにきたのだろうか?


 疑問に思うも、魁斗は正直に答える。


「ばっちり」


 言うと風花は少しばかり意外そうな顔で口を開放するも、すぐに口許を引き締めた。


「そうなんだ。よかったぁっ」


 よかった……? なにが?


 チラッと風花が周りを見渡した。そして、ただでさえ近い距離なのにもっと顔を寄せてくる。口許に手を添えて、声をひそめて、こそこそと風花の問いかけが続く。


「明日ってなにか予定ある?」


「予定? 特に、ないけど……」


 そして、デジャヴを感じる。


 あれ? なんだかこのパターン……前にも……。


 風花の艶を帯びた薔薇色の唇がゆっくりと微笑みの形を作った。


「じゃあ大丈夫だねっ!」


「え?」


 続けて風花が言ってきた。


「デートしよっ」


「……はぃ?」





 ※※※





 現実なのだろうか、これは?


 魁斗は肩にちらちらと舞い降りてくる雪を払い除けつつ、片手をポケットにつっこみ、街灯に寄りかかる。先日、紫と待ち合わせをした場所と同じだった。


 こんなことってあるか……? いや、でも駅前に集合するのってよくあることか……。


 上空から弱々しく降ってくる雪を眺めつつ、昨日の教室でのやり取りを思いだす。









 結局、昨日は「……はぃ?」って言った後、風花が人差し指をちょん、と唇に当ててきて半ば強制的に口を閉ざされたまま「はい、言質はとりました。じゃあ、また明日ねっ!」と言って、教室を出ていった。


 そのあとが大変だった。


 風花が出ていった後に男子生徒に囲まれて、執拗に質問を迫られたのだ。「なにを言われたんだ」とか、「なんか誘われてなかったか」とか、質問攻めにあった。だが、「期末テスト頑張って乗り切ろうねって言われた」その一点張りでどうにか誤魔化し続けた。


 納得している雰囲気ではなかったけど……。


 家に帰ると風花からメールが一通入っていて、デートの場所と時間が記されていた。特に予定がないと言ってしまった手前、今さら断るのもなんだか悪い。それに左喩と双璧をなすほど人気を博している風花からのデートのお誘いだ。断る理由がないし、断ってしまったらこの先、自分にはこのような青春イベントは二度と起こらないのではないかと想像して不安になった……というのは建前で、男として、かなり嬉しかったのだ。だから、メールには『了解』と書いて送信した。









 そして今日。

 紅月魁斗はここに来たのである。


 もしかして、人生で三度はあると言われているモテ期が本当に来たのかもしれない……。先週の紫ちゃんの件は、ただの相談だったけど……まあ、あの子がおれとデートなんてありえないしね。だけど今回は、相手側から間違いなくデートだって言われたのだから、デート……なんだろう。


 すでに少し浮かれている。いや、だいぶ浮かれている。

 スマホで時刻を確認すると、午前十一時五十分。待ち合わせの時間はちょうど昼時の正午十二時。自分は三十分前には到着していた。


「いくらなんでも来るのが早すぎた……」


 ひとり、空を見上げて、寒さに耐えながら白い息を吐く。


「あっ、魁斗くん! 来るの早いねーっ。ごめんね、待った?」


 女子の甘くて甲高い声が聞こえる。

 見上げていた顔を下ろした。少し離れたところから風花が手をふりふりと振りながら近づいてくる。


 瞬間、氷のようにカチンと緊張が入った。


 目の前には本業はモデルです、と言っても誰も疑わない、むしろしていない方がおかしいと思える女の子が居る。明らかに、ここ一帯の周囲の明度を何段階か上げている。眩しくキラキラと輝いて見えるスマイル。服装からして、自分とは別次元の人種。


 魁斗は思わず、まじまじとその服装を見てしまう。


 オトナ女子を感じさせるダークな黒のロングコートに黒に近いダークネイビーのカラーニット、そして黒色のスキニーデニム。クールでかっこいい全身黒コーデ。風花の身長、スタイルだからこそ成せる究極のコーディネートだった。


 さらに首元にワンポイントでゴールドのネックレスをつけており、ラグジュアリーな雰囲気を醸し出している。斜めがけにした赤いポーチのショルダーストラップが、程よい大きさの胸を強調させている。


 なんか、すごい。風花ちゃん……大人な感じだ……。そして、いい匂いがする……。


 のぼせそうになりながら見つめていると、風花が服の袖を掴んで、ぐっと身を寄せてきた。肘に程よい大きさの胸が当たる。


 うわっ! げ、現実か、これ?


 全神経が肘に集中及び解析。


 左喩さんよりは小さくて……累よりは大きい……。


 体はいまだ氷のように固まっているが、頭の中はぽわぽわと黙考。


「ごめんねぇっ。外で待っててくれたんでしょ!? 寒かったよね? どこかのお店の中で待ち合わせにすればよかったね」


 風花は魁斗の袖にくっついたまま、申し訳なさそうに輝いて見える瞳で覗いてくる。途端に緊張が倍増。


「だ、だ、だだい、だ、だいじょぶぅ……」


 どもってしまった。

 そんな魁斗の受け答えでも、風花は眼差しを笑みに緩めてくれた。


 ……やっぱり美人と会話するって緊張する……。皆継家に暮らすことになって、左喩さんに慣れるのにもずいぶん時間がかかったしなぁ……。


 思い返していると、風花が言葉を続けてくる。


「とりあえずご飯食べにいこっか。魁斗くんはエッグベネディクト好き?」


「はぃ? エッグ……なんだって?」


「エッグベネディクト」


「エッグバナディクト?」


「エッグ、ベネ、ディクト!」


「エッグ、ベネ……ディクト?」


「うん、知らない?」


「知らない……」


「えーっ、うっそ! 知らないのっ!? 魁斗くん、いつの時代の人なの!? すっごい美味しいのに! ニューヨークでは朝食で食べられてるんだよ。スライスしたパンの上にハムやベーコン、ポーチドエッグをのせて、上からソースをかけたやつ!」


 なんなんだ、そのおしゃれそうな料理は……? 


 アホみたいに口を半開かせていると、「ほんとに知らないんだ……」と風花が信じられないものを見るような目でこちらを見る。しかし、すぐさまにんまりと笑みを浮かべ、


「魁斗くんが嫌じゃなかったら食べに行こうっ」


「え、うん。たぶん、嫌じゃないよ……なんだっけ? えっと、エッグバナナディクト?」


「エッグベネディクト!」


 すぐさま言い直される。


「エッグべネディオーサー?」


「……いや、なにかの呪文みたいじゃないそれ?」


「え、そう? エッグ…」


 もう一度言い直そうとするも「もう! 行こっ!」と風花に腕を引っ張られて、そのままお店の方まで連れて行かれた。

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