第三章 この手は穢れている ②


 次の日の昼休み。

 今日もいつものように弁当メンバーと机を合わせて弁当を広げた。

 優弥は今日もシュークリームの袋を開けていた。顔が昨日よりもさらにげっそりとしている。

 

 そういや、昨日はもらった弁当のおかずを心底嬉しそうに食べていたな……。

 

 そんな優弥は放っておいて、


「あれ……友作は?」


 魁斗はいつも隣の席に居るはずの友作がいないことに気づき、男友達に尋ねる。


「なんか、今日は別のとこで食べるってよ」


「へぇ」


 学食でも食べるのかな? 


 あまり気にせず、魁斗は弁当箱の蓋を開けた。今日も色鮮やかなおかずがぎっしりと詰まっている。





 ※※※





 ――カンカンカンッ


 と、小気味のいいリズムで鉄のはしごをのぼる音が青空に広がっていく。

 のぼるたびに累の制服スカートがゆらゆらと揺れる。


 昼休憩の時には、校舎の非常階段から渡り廊下の屋根に上り、そこから体育館の屋根へとつながるはしごまで歩き、鉄のはしごをのぼって体育館の屋根の上までのぼる。ここには人は誰も来ない。ひとり腰を降ろし、購買で買った総菜パンの袋を開けて、かぶりつきモグモグと咀嚼しながら、ぼーっと外の景色を眺めている。ひとりで気楽な空間でいつも昼休憩を過ごすのが累の習慣になっていた。


 そんな誰にも邪魔されない昼休憩を過ごしていたのだが……


 ――カンカンカンッ


 と、小気味のいいリズムが屋根の上まで鳴り響くのが聞こえてくる。誰かがはしごをのぼってきているようだった。


 累は食べかけの総菜パンを開けた袋に上手に入れて、音が鳴っている方に目を向ける。


「あっ、居た……」


 ショート気味の髪がぴょこっと見えた後、続いて上がってきたのはソース顔の男らしい顔。魁斗の親友らしいその男、南原友作だった。


 友作はよっこいしょ、と声を漏らしながら屋根の上までのぼってくる。


 累はその行動を見て、思わず口を開く。


「ちょ……なにやってんの! 危ないでしょ!」


「えっ、そう? でも累ちゃんだってのぼってるじゃん。大丈夫、大丈夫」


 危険だと思い、つい手を出しかけるも、友作は上手いこと屋根まで上って、ぺたりと座った。

 にっしっし、と魁斗と同じような白い歯を見せながら、笑みを浮かべてこちらを見る。


「……なに? どうしてここに来たの?」


 眉間に小さな皺を寄せながら、問いかける。


 この場所は来るには非常に危ない場所だ。屋根から落ちたら普通の人は死んでしまう。だから、誰も来ないと思ってたのに……。


「べつに理由はないけど……累ちゃんがここに向かっていくのが見えたから、ちょっと来てみた」


 理由を聞いて一瞬、ぽかんとした顔を浮かべるも、すぐに友作に向けて疑るような目を向ける。


 こいつ……わたしのことをつけてたってこと……?


 友作はその視線の意味を汲み取ったように、両手を上げる。


「べつにストーカーってわけじゃないからね!」


 相手を安心させるようにそのまま上げた手を維持し、首を横に振る。だが、累は疑いの目を緩めない。そのまま一瞬の間が空くと、今度は友作が問う。


「る、累ちゃんは……? なんでここにいるの?」


 逆に質問をされ、累はぐっと顔を引きつらせながら肘あたりの制服の袖を掴んだ。


「べつに……ひとりになりたかっただけ」


 目を逸らしながら、思えば本当の理由を述べていた。


「あっ、じゃあ……おれ邪魔しちゃったね。ごめん」


 友作は申し訳なさそうに謝ってくる。


「べつに……」


 その言葉を聞いて、友作はぱっと明るい笑顔を向けてきた。


「……じゃあ、ちょっとだけ、お邪魔させてもらおっかな」


 そう言い、しばらく滞在しそうな雰囲気。


 顔を伏せ、追い返せばよかった……と少し後悔。


 屋根の上に二人きり。自分以外にも他人がいて、どうにも落ち着かない。


「ここに居ること先生にバレると特別指導になること間違いないね」


「……」


 返答がないにもかかわらず、友作は言葉を続けていく。


「累ちゃんは、いつも昼休憩にはここにいるの?」


「……べつに」


 なにがしたいの、こいつは?


