第一章 雪月 ⑥


 左喩に電話をかけた。

 山の方も猛吹雪で帰るのは危険だと伝えられ、今日は友達の家に泊まるということにして電話を切る。


「……」


 魁斗は黙って、もう一度吹き荒れる窓を見た。

 ゴォッ、と一際強い風が吹き、窓ががたがたと揺れる。


 それを眺めながら、少し前の出来事を振り返った。



 一度は帰ろうと試みて外に出た。だが、瞬く間に降り積もった雪は歩みを進ませようとしても対抗し、進ませまいとなんどもなんども沈んでいく。さらに、向かいから吹き付ける猛吹雪に押し戻されるように、なかなか前には進めなかった。


 傍らで心配そうに見ていた累が、


『無理だよ。こんなんで山に登れるわけが無い、死ぬよ』


 その一言で帰ることを断念した。



 「……」

 

 そして今、シャワーの水音が鼓膜の奥を震わせている。


 やばい、なんか想像してしまう。

 

 ただいま累が入浴中。

 家族といえども同い年の女の子が風呂に入っている。しかも、見た目に申し分はなく、家族というメガネを外すと、はっきりと美少女と言える。


 風呂場のドア付近には薄布で一応仕切られてはいるが、薄い布の向こう側では累が衣服を脱ぎ丸裸になって、さらしている肌にシャワーを浴びている。


 この状況でなにも想像しない男はいないだろう。

 おれは思春期真っただ中。


 ただ、以前まではこんなにもドキドキはしていなかったはずなんだけど……。


 魁斗は湧き上がってくる雑念を消すために晩御飯を作ることにした。

 ひとり用の冷蔵庫を開くと、中には意外にも食材が入っている。

 卵一パックにセールシールが付いた鶏もも肉に豚バラ肉。そして油揚げ。

 やっぱり油揚げは必ず常備してんだな、と思考を徐々に雑念から料理へとシフトしていく。

 段ボールの中には玉ねぎが二個とジャガイモが三つ。どうやら人のいい大家に時々野菜をもらうらしい。台所と冷蔵庫の中身を見たが調味料は限られていた。醤油と塩、塩コショウ、砂糖、あとはマヨネーズしかない。


 普段どういう料理を作ってるんだろう?


 疑問に思うが、この限られた品と調味料でなにを作ろうかと頭を悩ます。

 そして簡単にスピーディーに作れるものを選択。

 卵と鶏もも肉。そして玉ねぎを取り出した。


 魁斗は台所に立つと、まずは米を研ぐ。慣れた手つきで研いだ後は内釜を炊飯器本体に入れ、早炊きのスイッチを押した。


 そして、いよいよ調理を開始。

 まな板の上の玉ねぎをトントンと薄切りにしていたら……


 がらっ。


 風呂場のドアが開く音が聞こえた。


 もう出るのか? と思っていたら、薄い布の向こうで累の声が聞こえてくる。


「なんかトントン聞こえるけど、なにか作ってるの?」


「ん? ああ、親子丼を作ってる」


 魁斗は雑念など一切感じていない素振りで、落ち着いた口調で返した。


「やった、久しぶりに手料理だ」


「……いつも、作ってんじゃないの?」


 薄い布越しにビクッとする気配を感じた。


「……まぁ、ときどきね」


「そうですか」


 ツッコんでいくと、なんだか長くなりそうなので、魁斗は調理に集中しようとする。が、累が続けてくる。


「ねぇ、魁斗。あんたってそんなにご飯作るの得意だったっけ? この前も『生姜でポカポカ、卵雑炊』を作ってくれたし」


 料理名を覚えてくれてる……。


 若干感動した。


「……まぁ、もともと料理には興味あったしなぁ。それに左喩さんが『最近は男の人も料理できた方がいいですよー』って言うから、色々と教えてもらってるんだ」


「ふーん、あっそ……」


 相槌がちょっと冷たい。スン、と会話が一度途切れる。


 なんなんだ、この間は……?


「魁斗」


 間をおいて累がなにか思い浮かんだのか、再び名前を呼んでくる。


 まだ、なんかあるのか……?


「なに?」


「想像してる?」


「は?」


 ほやーんと一瞬、布の向こう側の累の姿を想像してしまった。


 細くて華奢な身体。だけど、少しは女性らしくなってきたヒップラインからの太もも。無駄な脂肪の無い引き締まったウエスト。しかし、残念なことに胸にも脂肪は行き届かなかったようだ。慎ましい、たいへん慎ましいのだがハリがあって形の良さそうな薄い胸。露出した首もとから綺麗に浮き出ている鎖骨。滴る薄紅色の濡れた髪の毛。熱気に潤んで揺れる瞳。きめ細かくて水気を含む吸い付くような滑らかな肌。だが、頬だけはお湯の温度に上気し赤く染まっていた。


 水の滴るいい女。それは、とても綺麗だった……って、ちがうちがう!


