第一章 雪月 ④


 次の日の日曜日。

 昨日同様に快晴。眩しく晴れ渡っていて、真っ青な空が広がっている。

 

 昼食時に見た天気予報では一日中快晴で雪は降らないでしょう、と気象予報士が教えてくれた。


 ならばと魁斗はダウンジャケットを着て、ぐるぐるとマフラーを巻き、玄関でスニーカーをひっかけると玄関を出た。

 

 庭に目をやると、そこには昨日作った雪だるまがまだ溶けずに元気に佇んでいた。ペットボトルの蓋にマジックで黒く塗って作ったまん丸な目がこちらを見ている。鼻はどんぐりの実。口は小枝をくっつき、さも楽しそうに笑っている。体の部分には、小石を何個かはめ込んでボタンみたいに飾り付けられている。そして、腕は木の枝を左右に一本ずつ刺しこみ、見事に大きくて可愛い雪だるまを完成させたのだった。


 昨日は楽しかったな……。


 昨日の雪遊びを思いだしつつ、「今度は……」と囁き、魁斗はまだ雪が積もっている山を降りていった。





 ※※※





 歩き続けて、見えたのは累の住むアパート。

 昨日降った雪の量が多かったのか、山ではない住宅街の平地にも思ったより雪が降り積もっている。曲がり角を曲がるとアパート前の庭でひとりしゃがみ込み、雪とにらめっこをしている薄紅色の髪の少女がいた。


 魁斗は、そーっと背後に近づいて、その様子を黙って見守る。


 亜里累は雪をじーっと眺めながら、一度ゴクンと唾を飲み込む。顔をそっと上げて、アパートの住人が出てこないかを確認。そして、住人が出て来ないとみるや、手袋もつけていない手で雪を摘まむ。そして、こっそりと口元へと運んでいく。少し赤くなった唇をそっと開けたところで、


「ぶふぅ!」


 吹き出してしまった。

 口をあんぐりと開けたまま累が後ろへと振り返る。


「なっ……か、魁斗!?」


 動揺し、摘まんでいた雪をポトッと地面に落とす。そして、みるみるうちに累の顔が髪の毛よりも濃い紅色へと染まっていく。


「お前、それ……ぶふぅっ! その雪食べる気だろっ、くーっくっくっ」


 指差して、魁斗は意地悪く笑う。


「な、なに言ってんの!? 久しぶりだから雪を近くでただ見てただけよ!」


 累は早くもヒステリー寸前。見られていたのが恥ずかしいのと笑われているのが悔しくて、荒々しく雪を蹴散らして地団太を踏む。


 かくゆう自分も初雪に浮かれて昨日雪を食べたというのに。他の人が食べようとするのを見るとなんとも滑稽に映るものだ。


 くーっくっくっ、といまだ口元を押さえながらくつくつと笑い続けていると、累が黙ったまま雪を掬ってぎゅっと強く固める。大きく振りかぶると、思いっきり雪玉を放ってきた。それを魁斗は顔面に受けると、そのままバタンと後ろに倒れた。









「痛いんだけど……」


「あんたが笑い過ぎなのがいけないのよ」


 累はむっつりとぶすったれる。腕組みをしてそっぽを向きながら、ふんっと唇を尖らせている。


 なんか、昨日から雪のせいで傷ついてばかりな気がする……。


 それでも、魁斗は減らず口を叩いてみる。


「だって、お前が雪を食べようとしていたから……」


 すぐ隣から、キンキンに尖ったつららみたいな視線が飛んできた。


 あ……うん。もう、これ以上言うのはよそう。


「なんでもないです」


 お口をチャックして、黙ることに決めた。

 しばらくすると累のヒステリー状態が落ち着いてきたのか、


「で、なにしに来たの?」


 まだちょっとだけ不機嫌そうに尋ねてくる。言葉の影にはつららのような冷たさがあるけれど、魁斗は笑顔で返答。


「累、雪遊びをしよう」


「へ?」


 きょとん、と累は首を傾げた。









 累に手袋を装備させると、近くの公園まで足を進ませる。

 歩道の隅や町のあちこちの街路樹の根元には雪が積もっているが今朝から降り注いでいた晴天の太陽に照らされて端から溶けてポタポタと大粒の雫を落とし始めている。


 こりゃ、早くしないと雪溶けるかな……。


 そんなことを考えながら歩いていると公園の入り口が見えてくる。


「よし、着いた」


 寒いからか公園内には人はおらず、ブランコや滑り台といった遊具にも雪は積もっていた。

 皆継家の庭みたいには雪は多く降り積もってはいないが、公園内は脛あたりまでは積もっている。


「ぎりぎり……いけるか」


 魁斗は顎に手を添えて、目を細めながら公園を見渡す。


「なにが?」


 累は魁斗の発言の意味がわからず、さっさと魁斗の考えていることを発表させようと問いかけてくる。


 意味深な顔で累の顔を見ると、


「累、おれたちが小さい頃、雪が積もったときにはなにをして遊んでいたかを覚えてるか?」


 逆に累に問いかけた。


 問われた累は腕組みをして眉を寄せる。わかりやすく思案顔を浮かべると、


「雪合戦?」


「それもしたな……でも違う」


「雪だるま?」


「それも作ったな……でも違う」


「……そり?」


「それもやったなぁ……でも違う」


 あれ……これ全部、昨日したな。こいつどこかで見てた?


