第五章 金毛九尾 ①
彩女は山林の中へと飛び込んで、あっちこっちに駆けて山の中をじぐざぐに縦横無尽に飛び回った。地面に足跡をつけぬように、基本的には木から木へと飛び移る移動方法。
その速度は、人間の速度を遥かに越えている。だが、
「逃がさない……」
呻くように呟き、累は追跡を図る。
同じように木から木へと飛び移るように追いかける。
忍びであろうとなんだろうと、わたし相手に逃げ切れる者はいない。しかし、そんなこと追われている相手もすでに承知しているようだ。追っているわたしの追跡を振り切るように、残す痕跡をばらばらに。行く方向を惑わすように駆けまわっている。
だけど、逃がすわけにはいかない。
絶対に。
累は太い木の枝が割る勢いで蹴り込み、移動速度を速めた。
※※※
木から木へと飛び移りながら、山を駆け下っていく。
そして、波の音が響く砂浜へと至った。
階段を降りるような調子で垂直な木の幹を蹴りながら地面に音もなく降り立つ。
そうして、ようやく彩女は動きを止めた。
累は――すでに先回りをしていた。
砂浜の上を歩いており仄暗い山林の方へと目を向ける。きつく吊り上げた
ひとくくりにまとめられた後ろ髪、その黒髪が浜風になびいた。
追って先回りをしていた累がそこにいるのを彩女は感情無き
「撒けないか……」
ひとり、目を細めて呟く。そして、追って来た相手に向かって言い放つ。
「わたしと戦うということがどういうことか……わかってるのか?」
「……」
累は返事を返さない。
「ふ、まあいい……。そして、お前。もしかして追い込んだと思っていやしないか?」
「……」
彩女の問いかけが続くも累は言葉を返さなかった。
ざん、と波が荒々しく打ちあがり、潮が引いていく。
問いかけてきた相手はそのまま距離を保ちながら、静かに累の正面に位置するように立つ。そして、腰に差していた小太刀を抜刀。それぞれ、右手と左手に小太刀を持つ。両手で引き抜いた小太刀が眼前で構えられる。共に逆手に持ち、右手を額の高さに、左手を顎の高さにして、隙間から累の動きを観察するように目を細めて、見据えた。
そして、累は……
――気が狂いそうだった。
逃げようとしたその相手に。
彩女は今、わたしの目を見ている。
わたしの、この目に映っているのは、もはや一つだけだろう。
この目に宿っているのは、どす黒く燃え上がるような復讐心だ。
熱く、煮えたぎるほどに、その炎は身体を焦がしている。
彩女は戦闘の構えをしている。
もう、おそらく彼女は逃げはしないだろう。
その相手に累は、ようやく口を開いた。
「ねぇ……わたしが勝ったら教えてくれる……? わたしの家族を殺した人物のこと」
聞いた彩女は微動だにしない。わずかに眉をピクつかせ、隠された口許を動かして答える。
「無理だ。情報は開示しない。そういう決まりだ。お前も里の出身ならわかっているだろ?」
言葉を聞いて、累の目がだんだんと陰っていく。
「ええ、そうね。うん、そう……わかってる、わかってるわよ。だから、あんたを痛めつけて、口を割らせる」
眼球だけをぎろっと動かし、彩女を視界に捉える。
「忍びが口を割ると思ってるのか?」
「口を割りたくなるように、するだけよ……」
「ハッ、それは絶対叶わないな。わたしは死んでも口を割らん」
「やってみればわかる――」
――だんっ!