「バカッ! おまっ、変なことを言うなよ! それより、もう風呂あがるのか!?」


「まだ」


「まだかよ! なにやってんだ!? じゃあ、早く湯船につかって芯から温まってきなさい!」


「ねぇ」


「なっ、なんだよ」


 動揺して口が上手く回らなくなってきた。舌が猛烈に攣りそう。


「久しぶりにさ、一緒にお風呂入る?」


 口にはなにも含んでいないはずなのに、ブーッと何かを吐き散らし、そして盛大にゲホゲホと咽かえった。


「あ、あほか、お前はっ!」


 叫ぶ。

 風呂に入っていないのにずいぶんと体が熱い。顔は凄まじく火照っているし、たぶん真っ赤だ。


「なんで? 昔は一緒に入ってたじゃない」


「いつの話してんだ!?」


「中学校にあがる前までは一緒に入ってたかなぁ……」


「小学生の時の話だろ!」


「……わたしの体に興味深々だったくせに。おっぱい触らせてって言って来たのはどこの誰だっけ?」


 魁斗は動揺を隠せない。紛れもない事実だからだ。


「あ、あれは、その……子供だったから、しょうがないだろ。……好奇心旺盛だったんだよ……忘れろ!」


「今はもう、その好奇心はないの……?」


「……」


「ねぇ、もう興味なくなっちゃった?」


「……」


 累の茶化しが止まらないため、黙り込むことにした。


「……嘘だよ、バカイト」


 捨て台詞を吐いて、がちゃんとドアが閉まる音がした。そのあと再びシャワーを浴びる音が聞こえてくる。


 あいつ浮かれてんのか、なんなのか知らないが、絶対に変なテンションになってる……。


 ふうっと大きく息を吐く。

 首を左右に傾けコキッ、コキッ、と音を鳴らす。

 意識を料理に移していくと、止めていた手を動かし調理を再開させた。


 しかしその時、風呂場から、ちゃぽんと音が鳴るのが聞こえてくる。湯舟につかったみたいだ。


 今、累は湯舟に……浸かっている。顔に流れる水滴を手で拭いながら、リラックスした表情で、きっと浴槽の縁に足を乗せて……。


 また想像しかけていた頭の中を散らすようにぶんぶんと強く振る。煩悩を紛らわせた。

 

 なにを想像してるんだ、おれは……。想像するな……調理に集中しろ。


 意識を玉ねぎに戻し全力で薄切りにした。

 玉ねぎを切り終わったあとは、鶏肉を二センチ角に切る。

 ガスコンロに火をつけ、フライパンを温めながら油を敷き、鶏肉を炒めていく。鶏肉に色目がついたらひっくり返して、玉ねぎも投入。程よく炒まってきたところで醤油を水で適当に薄めて、フライパンの中へ投入。この家はみりんも無いため、適量の砂糖を入れて混ぜる。砂糖は入れ過ぎないように注意した。


 玉ねぎからも甘味が出るだろう……。


 ぐつぐつ煮立ってきたらいったん火を止め、かき混ぜた卵を回し入れる。火を弱火にするとフライパンに蓋をして、しばらく待機。かたことかたこと、とフライパンの蓋が鳴る。卵が固まったくらいのタイミングで蓋を開けて中を確認。ほわん、と湯気とともに煮汁の香りが広がる。


 うん、美味そうだ。


 がらがらっ。


 今度こそ累が風呂場から出たみたいだ。

 しばらくすると、バスタオルで水気を含んだ髪を拭きながら、ごく自然な足取りで累が近くへ寄ってくる。


「なに作ったの?」


 水が滴っていて妙に色っぽく感じたが、魁斗も自然な態度を装い答える。


「言っただろ、親子丼。丁度できたところだから、髪乾かしたら食べようぜ」


「うん」


 どうやら変なテンションは一旦落ち着いたみたいだった。

 累は髪を乾かすために洗面台の方へ向かっていく。やがて、ぶおーん、とドライヤーの音が聞こえる。


 五分くらいかな……。


 今のうちに包丁やまな板を洗っておいた。洗い終わって手を拭いていたら、ちょうど累も戻ってくる。

 ふわっと漂う風呂上がりのシャンプーの香りと累の匂い。

 その二つが合わさり、魁斗の鼻先をそよいでいく。


 あっ、なんだかいい匂い……。


 おっと、いかんいかんと首を振る。煩悩は料理とともに振り払ったはずだ。

 魁斗は置いてあった丼の皿にご飯を盛り、その上に具を乗せると、すでにこたつ入って待機している累に渡す。


 受け取った累は心底嬉しそうな顔を浮かべていた。

 その顔を見て、魁斗も嬉しく思う。


 また、よく表情が出るようになったな……。


 スプーンも二つ取り出して、湯呑に麦茶を注いでから天板の上にコトッと置く。

 そして、ようやくこたつに入って、さぁ食べよう、と手を合わせた時、向かいに座っている累がこちらを見て、にんまりと微笑みを浮かべた。


「なんかさ、こういうのって夫婦…」


「また、変なテンションに戻るな」


 わかりやすく累が浮かれている。それは嬉しいのだが、また先ほどのようにしつこく茶化してくるかもしれない。魁斗は警戒し、冷静な面持ちで返事を返した。


 累が、むっとした表情で睨み返してくるも、魁斗は構わず「いただきます」と手を合わせて親子丼を口にする。


 魁斗の反応が面白くなさそうだが、累も両手を合わせて「いただきます」を言ったあと、親子丼を食べ始めた。向かいで顔を綻ばせながら幸せそうに親子丼を頬張る累の姿を眺めてほのかに幸せな気分になる。


 累と夫婦……ねぇ。

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