第四章 約束 ②


 あっ、でもそういえば……と、魁斗は記憶を辿り、無礼にも左喩に対抗。


「左喩さんだって、おれがお風呂に入ってる時にノックもせずに扉を開けたじゃないですか?」


 言及したのは暁斗との戦闘後のこと。皆継家に帰ると智子に風呂へ入るように促され、流されるまま風呂に入ったら左喩が前触れもなく風呂場のドアを開けたのだ。あれには大変驚いて飛び跳ねた。


 言葉を聞いて左喩はぱちぱちと目を瞬かせる。記憶を呼び起こすように顔を上げると、数秒間が空く。そして、ようやく思い出すと、


「あれは親切心です。魁斗さん戦闘で傷ついていましたから……それに」


 こてんと不思議そうな表情で首を傾げる。


「恥ずかしいのですか?」


 本気で尋ねているようだった。


「恥ずかしいですよ!」


 間髪入れずに返した。

 しかし、なぜか左喩は不思議そうな表情をしたままだ。


「えっ、左喩さんだって恥ずかしいでしょ? だから、あんなに怒ったんじゃ……?」


 聞いて左喩はもう一度目をぱちぱちとさせる。

 そして考え込むみたいに、うーんと思案顔を浮かべた。


 恥ずかしくないの……?


 そう思った時、左喩が返事をする。


「わたしが怒ったのは驚いたからで……いや、でもちょっと待ってください……それじゃあおかしい……恥ずかしいと言えば、恥ずかしい……のでしょうか?……うーん……」


 返事の途中で迷い、もう一度考え込む。


「……」


 なんで恥ずかしいって即答しないんだろう、この人? 


 いまだに左喩は頭を悩ましている。


 ……もしかして、あのエロ親父のせいで貞操観念がおかしくなっているのだろうか?


 左喩はようやく答えが出たのか、目をぱっちりと開けて、結んでいた唇を開いた。


「あ、もしかしたら――」


 にっこりと左喩が目を細めながら、こちらを見つめてきて続きの言葉を伝えてくる。


「――魁斗さんになら、見られても平気なのかもしれません」


「……えっ」


 魁斗は大口を開け、ポカン、と固まる。


 そ、それは、いったいどういう……。


 見つめ返すと、左喩は口の端を上げて、


「冗談です」


 甘くて意地悪な声で呟いた。


「……」


「ほら、魁斗さん見てください。すごい吹雪いてきましたよ」


 左喩が窓の外を見て指差しながら言う。

 言われるがまま自動的に体を動かす。雪はたしかに吹雪いていた。猛吹雪だ。しかし、頭の中では全く別のことを考えてしまっている。


 左喩さんがお風呂に入っている時、扉を開けてもいいのかな……。





 ※※※




 

