第一章 雪月 ⑤


 そんなに時間は経っていないと思っていたのに、いつのまにか空には夕暮れの気配が漂い始めていた。


 冬だから陽が落ちるのが早いんだな、と視線を遠くの夕陽に向けていると突如として強風が吹きつけてくる。


「おお、さむっ」


 思わず声を漏らすような骨まで染みる冷たさ。

 魁斗は先を歩く累の後ろ姿を見る。


 なんでニットしか着てないんだよ、こいつ。


 自分よりも薄着で体の線が細い累を見て、寒くないのかと心配になる。


 手袋だけじゃなくて上着も着させとけばよかった……。


 思うと同時に体は動き出す。巻きつけていたマフラーを外すと背後から累の首にひゅるっと引っ掛ける。「うぷ」と前に進んでいた累が若干首を絞められて声を漏らすも立ち止まる。苦しくないように以前よりも少し伸びた髪の上からふんわりと巻きつけてやる。累はなにをしてくれているのかわかった様子で、なにも言わずにされるまま、そのまま待っている。首の後ろで団子結びにして、できたぞと伝えるように累の背中をトンと叩く。それを合図に待っていた累は再び歩き出す。魁斗の体温つきのマフラーをすりすりと頬にすりあて、温もりを感じるように目を細めた。


 そして、魁斗はスース―と冷える首筋に思わず肩をすくめる。

 急にさらされた肌が冷たい。少々やせ我慢をしつつ、寒くなんてないぞ、と背筋を伸ばす。

 前を歩く累はマフラーに鼻まで埋めていく。


 ……なんか、また匂いでも嗅いでるんじゃないだろうな?


 そんな魁斗の心配をよそに、累は顔の下半分を埋めて肩をすくませた。


 なんだ、やっぱり寒かったんじゃないか。


 魁斗は累の隣に並ぶと息を合わせるようにして歩く。吐く息が白く、二人分の白い息が立ち昇り、やがて重なる。

 

 そのまま歩き進めていると横断歩道の信号につかまり、累はマフラーにさらに顔を埋め、目を閉じると小さく足踏み。足から伝い這う寒さを踏みつけているみたいに寒げな様子だった。肩をすくめ、一度唇を結ぶと、ゆっくりと息を吐いていく。


 魁斗は思わず笑いそうになった。


「そんなに寒いか?」


 伏せた長いまつげが開けられて、瞳は前へ向く。

 ほんのりと寂しそうに累は答える。


「……寒いの。どうしようもなく」


 瞳を揺らがして、なにか言葉に意味を込めたように真剣な顔だった。いったいどうした……という疑問よりも、心配が勝ってしまった。


「そんな寒いのかっ!? ほらっ、お前これ着ろっ!」

 

 魁斗は来ていたダウンジャケットを急いで脱ぎ累に渡そうとする。しかし、累は服ではなく魁斗の顔をちらりと見てから、


「嘘だよ」


 いたずらっぽく言うと、口許を緩ませて、するりと微笑む。


「おまっ……な、なんだよ……」


 もう一度ダウンジャケットを急いで着た。脱いだら寒かったのだ。

 信号が青に変わる。


「お前、ほんとに寒くないのか?」


「大丈夫だって、ほんとに寒くない」


 もう一度着てしまったが、やはり心配だった。だが、累は本当に心配はいらないとでも言うように少し笑う。


 見つめ返すと、横断歩道を渡り始める。


 二人してポケットに両手を突っ込んで、並んだ互いの隙間は握りこぶし一個分。手を繋いだりはしなくても、累は決してそれ以上は離れなかった。魁斗が肩を丸め、歩く速度が遅くなっても、時々そっと瞳を光らせ、歩くつま先をそろえてくれた。





 ※※※





 累の自宅アパートに着くが、物凄く寒い。


 さすが、築五十年。建物が古いからなのか、それとも壁が薄いからなのか、部屋の中が寒すぎる。


 寒さに震え、暖房を入れようと壁に貼り付けられたリモコンのスイッチを押すと、古いエアコンが唸りを上げる。エアコンは頑張ってくれているようだが、しばらく経っても寒い。


 天井を見ると、チカチカと今にも切れそうな豆電球。

 よくこんな中で生活していられるな、と思う。


「累、こたつは出さないの?」


「……なんだか出すのがめんどくさくって」


 累はひょうひょうと告げた。


 嘘だろ……こんなに寒いのに?


 薄々感じているのだが、累は家事能力があまりないのではないかと予想している。一緒に暮らしていた時も調理の手伝いをしているところなんか一切見たことがないし、皿洗いや掃除、買い物などもほぼ母さんがこなしていた。累が家事をしているところをそういえば見たことがないのだ。


 ちょっと聞いてみるか……。


「なぁ、累。お前って料理できるの?」


 その言葉に累は心外だとばかりに眉を寄せる。


「失礼ね、わたしだって料理ぐらいするわよ」


「ほんとか……? たとえば?」


「カップうどんに油揚げを入れてきつねうどん」


 ポカンとアホのように口が開く。思ってもみない回答。

 

 それは料理と言える代物なのだろうか……?


