第五章 金毛九尾 ②

 

 笑みを浮かべたまま、累は獣のように身を屈める。

 四肢に力を込めていく。

 犬歯を剥き出しにして、鬼のような眼となる。



 ――鬼迅化きじんか



 物理的な技名ではない。

 隠里に伝わる力だ。

 流れる鬼の血を四肢に伝えていく。

 両手両足の爪がわずかに鋭く伸びていく。伸びた爪は水晶のようにぎらりと輝く。熱くて荒ぶったエネルギーが全身を駆け巡る。

 ただ、全体の見た目はほぼ先ほどまでと変わりはない。


 だが……。

 まさしく、閃光――。


 凄まじい脚力を活かし、地面を蹴り上げると、光のような速さで瞬く間に彩女の目の前まで迫る。普段の累の動きのさらに倍速。


 右手を手刀に構え、刺突。彩女はそれを完全に避けることができない。脇腹を抉るように鋭利な爪が切り裂いていく。


「くっ……!」


 彩女の脇腹は裂かれ、血が宙に舞った。だが、通過していった累の腕にめがけて、すぐに小太刀を振るう。


 しかし、小太刀が迫る前に累は右腕を引いた。今度は左脚を振り上げ上段蹴りを繰り出す。側頭部にまともに当たり、彩女の小さな体は軽々と飛ばされていく。だが、彩女は空中で身を翻すと両手、両足で衝撃を吸収するように地面に降り立った。


 彩女が顔を上げ、状況を確認する間もなく、累は数メートルを一気に跳躍。それを見て、すぐさま十字手裏剣を放つも、累は空中でコマのように身を翻して体を回転させて、手裏剣を避ける。そのままの勢いで放たれたのは瞬撃の後ろ回し蹴り。振り向きざまの体の回転を乗せて、蹴りを繰り出す。右脚の踵を彩女の顔面へと食らわした。弾けるように、首から先行し彩女は真横に吹っ飛ばされ、バウンドしながら地面へと倒れていく。


 倒れた彩女の姿を見て、累が不敵に笑う。


「あれ……? 光速を超えないと攻撃は当たらないんじゃなかったっけ?」


 彩女の挑発に対して、まるで返すように、煽るようにして言い放つ。


「……」


 彩女が立ち上がるまでしばらく待つ。


 そうして、待っている間に彩女の両手の指先にも鋭利な爪が飛び出した。

 自らの爪で口元を覆っていた布を引き裂くと、犬歯を剝き出しに、鬼のような眼を向け睨み返してくる。

 漂う気配が先ほどまでと変化した。


「そうだな……訂正はしない」


 言い放った、その瞬間、彩女がつむじ風のように距離を詰めた。


 ――鬼迅化きじんか


 使ってるな、こいつも……。


「条件はもう一緒だ」


 囁かれると同時に、小太刀を上から斜め下に薙ぐように片手をぐんっと伸ばした。


 ――はやい……!


 彩女が攻撃を受けた脇腹、同じ部位を小太刀が斬り裂いていく。


「――っ!」


 ぱっくりと開いた脇腹から血が弾け、宙に浮いた。


 彩女は反対の手に持っている小太刀を逆手から順手に変え、突きを放つ。心臓をめがけて刃が迫りくる。


 累は小太刀を払うように右手を手刀に変え、刀身の腹を叩いた。

 彩女の手から、小太刀が跳ね飛ばされる。が、しかし彩女は冷静にエモノを放棄。空いた手を手刀に変えて、鋭利な爪を累の喉元に向け、放つ。



 ――鬼手閃光きしゅせんこう



 累は懸命に相手の技を避けるように、顔を右へ傾けさせる。通過していった彩女の手は喉元をわずかに掠っていき、皮膚が裂ける。ツーッと首筋から一筋の血が流れた。


 心拍数が瞬間的に上昇。

 ドクン、ドクンと高まり、背筋が凍るように冷汗が出る。


 あと数ミリずれていたら、ヤバかった……。


「チッ……」


 躱されたと見るや、彩女から舌打ちが漏れる。


 累は左手の五指を鉤爪のように曲げて、鋭い爪で引っ掻くように彩女の顔を狙う。

 だが、彩女は距離を離すように、累の胸を左脚で蹴って押し込むと、そのまま後方へ跳躍。その際に加えて右脚を振り上げ、累の側頭部に上段蹴りを食らわす。


 視界がぶれるように、頭が揺れると海辺にそのまま吹っ飛んでいき、水しぶきを上げながら転がって、やがて止まった。


 ……同じようにやり返された。


 彩女は空中でくるくると後転し、地面に着地すると、左手に小太刀、右手を鉤爪のように構え、累を見据える。

 

 倒れた累は仰向けのまま、大の字になり海に浮かぶように身体を脱力。天を仰いだ。

 視界がまだぶれている。

 見上げた空は雲に覆われて真っ黒になっていた。


 また、身体がびちょびちょだ……。

 

 服が肌にはりつき、不愉快な気持ちになる。

 ざばっと水音を鳴らしながら体を起き上がらせると、ダバダバと服から海水が落ちていく。雨と違ってべっとりとしていて気持ちが悪い。

 せっかく魁斗に乾かしてもらった髪の毛も再び水分を吸ってぺったりと額や頬、首筋にはりついてくる。

 立ち上がり、両手を広げ、しばらく滴り落ちていく水を眺める。


 ぴちょ、ぴちょ、ぴちょ、ぴちょ……と落ちていく水滴が水面に弾く。


 秋も深まっている中の海。とても冷たかった。

 さらに海風も相まって、余計に寒い。

 だが、まだ心は冷えていない。

 胸のなかは、真っ赤な血が沸騰しているように熱い。


「……そうこないとね」


 相手も隠里に伝わる異能の力を使用している。

 身体能力が向上し、反応速度も俊敏性も向上、倍速になっている。


 累は顔を上げると彩女に視線を移す。



 ――隠里彩女かくれざとあやめ



 たしか、わたしよりも一つ下の十五歳だ。

 わずか十三歳で忍術皆伝を受けた才女。暗殺術も戦闘能力も申し分ない。そして、次期里長を務める者。


 こいつを倒せれば、両親を殺した相手だって倒せる腕がわたしにはあるのだろう。


 ――ザパァンッ!