 一瞬、恐怖を覚えたが、累は大真面目な顔で考えている。ただの偶然らしい。


 他にはなんだ? と、累は熟考するも答えが見つからない様子。


「累……」


 魁斗はドヤ顔で名を呼ぶ。

 そして、びしっと人差し指を累の顔へ向けて言った。


「かまくらだよ」









 とりあえず公園の砂場あたりに周辺でかき集めた雪を積んでいく。雪の山を二人して作っていくのだが……


「ああっ! もう、ほらぁ、ちゃんと雪を固めろよ、せっかく積んだのに崩れるばかりじゃんか」


 魁斗はクドクドと言い放つ。

 累は、ぽふぽふと手袋をはめた手で作る小さく脆弱な山を眺めて言った。


「無理じゃない? この雪の量だと」


 累は早くもあきらめ気味だった。たしかに雪の量は思ったよりも少ない。今朝からの太陽の熱で雪が溶けてしまっている。しかし、累は律儀に雪山の前にしゃがみ込んで動かしている手は止めないまま、ぺたぺたと雪の山を盛り上げていく。手袋で雪を掬っては山に乗せ、叩いてならす。だが、手つきはまだ慣れてないようで、ぽふぽふと弱々しく叩くため、


「あー」


 すぐに雪崩が起きる。


「おい、もうちょっとガシガシと男らしくやれよ」


 魁斗は力強く叩いて手本を見せるように山を固めるが、


「わたし、男じゃないもん」


 ぽふっ、ぽふっ、と相変わらず慣れない手つきで弱々しく山を固めていく。そして、雪崩が起きて崩れ落ちてしまう。


「あー」


「おいっ」


 そういえば、こいつ結構不器用だった。やる気の問題もあるだろうが、昔もかまくらはほぼおれが作ってたっけ……。


 魁斗はため息をつくと、あきらめてスローペースで作ることにした。

 黙ってただ作業を繰り返しながら、不意に累を盗み見てみる。


 一応、真面目には作ろうとしている。また雪崩が起きてるけど……。


 今度は累の顔を見た。

 雪までもが白く映るような顔。透けてそのまま消えてしまいそうな肌だった。寒さのせいか、鼻の頭だけは赤みを帯びている。


 そんな累を眺めて、魁斗は首を傾げて思った。


 なんか前よりも生気が薄い……か?


 それは、ただの自分が思った感覚に過ぎない。現に累は今日も元気におれの顔面に全力投球で雪玉をぶつけてくれた。ただ、なんとなく。なんとなくだが、先月の累の一件から、妙になにかが変わった気がする。


「累……」


 自然と名前を呼んでいた。


「なに?」


 累はこちらに目を寄越さずに、黙々と雪の山を作っている。


「お前さ……あれからなにか変わったことはないか?」


 問いかける。


「……変わったよ」


 返事をした累は手を止めずに雪を掬って、山の上に乗せる。雪崩が起きて、また崩れる。


「それは…」


 身体のこと含めて聞こうとしたのだが、


「強がることをやめたの」


 魁斗の言葉にかぶせるようにして答える。そして、手を止めて顔を上げ、こちらをじいっと見つめてから淡く微笑んだ。


「いまのわたしは丸裸」


 ジョークのつもりか、両手を広げて首をちょこんと傾げてみせる。


「……」


 誤魔化された。だが、追及ができなかった。累の顔を見て、なぜだかわからないが、それ以上は聞いてほしくないという意図を感じてしまった。


「あっ、雪……降ってきた」


 しっくりきていない魁斗の顔から累は目線を外し、空を見上げた。

 空から雪が降り、累はそのまま舞い落ちてくる雪の空に目を凝らす。

 手袋を外して、両手を凍える空へと伸ばした。

 口を閉ざし、目も閉ざし、指を開いて、確認するように雪を受け取る手のひらは、白くて、細くて、儚くて、なんだか薄氷うすらいのようだった。


 手に触れた雪が溶けていくように、二人で交わした言葉が、色鮮やかな思い出が、累が、溶けて消えていってしまうような悪寒がした。


 そんなわけないと首を振り、再び見ると雪だけが水の粒になっていた。

 なぜだか、ほっと息をつく。

 そして、改めて累の姿をよく見てみると白色のふんわりニットの恰好で、胸元には三日月のネックレスが金色に光りながら揺れている。アウターやマフラーなどは着けていない。


 その恰好じゃ寒いだろう……。


「帰るぞ、累」


「え、でもまだ、かまくら出来てない…」


「また時間がある時に作ればいい」


 すくっと立ち上がると、累に手を差し伸べる。


「あんたが作ろうって言ったんじゃん」


 累は顔を上げると手を伸ばす。その手を掴むとそこにはたしかに累は居て、引っ張り上げることができた。


「あーあ、何しに来たんだか」


 などと言いながら、累はぶつぶつと先を歩いていく。


 その後ろ姿を見て、なんだか置いて行かれそうな気がして。

 急いで累の背中についていった。

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