第四章 隠里と亜里 ⑨
――
隠里にとって亜里は完全に畏怖された存在だった。
忌むべき対象。
呪われた
疎まれ、恐れられた。いずれ里を裏切り、災厄をもたらす化け狐が宿っていると。
物心ついたときには、異質で危険な存在だと石を投げつけられた。
わたしを産んだ母親も、子を孕ました父親も、おぞましい存在として忌み嫌われていた。
里にいる者たちの姓は≪隠里≫。
みんな≪隠里≫だ。
だけど、わたしたちは≪隠里≫と名乗ることを許されず、家族もろとも≪亜里≫と名付けられた。
里の者からは身に覚えのないことも多く言われた。
『――お前が踏んだ大地からは稲が芽吹かない』
『――お前が居ると、暗雲が立ち込めて太陽は覆われる』
『――人の姿に化けている。いつか、お前は男どもをたぶらかす』
口々に言われた。
里の人間はお前を恐れている。お前の中身が危険だからだ、と。
その心根が危うい、と。
いつか邪悪の限りを尽くし、我々が呪われる。
災厄をもたらし、お前のその名の通りに我々が血塗られた屍となって、死屍累々の光景が里に広がるだろう、と。
わたしたち家族はこれ以上、里にはいられないと思い、里を抜けようとした。
そうしたら、何者かに殺されたんだ。
隠里の――何者かの手によって。
累は唇を強く噛みしめる。そして、
「呪われていたらなんだって言うのよ……! わたしが……わたしたちが何かしたとでも言うの!?」
心の奥底から沸き立つ怒りの感情が叫びとなって表面に現れる。
向けられた怒り。
だが、彩女は表情を崩さない。つまらなそうに冷淡な顔で、温度の低い口調で言葉を返してくる。
「その身に宿しているだけで、お前はもう不吉な存在なんだよ。そう昔から言い伝えられている」
彩女は言葉を途切れさせることなく続ける。
「――
里の者から言われていた名称が彩女の口から放たれる。
累は聞いた瞬間に、胸の奥から冷たくて熱いなにかが膨らんでいく。
関係なしに彩女は言葉を継いだ。
「いつかお前はわたしたちを化かしてくる。災厄をもたらしてくる。国を傾けさせるほどの悪しき妖狐の化身だ。実際に、今、こうして歯向かってきてるじゃないか。ほら、言い伝え通りだ」
そういって両手を広げて、冷たく微笑む。
怒りと屈辱で頭が熱く腫れあがるように痛い。実際にこうして隠里の者と面と向かって話していると気が狂いそうだった。
煮えくり返りそうな黒い感情を抑えるように、息を無理やりに吐く。ほぼ、過呼吸になっているくらいの速度で呼吸が繰り返される。
落ち着け――落ち着け――落ち着け――落ち着け――落ち着け……。
自分に言い聞かす。
相手のペースに飲まれるな。
「どうした、女狐?」
彩女は累のその様子を楽しむかのように唇を歪ませ、顔を見てくる。そして、挑発するように、再びその呼び名で呼んできた。
くそ、くそ、くそ、くそ、くそ、くそ、くそ、くそ、くそ、くそ、くそ……。
握りしめている拳から血が垂れ流れる。
わたしだって、好きで宿しているわけじゃないのに……。
心の叫びは虚しく、奥底に沈んでいく。
「……いまさら、里をどうこうしようとは……思ってない……」
しかし、と累は伏した顔を上げる。
「だけど……家族を殺した者の名前だけは教えろ!」
言葉を聞き、彩女は片方の眉をわずかに沈ませる。
「教えたらどうするつもりだ?」
わかっている、くせに。
「わたしの家族にしたように、それを返すだけだ」
聞いて、彩女は一度呆れたように目を細める。
「やはりお前は女狐だ。こうなると思っていた。だから、のうのうと生かして飼うなんて、わたしは反対だったんだ……」
そのまま彩女は諭すように言葉を繋げる。
「教えられるわけが無いだろう? お前たちが悪いのだ。里を出たいなどと世迷言を言って、実際に実行した。里を抜けることは里の
言い聞かすように言ってくる。
うるさい。
「そんなの……」
累は一度口をつぐむ。
毎日のようにあんな仕打ちをしてきたら、誰だって里を出ていきたくなるだろう。
わたしの両親は、わたしのためにあの行動を起こした。
「……お前たちが、わたしたち家族にした仕打ちを許すことはできない」
わたしの家族……。
母さん、父さん。そして……おばさん。
「――絶対に許さない」
もう、ぶつけないと心が壊れてしまいそうだった。
「だったら、
累は間髪入れずに言葉を返す。
「そのつもりで来た」
「……そうか」
彩女が呟くと、目蓋を伏せていく。
そして、次の瞬間。
目の前が爆発したように強く光った。
一瞬にして視界が白に支配され、爆発音で聴力も一時的に奪われる。
――
「……くっ!?」
累は次に攻撃が来るかと思い、防御の構えをする。致命傷だけは避けるように首と胴をガードする。だが、一向に攻撃は来なかった。
「えっ……?」
視覚と聴覚が戻ると、そこに彩女の姿は見当たらなかった。
「逃げ、た……?」
顔を一瞬伏せ、なぜか口元に笑みが浮かびあがる。
怒りが、もはや表情さえも壊す。
そして、顔を上げた。
――逃がすと、思ってるノカ?
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