 眉を寄せ、加えて質問する。


「他には?」


「カップラーメンに油揚げを入れてきつねラーメン」


 頭が痛くなった。

 予想はたぶん当たっている。こいつは、おそらく料理があまりできない。

 

 頭を抱えながら顔を俯かせる。


「なんで頭を抱えるのよ!? 言っときますけどちゃんと料理してますぅ~」


 累の発言は極めて怪しいが、ひとまず、この話は終わらせることにした。

 それよりもやっぱり寒い。


「はいはい、わかったわかった。それよりも手伝うからこたつ出そうぜ」


 座布団から立ち上がると、こたつの準備に取り掛かった。準備といっても仕舞ってあるこたつ布団を出すだけ。普段使いのちゃぶ台にすでにヒーターがついているから、天板を持ち上げたらこたつ布団をかける。これだけでこたつが完成。


 なにがめんどくさいんだ、これの……。


 魁斗はスイッチを入れる。こたつ布団に埋もれるようにして入る。スイッチを入れたばかりで、まだ温もりはこたつ内には広がらない。


「ほんとに寒くなかったのか? 今まで」


 向かいに座っている累に話しかける。


「べつに……寒くないわよ」


 言いながらガタガタと体を震わせている。


 やせ我慢じゃねぇか……。


 こたつの中でやっと暖気を感じるようになり、「あぁ~」とか唸りつつ、二人して息をついた。


 改めて冬が来たなぁ、と感じる。


 温かくて、なんだかほわーんとする……。


 魁斗は体をダレさせながら、口を開く。


「こたつってさ、入ってるとやっぱ眠くなるよなぁ」


 こたつあるあるド定番の会話を投げる。


 同じように累も体をふにゃふにゃにしてダレさせていた。


「……そうね」


「みかんとかないの?」


「ない」


「えー買えよ、時期だし」


「嫌よ、だって爪が黄色くなるもん」


 なんだ、その理由は……?


「おれが今度剥いてあげるから」


「……じゃあ、買っとく」


 なんの変哲もない会話をしつつ、ほのぼのしすぎて本当に眠たくなってくる。ウトウトと魁斗は思わず前かがみ。天板にデロン、とだらしなく体を預けると、ぐでんっと足を投げ出すように伸ばした。その足先がむゆっと累の内ももに当たる。


「……ん」


「えっ」


 累は漏れてしまった声に顔を赤らめて、口元を押さえる。じろーっとこちらを睨みつけながら、


「ちょっと、あんた足伸ばしすぎ……」


「ご、ごめん」


 指摘される。

 

 魁斗は伸ばした足を急いで引っ込めて胡坐をかいた。

 

 な、なんだ、今の声は……。









 しばらくこたつで暖をとっている時だった。

 魁斗同様に天板に頬杖をついている累が唐突に口を開く。


「ねぇ、魁斗……。今日、わたしの家に泊まらない?」


「……は?」


 思わず目を剥いた。


 唐突になにを言い出すんだ、こいつは……。


「だから、わたしんちに泊まりなよ」


「え、なんで?」


 さっきの変な声の流れで、なぜそんなことを……。


「なんでって……」


 累が一度照れたように瞳を落とす。

 訳がわからず、魁斗はクエスチョンマークを頭上に浮かばせるようにして首を傾げた。


「こうやって……一緒に家でのんびりするのって久しぶりじゃない……」


 ……もしかして、さみしいのだろうか。


 確かに、おれは母さんの事件後から皆継家でずっとお世話になっていて、極端に累とは長い時間を過ごすことが減った。でも高校生にもなったおれたちが、こんな六畳一間の狭い空間で一緒にお泊りなんて、そんなこと……。


 返答をしない魁斗を虚しそうに累は眺めて、言葉を続けていく。


「魁斗が言ってくれたんじゃない。家族なんでしょ、わたしたち……」


「ぁぐっ……!」


 自分が先月、累へと伝えた言葉が跳ね返ってくる。思わず口ごもってしまう。


 そう、だけどさ……でも、さすがに、この年齢で……。


 それに……と、累は窓の方へと振り返りながら言葉を続ける。


「窓の外、見てみて」


「へ?」


 唐突に窓の外を見ろと言われ、間抜けな返事をしてしまう。

 だが、言われた通りに窓の方へと振り返って、外の景色を見てみた。

 曇った窓ガラスの向こうは、昼食時に聞いた天気予報を大きく裏切る光景。かなりの荒天で横殴り気味に雪が地面に叩きつけられていた。すなわち猛吹雪だった。

 

 絶句した。

 

 なぜ、今になって気がついた? 

 

 己が入っているこたつを見る。


 これのせいで、ふにゃふにゃになっていたからだ……。


 窓に雪を叩きつける風の音は凄まじく、恐ろしく吹き荒れていて、窓ガラスをがたがたと揺らす。


 あれっ? ちょっと待って。これって……もしかして帰れなくないか?

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