 一度、こたつを離れた左喩がお盆を持って戻ってくる。お盆の上には急須と湯呑、そして、何個か積まれたみかんが乗っていた。


 さすが左喩さん。こたつと言ったらみかんだよな……。


 こたつの中に入れている両手を静かに叩いて、左喩に賛辞を送る。


 誰かさんとは違う……。


 脳内で薄紅色の髪の少女を思い浮かべる。おそらく今頃、くしゃみでもしているだろう。あの家にはみかんはなかった。


 左喩は腰を下ろすと湯呑にお茶を淹れてくれ、こちらに差し出してくれる。


「はいどうぞ、魁斗さん」


「どうもありがとうございます」


 受け取り、目を落とすと湯呑からは熱そうな湯気が立ち昇っている。

 フーフーっと息を吹きかけ、少し冷ましてからズズッと飲む。


 その様子をなぜか微笑ましげに見られており、左喩が笑顔のまま口を開く。


「魁斗さんはおじいちゃんになっても、ずっとそのままな気がします」


「……うん?」


 反応に困る。しかし、左喩は頬を緩ませている。


「えーと、それって……いいんですか?」


 当惑とうわくしながら返答すると、左喩は目尻を下げながら頷いた。


「はい。魁斗さんにとってはわからないですが……。たぶん、わたしは……魁斗さんには、そのままでいてほしいっていう……願いです」


 その答えに、さらに首を傾げる。


 ちょっと意味がわからなかった。


 左喩はそれ以上の言葉を続けず、淹れたお茶を眺めると、ズズッと口に含んだ。





 ※※※





「どうぞ。魁斗さん」


 しばらくお茶を飲みながらまったりしていると左喩がなにかを差し出してくる。目を向けると、そこには白い筋をひとつも残さず丁寧に剥かれたみかんがあった。花びらのように剥かれたみかんの皮の上にそれが乗っけてある。


「あっ、みかん。ありがとうございます」


 ありがたく頂戴すると、ぱくっと口の中に入れた。

 甘味と酸味が程よくみずみずしい。


「うん、美味しいっ。やっぱり、こたつにはみかんは必須ですよね?」


「ふふっ、わたしもそう思います」


 上品に口許を隠しながら、くすくすと笑い賛同してくれると左喩もみかんを食べ始める。


 その姿を見ていると、なんとなく想像してしまう。


 こういうふうに左喩さんとは歳を取って。やがて、おじいちゃんとおばあちゃんになっても今と変わらずに同じように過ごしているような気がする。累と一緒にいた時にもイメージが湧いてきたが、左喩さんともそんな未来が想像できてしまう。それは、自分が普段から左喩さんと老夫婦みたいなやり取りをしているからだろうか?


 とめどない空想に揺られていると、


「ときに魁斗さん」


 名前を呼ばれる。そして、


「今年はどうするんですか?」


 妙に澄んだ声。

 だが、聞いた魁斗はなんのこっちゃわからない。


「えっ、と……なにがです?」


 頬を掻きながら質問を返すと、左喩がすぐに返事を返してくる。


「我が家のクリスマスパーティーです」


「……えっ、クリスマス……あー」


「あー、じゃありません」


 ぷくっと頬を膨らまし、左喩が唇を尖らせる。


「一年に一回の、一大イベントですよ!」


 続けて発される言葉。左喩にとっても大事な行事みたいだ。


 だけどクリスマスをどう過ごすのか、自分はまだなにも想像していなかった。

 悩みつつ答えを探していると、みかんの皮をいじる左喩の手が止まる。顔を少し俯かせて、物憂げな表情を浮かべる。


「まだ……心は冷えていますか?」


「え?」


「……その、去年は、魁斗さん誘ったんですけど、断られましたから……クリスマスパーティー」


 語尾に向かうにつれ徐々に声が弱くなっていく。顔は俯かせたまま、目だけをちらちらと動かしこちらを伺う。


「それどころじゃなかったっていうのは理解してます……。魁斗さんが酷く傷ついていたことも……。でも……その、よければ、今年は……魁斗さんも我が家の大事な一員ですので……。……べつに無理にとは言いませんが……参加してくれるとわたしは嬉しいので」


 聞いて、心臓が大きく跳ねた。


 ヤバい。今、自分は冷えるどころか、熱が……。


 顔が、身体が、心臓が熱くなっていく。

 思わず左胸に手を当てた。

 拍動がヤバいくらいに早まっている。


 おれはこの家に来てから、皆継左喩の熱のこもった眩しい光に照らされている。


 心は、この人のおかげで温められている。


 答えはすでに決まっていた。


「今年は……よかったら参加させてください。皆継家のクリスマスパーティー」


 魁斗は眩しい光を返すように微笑み返した。

 返事を聞いて、左喩は太陽のように笑顔が眩しく光る。


「もちろんです! 今年のクリスマスは温かくて、楽しくて、それでいて……みんなハッピーなものにしましょう! ね、魁斗さん」


「はい」


 嬉しそうに左喩はまたみかんの皮を剥いていく。

 眩しいその人を眺めながら、強く思う。


 その隣に並び立ちたい。いつかきっと、この人と。

 

 太陽と月のように――

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