第四章 約束 ③


 紅月魁斗の学校の成績は平凡である。


 しかしそれは努力を覚えた頃からの話だ。元々の成績は真ん中よりも遥か下。

 そして、学生たちを悩ます壁がついに、すぐ目前にまで迫っていた。


 ――期末テストだ。


 クリスマス、そして冬休みを無事に迎えるためには、この難関を乗り越えなければならない。


「ヤバいと思うんだ、今回……」


 真剣な顔つきで目を細め、周りに囁くのはこの物語の主人公を一応担っている男、魁斗。


 机をつき合わせて、その周りを囲むように八名の生徒が物々しく着席している。


「ああ、でも魁斗……大丈夫だ。……おれもヤバい」


 そう言ってくるのは普段からつるんでいる男友達のひとり、小笠原おがさわら

 バカさ加減は魁斗と同等か、それ以上。ロン毛気味で目にかかる前髪を優雅に払いながら目を細めてその言葉を返してくる。


「ほんとか? ……なら、よかった」


 魁斗は小笠原と目を合わせ、安心したようにコクリと頷き合う。一瞬にして仲間意識がより強固となった。


「なにもよくねぇだろ。バカか、お前ら」


 呆れたように物申すのは魁斗のクラスメイト、南原友作みなみばらゆうさく。ちなみに魁斗と同じように普段はバカなことを言っているが、実は友作の学校の成績は悪くない。むしろ優秀であり、クラス委員長を担っているほどだ。


「勉強……しよっか」


 クラス委員長の補佐役。つまりはクラスの副委員長を実は担っている恵京好えきょうこのみが周りに向けて言う。この子も勉強は割とできる。


「……」


 そして、好の隣には静かに亜里累あさとるいが着席している。もともと恥ずかしがり屋な性格の累は、人数が多いと自分から発言することがまだ出来ないようだ。俯きがちに目を床に伏せている。


「うちらも実はヤバーい」


「ねー」


 ちなみに女子-ズも座っている。


「優弥くんはどうなの? 成績いいほう?」


「ぼくは普通かな。平均点あたり」


 どこまでも地味だ。成績までも。


「そっか、じゃあ、まあ……教える側なのかな?」


 好が友作の顔を見る。


「うーん、保留」


 保留にされる。そして、優弥は忘れ去られるのだろう。

 好が隣にいる累を見る。


「累ちゃんは、どう?」


 顔を伏せ気味だった累はゆっくり顔を上げると好に向けて、


「わたし? わたしは……通信簿、あまり見ない」


 論外な発言をした。


 何で通信簿見ないの……?


 不思議に思っていると好が苦笑いを浮かべて続ける。


「えっと……じゃあ追試は? 追試は取ったことある?」


「……ある」


 累が少し恥ずかしげに答えた。


 追試……そういえば累は、おれが中間テストの追試を受ける時に教室に居た。年齢が上がるにつれて成績を見比べることをするのをやめたけど、小・中学生の頃の累の成績はべつに悪くなかった。おれの成績表だけを見て母さんが引きつり笑いを浮かべていたのを覚えている。だから、累はそんなに頭は悪くなかったような……。


「なるほど……」


 好は苦笑いのまま顔を友作に向ける。互いに目を見交わすと、友作は腕を組んで、目蓋を閉じた。


 これは……と、続けて口を開いていく。


「放課後、勉強だ――」





 ※※※





 夕陽が沈みかけ、真冬の外の空気は凍りつくように冷たい。風がないのが唯一の救いで、道行く人々もみな、顔をしかめて足早に歩いていく。


 そんな中、八名の学生たちは身を寄せ、背中を丸めて、「うおおっ!」「さみぃー」「ありえないんだけどぉ~!」「……」「みんなぼくのことおいていかないで!」と、ろくな会話を交わさず、競い合うように街灯の照らすアスファルトの道を小走りに進んでいく。そして目的の場所が見えると、飛び込むみたいにまばゆい光を放つガラスの扉を押し開けた。


