第五章 金毛九尾 ③


 大禍時おうまがとき

 雲が影って、空が泣き始める。

 大きな雨粒が打ちつけるように降り注ぎ、体を弾いていく。


「っつぁあ――!」


 雨音に消えていく悲鳴にも近い甲高い声。

 累の放った手刀も、蹴りも、突きも、何もかもが全て躱されていた。


 ありえない速度で相手の懐にもぐりこむも、まるで予想をされていたかのように彩女が掌底を放ち、まともに鳩尾に喰らう。


「――う゛っ!」


 たまらず膝をついた。

 呼吸が止まり、両手が地面につく。

 こうべを垂れて、はぁ、はぁ、と肩を大きく上下させながら、必死に酸素を取り込む。


 地面に伏している累を彩女が見下ろし、右手に持った小太刀を掲げてその背中に突き刺そうとする。


 累は背中越しに危険を察知すると、すぐに体を横に転がしながら、どうにか回避。

 だが、表情にはもう余裕はない。


 反して彩女はいまだ、余裕の笑みを浮かべている。


「どうした? 攻撃が当たらないぞ、限界か?」


 肩で息をしている累に、笑って言い放つ。

 累は返事が返せずに、地面に手をついたまま、相手を睨みつけて呼吸を整えていく。


「同じ里出身でも、その程度か?」


 彩女の挑発が続く。その挑発にはもはや、なにか意図があるような気さえしてくる。


 累はすぐには声が出せず、ぎろりと鋭い視線で返す。

 しばらく呼吸を整え、すうっと大きく息を吸って吐くと、ようやく言葉が発せられるくらいまでは落ち着いた。そして、


「いい、わよ……」


 息も絶え絶えにそれだけを言うと、目蓋を閉じていく。


 お望みなんでしょうよ、彼女は。

 だから、いいよ。見せてあげる。


 言葉は発さず、彩女に返答する。


 そして、心の中で念じるように、強く想う。


 まだ、ダメだ。

 もっと疾く。

 もっと圧倒的に。


 自分の身に宿る、なにかに、そっと語りかける。

 それは、世界を傾かせる力を持っている。

 真っ黒な増悪が閉じ込めていた、化け物へと続く、

 その扉を開かせた。


「現せ――金毛九尾きんもうきゅうび

 

 囁く。

 

 数秒後に異変が起きた。

 体内から溢れ出る熱波。凄まじい蒸気が寒空に噴き上がる。

 数瞬のうちに累の薄紅色の髪の毛が金色に染まっていく。

 そして、怒涛のエネルギー反応を感知。

 頭部からは狐の耳、腰辺りからは九つの金色の尻尾が生えて、どこか禍々しいオーラを携えて妖狐が宿る。


 今にも人間を化かしそうな、狡猾な邪悪さを含み、妖狐が笑ったかように累の口角が上がっていく。


 莫大なエネルギーを伴う。

 それこそ自分の寿命を犠牲にしているかのように、生気が徐々に蝕まれていく感覚。 

 なにかが奪われていくような、こぼれて落ちていくような、溶けて消えていくような、そんな感覚さえもある。


 多分、この力は、あまり使うのはよろしくないのだろう。

 自分でもよくわからない。

 生まれながらに、ただ宿っていて、存在には気づいていたが、ずっと呼び起こさずに、奥底に眠らせていたのだ。どんな反動があるのかも知りはしない。


 でも……今は、力を貸してもらう。

 


 ――目の前の女を叩きのめすために。





 ※※※



 


 累の変貌を彩女が両目で凝視した。

 その顔に浮かぶのは明らかに畏怖の念だった。

 だが、それと同時に思い浮かんだのは、ようやく訪れた災いを祓う機会。


 挑発した甲斐があった、と心の中で思う。


 しかし、相手から発されるあまりに禍々しい霊的な放射体。その雰囲気に吞み込まれそうになる。威圧感で、思わず目をしぼませて、しばらく体が凍りついたように固まる。


 その静寂を吹き飛ばすように、累は小さく声を漏らした。



「――堕鬼怨だきおん



 そして、光速を超えた――


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