と、累が先んじて踏み切る。
彩女は動かない。
小太刀を握りしめ、受けに構えていた。攻撃を、その突撃がくるのを目を凝らして待っていた。
累は地面を蹴り、太陽の位置に重なるように高く跳躍。
足場の悪い砂浜でも関係ない。
人を超えた力で高く、高く跳ぶ。
彩女は太陽を瞳に映し、微かに両目をすがませる。だが、防御の構えは解かない。
そして、累は太陽に向けるように片手を大きく引いた。
――
雷が落ちたみたいに、鋭く、そして速く、その一撃が繰り出された。高く跳躍したことにより大きな重力を味方につけて、その手は振り下ろされる。
猛烈な速さの刺突。
ひとたび受ければ、皮膚も肉も突き破って、心臓さえも貫ける。
だが、その手が突き刺さったのは砂浜の地面だった。
超速で落下してくる累の刺突を避けると、彩女は累よりもさらに高い位置を、くるくると回りながら――舞っていた。
累が見上げた瞬間だった。
彩女の体からなにかが怒涛のように放たれる。
累は、それを目を凝らして見る。
黒色の鉄片……あれは。
そして、両目は捉えた。
忍びの飛び道具。クナイと手裏剣。
大量の十字手裏剣とクナイが混じり合い、遥か上空から激しい雨が降るように飛来してくる。
さすがの累も虚をつかれて、一本も当たらず避けるのは厳しいと判断。怒涛のクナイと手裏剣の雨が降り注ぐ範囲も広く、今さら跳んだって避けれやしない。
ならば、とすぐに思考を切り変える。
次の瞬間には、手裏剣とクナイが束になって襲い掛かかってきた。
半身になって、身体の面積をできる限り最小限に折りたたんだ。そして、頭から首と胴を足と腕で覆い隠すように防御する。腕と脚にはいくつか突き刺さるだろうが、急所だけは確実に守る。
――ザク、ザクッ、と皮膚を突き破り、それが体に突き刺さった。
ぐっとこらえた。
ひたすらにこらえた。
腕と脚に激痛が走ったその瞬間さえ、身じろぎもせず。ただ、痛みに耐えるように奥歯を噛みしめる。
怒涛の鉄の雨が降り終えると、彩女は遠く離れて砂浜に着地。
累はたたんでいた腕と脚を下ろし、そっと顔を上げる。見れば、手裏剣が脚に三本、右腕に一本、クナイが左肩に一本突き刺さっている。だが、衝撃が来る前に筋肉を締めたため、深くまでは刺さっていない。それでも、肉には突き刺さり、血が赤々と服に滲んでいく。
思わず、苦悶の表情を浮かべた。
痛みをこらえて、刺さったクナイと手裏剣を引き抜いていく。そのたびに抜いた傷口から血が流れ出てきて、じわじわと服を赤く浸食させるように滲ませる。
痛みを噛みしめている場合じゃないと、慌てて顔を起こす。
目の前には、すでに彩女がいた。小太刀を躊躇なく首にめがけて横薙ぎに振るってきた。
累は首と体を後ろにのけ反るようにして、その刃を避けると、そのまま両手を地面について、右脚を振り上げる。爪先で彩女の顎を狙うも、それも躱される。
そのまま両手を地面に押し込み、反動をつけて跳び上がって、彩女と一旦、距離を取った。
「……っ」
動かすとやっぱり痛い。
血が流れる部分を手で押さえるも、苦痛の表情を浮かべてしまう。
彩女は累のその表情を見て、挑発するように口を開いた。
「どうした? その程度か?」
「……冗談」
累は左足を一歩前に出して、腰を落とす。
再び、身を沈め力を溜めると一気に溜めたバネを開放。爆発するように砂が舞った後、ほとんど一歩で彩女のもとまで迫る。右手での刺突――
「……くそっ」
着地し、思わず声が漏れる。
攻撃が当たらない。
自分の攻撃がかすりもしない相手なんか今までいたことがなかった。
「なにをそんなに驚いている?」
彩女はニヤッと余裕の笑みを浮かべて、言葉を続けた。
「光速も超えない程度の攻撃、わたしに当たるわけがない」
聞いて、累も口許を綻ばせていく。
……それはそれは、と笑った。それは、結構なことだ、と。
すぐに終わっちゃしょうがないもの。
わたしが、何年苦しみ続けてきたと思ってるの。
この苦しみを、痛みを、しっかりと返してあげなくちゃ……。
表情が歪む。
自分の意志と反して、勝手に笑みの形を浮かべ始めていた。
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