「うっはぁぁぁあ、着いたぁ~」


「あったけぇ~!」


「マジありえない寒さだったんだけどぉ~!」


「ちょっと待ってみんな!? ぼく、まだ中に入ってないよ! 扉閉めないでく…」


「……」


 ガシャンと最後尾の人が扉を閉める。


「ちょっと累さんっ!」と、ガラス越しに優弥が焦ったように叫んでいるが、累はそのまま店内に入った。


 学校からおよそ十分。国道沿いのファミレス。

 店内に一歩入るなり、強いエアコンの熱気で身体の冷えは徐々に正常な状態に戻される。あったか~いと微笑み合いながら、暖気に息をつき、入り口でたむろっていると、


「おい、お前ら。他のお客さんたちの迷惑だ。はやく空いてる席に座ろうぜ」


 こういう時にリーダーシップを爆発させる男、友作が適切な指示を出す。


「あっ! でも、ちょっと待って」


 その補佐に回る好が周りを見渡しながら言う。

 店内を見れば、人で大半の席が埋まっていた。

 空いているのは、ソファー席と二人掛けのテーブル席のみ。ソファー席は三人ずつ詰めれば六人で座れそうだ。


「これ……どうする?」


 好が友作の顔を見る。

 うーん、と顎を引き、悩むように友作は腕組みをした。数秒考えたあと、顔を上げる。


「みんなの中間テストでの追試の数で割り振る!」


 友作はまず魁斗を見た。


「おれは中間テストの追試は二個」


 次に小笠原を見た。


「おれ三個」


 次に女子―ズの山際から河野。


「わたしは二個」


「同じく二個」


 遅れて店内に入ってきた優弥を見た。


「ぼくは追試を取っていないよ」


 腰に手を当て、歯を見せながら誇らしげに言う。


「……おまえは、ほっといてよさそうだな」


 ほっとかれることが決定し、ガーンと優弥は顔を歪ませる。


 最後に累を見た。


「ご、五個……」


 もじもじと恥ずかしがるように腹の前で手を擦りながら言った。

 その場にいる全員の顔が固まった。

 そして、うろたえる。

 全員の頭に思い描いた感想はこうだった。



 ――えっ! この子、思ったよりもアホの子だった!?





 ※※※





「よし……これでいこう」


 友作と好が作戦会議を終えたらしい。指示を待っている一同に振り返ると、どこの席に座るかを友作が告げる。


「ソファー席の方は好が担当する。メンバーは魁斗、小笠原、優弥、山際、河野」


 中途半端なアホたちが集められたみたいだ。優弥はたぶん、ほっとかれるだけなんだろうけど……。ん? ちょっと待て、ということは……。


 思った瞬間、友作が続けて告げる。


「累ちゃんは、おれとマンツーマンで勉強」





 ※※※





 それぞれの席に座ってから、五分程度時間が経った頃。


「へぇ~ちょっと見てこれ。牡蠣のクリームパスタだって、美味しそぉ~」


 河野がメニュー表を開いて期間限定メニューを指差す。


「ほんとだぁ、美味しそう~」


 目を輝かせ呑気に返事しながらメニュー表に視線を落とす山際。


「いいねぇ~パスタ。おれもそれにしよっかな」


 女子ーズの発言に乗っかるロン毛気味の小笠原。


「ぼくは…」


「ちょっとみんなぁ! なにしに来たのっ!? ご飯はあと! まずは勉強!」


 優弥の声はかき消され、このグループの監督を務める好が声を上げる。


「でもさぁ、ドリンクバーだけじゃあさ……」


 小笠原がごねようとするが、好は目を吊り上げてソファー席に座っている全員に尖った双眸を向ける。


「ご飯はあとっ! まずはやるべきことをしましょう!」


「や、でもさぁ……」


「し・よ・う・ね!」


「は、はい……」


 好がテーブルに手をついて身を乗り出す。そのまま小笠原に顔を迫らせ、圧力をかけて、無理やり頷かせていた。


「さ、まずは勉強しよっと……」


 流れるロン毛をかき分け、小笠原は今さらながらいい子ちゃんぶって、好に聞こえるように呟きながらテーブルの上に教科書を並べていく。


 そんなグループ内の様子を魁斗は一つも見ていなかった。

 ソファーの通路側に座っている己の目は、この席から遠く離れたテーブル席の方に向いている。


 聞き耳を立ててみても周りの客の話し声で累と友作がなにを話しているのかわからない。ただ見ている限り、会話はしている。


「……」


 はたから見ても、累は緊張しまくりで友作に声をかけられ、ぎこちなく返事を返している様子だった。それでも、楽しげに友作は笑っている。


「……」


 見ていて、なんだかとても不思議な気分になった。


 いつも外食をすると、だいたい自分のそばに座っていた累が、今は少し離れた所で自分ではない人と向かい合って座っている。そんな累と友作の姿が、まるで初めて見る知らない人たちのように思えてきたのだ。いまだに累は緊張が解けていないが友作の顔を見つめて気遣うように自然と微笑みを浮かべ始めている。目を覗き込んで、気遣わしげに、呼吸のタイミングを読もうとしているのが見てわかる。累は友作に対してもきちんと向き合い、人と人とが繋がり合っていくように、少しずつ一生懸命に寄り添っていっているみたいだった。友作もそんな累の緊張をほぐそうと笑顔で声をかけている。


「……」


 そして、なるほど……と、思った。

 知っている二人だとすれば、不自然な組み合わせに見えるのだが、知らない二人だと思えば、累と友作は自分が思っているよりもずっとお似合いに見える。そう思うくらいに、二人は相手をおもんばかるようにして笑い合っている。


「……」


 しかし、どうにも腹が据わらない。

 落ち着かずに貧乏ゆすりが発動。テーブルの裏面に膝がガンガンとぶつかる。手で膝を押さえつけて貧乏ゆすりを止めると、もう二人を見まいと視線を外した。


 どこを見ればいいのかわからないまま、彷徨わせた眼球を目の前のテーブルに向ける。自分で取ってきたドリンクバーのコーヒー。それを持ち上げ、口に含んだ。


 砂糖とミルクは入れたはずだった。


 だけども、なんとも苦い味だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る