 飛沫を上げて、水面を蹴るように累が走り出す。まさしく、海の上を走っているようだった。相手の瞬きの瞬間に、ありえないスピードで累が駆けた。


 ぐぐっと身を屈めて、弾丸のように迫る。前傾気味の低い姿勢で突っ込んでいく。が、鋭くブレーキをかけてぎゅっと止まる。彩女が反応し、左の小太刀を振るうも、累はふっと体の力を抜いて上半身を起こし――ククンッと小刻みに体を振りながら躱すと、滑るように彩女の背後に回る。左脚で強く地面を踏みしめると、右脚を後方へ振り上げていく。


 彩女は右手にはめている手甲で防御しようと試みるが、すでに遅く。累の蹴りを食らった。小さな背中に衝撃が走るも、前転するように着地をする。しかし、顔を上げた瞬間、累の足先が顔面に迫る。今度は見事な後転でそれを避ける。累の鋭い蹴りは彩女の前髪を掠め、はらりと数本、力なく地面に落ちていく。


 彩女はそのまま後ろの軸足を踏み込み、小太刀を振るった。だが、超速のまま累は体重を地面にすとんと落として躱すと高く上がる鋭い二段蹴りで彩女を討とうとする。顎を砕きにかかるが、それもバク転で華麗に避けられ、着地したと同時に小太刀を構えてこちらを睨みつける。


 ……ほんとに、さすがね。


 内心は相手の強さに悔しいが称賛に値すると思ってしまった。

 だけど、すぐに気持ちを切り替える。


 里の人たちも、

 その者たちの考えも、

 わたしと……わたしの家族に、行ってきたすべての行為は許さない。


 再び、拳に力を込める。


 もう一度、累は攻め入るが、彩女は様子を見ながら後退り、攻撃は当たらない。

 攻撃を避けられた瞬間に彩女が小太刀を横薙ぎに振るう。


 そのカウンターを待っていたように累は足を払うと彩女の小さな体が宙を舞い、背中から地面に衝突する。その隙に累は動きを封じ込めるように彩女の体の上にのしかかる。


 彩女は跳ね上げようとするが、累は抵抗し必死に有利な態勢を保持。小太刀を持っている手を掴み、地面に叩きつけた。左手から小太刀が離れると、彩女を上から見下ろすように鋭く睨み、


「さぁ、言って」


 眼光を強め、鬼気迫る。

 それでも、彩女は余裕そうな笑みを浮かべてみせると、


「言うわけなかろう」


 口角を歪ませるように、さらりと答える。


「そう……」


 途端に色を無くした累の表情。握った拳で彩女の顔面を殴りつける。

 繰り返し何発か殴りつけた後、累はもう一度尋ねる。


「もう一度聞くわよ……誰が、わたしの家族を殺したの?」


 目を修羅に変えて、掴んでいる彩女の手を握りつぶすように力を込めた。


 彩女は切って血だらけになった口内の血を唾液とともに、累の顔に向かって吐き出す。びっと累の頬に彩女の血がつくが累は目を逸らさず、彩女の次の行動を逃さぬようにじっと見ている。


 彩女は再び口角を上げ、問いかけに答える。


「くどいなお前も。今ここで処刑してやる」


 返ってきた言葉に怒りで震えそうになるも、ぐっと抑える。そして、無理やりに微笑み返してあげた。


「あんたがね……」


 右腕を大きく引き、鬼手閃光きしゅせんこうの構えを作る。鬼の血を腕に伝えて、力を込める。それを放とうとした瞬間。


 彩女が口から、ふっ、となにかを放つ。


 そのなにかを避けるも、頬を掠っていく。

 態勢が崩れたと見るや、彩女は累を蹴り上げて跳ね起き、俊敏に体を立ち上がらせた。


 くそ、逃げられた……。


 離れていった彩女を目で追いながらも、累は態勢を整える。

 そして、放たれたものはなにか、累には想像がついていた。


「毒針?」


 間も空かずに彩女が素直に答える。


「そうだ」


「……そう」


 累は片手で毒針が掠った頬を撫でる。血が流れている。紛れもなく、それは当たっている。だが、


「残念だったね。あらかじめ解毒剤は飲んできたの」


 笑う。


 こうなることは予想していた。

 

 ――ダンッ!

 

 その言葉を言い放つと、地面を蹴り、累が鋭い動きのまま懐に踏み込んでいく。

 

 だが……


 ――ガンッ


 蹴り飛ばされていた。


 脳が揺れる。視界が揺らぐ。気がついたら、倒れていた。

 ぐあん、ぐあん、と回る空。

 いけない、と首を一回横に振って体を起こした。


 彩女は余裕そうに笑っていた。


「言っただろう。光速を超えない程度の攻撃、わたしに当たるわけがないと」


 挑発的に口角を上げて、続けて次の言葉を告げた。



「もう、お前の攻撃は当たらない――」

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