 累は変わらず疑惑の念を頭で思い浮かべている。


「そっか」


 友作は相槌を打つと、がさごそと弁当袋から弁当箱を取り出し、膝の上に器用に乗せて、ぱかっと蓋を開けた。いただきます、と手を合わせる。


「……なにしてるの?」


 一連の行動を眺めていた累は思わず自分から声をかけてしまう。


「ん? ここで弁当食べると美味しそうだなって思って……ほら、景色もいいし……食べる、これ?」


 友作がラップに包まれているおにぎりを差し出してくる。


「いい、いい、いらない……」


 すぐに首を横に振って断る。


 なんだかペースが乱される。さすが魁斗とつるんでいるだけあって、こいつもマイペースでバカなんだろうな、と思った。類は友を呼ぶというか……。


「えーっ、美味しいよ、これ。おれんちのおにぎり。おかかとチーズが入ってるんだ。遠慮しなくていいのに。累ちゃん、それだけなんでしょ」


 友作は累が持っている総菜パンを指差す。


 どうやら、魁斗よりは察しがいいらしい……。


「……」


 黙って自分の持っている総菜パンに目を移していると、友作が続けてくる。


「あっ……それとも、あまり人が握ったおにぎりとか食べられないタイプ?」


「……べつに、ほんとにいらないってだけ」


「ああ、そう?」


 累ちゃんは細いから、心配だなぁ……などと小声で呟きながら、差し出したおにぎりを自分で食べ始める。


 ほんとになんなの、こいつ……。


「なんか、話すのは修学旅行以来だよね」


 友作はそんな累の心情には気づいていないのか、よくわからない様子でのんびりと声をかけてくる。


「べつに……話す必要ないでしょ」


 累の答えに、友作は少しだけ寂しそうな顔を浮かべた。そのまま、顔を苦笑いに変換していくと、


「まあ……そうだけど……それだと、ちょっと寂しいじゃん」


 そう言うと口の端を上げ、一度見つめられると今度は弁当の中身に視線を向けて、箸でつまんだ唐揚げを口の中に入れていく。モグモグと咀嚼をしてから、ゴクンと嚥下を終えると、そのまま景色を見ながら話を続けてくる。


「……累ちゃんってさ……学校、楽しい?」


 聞いた瞬間、一気に心が冷めていく感覚がした。


 いつか、聞いたようなセリフだ。

 こいつもか……と。累は瞳を冷たくしていく。


「あんたに関係ない」


 冷淡に温度のない声で、返答。


 友作はその声に少し驚きつつも、苦笑いを浮かべて、すぐにいつものような明るい笑顔を作った。


「関係ない……か……まあ、そうなんだけどね。……でもさ、せっかく同じクラスになったんだし、累ちゃんも大事なクラスメイトなんだからさ、なるべくならみんなで楽しく高校生活を過ごせればいいなって……」


「あんたの勝手な理想をわたしに押し付けないで」


 累は友作の言葉を遮るように、早口で告げる。


 自分の正義感を周りに振りかざす偽善者。ほんと、そういうのうざい……。

 人間なんて、ほとんどが私利私欲のために生きている。他人を蹴落としてでも、他人を殺してでも。



 ――他人なんて、信じられるものか。



 累はぎりっと奥歯を噛みしめる。

 

 脳裏になにかが蘇る。それは鮮明で身が削れるほどの……。

 息が苦しくなる。



 ……嫌なことを、思い出した。

 


 累は不快な気持ちのまま、敵意向きだしの目で友作を睨みつける。


「……ごめん。勝手なこと言って」


 友作は累の反応に困惑したように、か細い声で伝える。


 まさか、こんなふうに睨みつけられるなんて思ってもみなかったのだろう。


「……」


 累は怒りの表情を崩さず、ただただ睨みつける。お前は敵だというように。お前も他の誰も受け入れないと、強く、強く、拒否の目で睨む。


 友作はその目を見て、笑みの表情が完全に消え去る。冷たい汗が頬を伝う。だけど、目は離さない。累の目を見て、乾いた唇をなんとか動かそうとする。


「累ちゃん……ほんとに、ごめ…」


「早くどっか行って」


「……」


 相手を睨みつける鋭い目は変わらず、累の拒否は続く。


 もう、なにを言っても無理なのかもしれない、と友作の脳裏で思い浮かんだ直後、


「早くどっかいけっ! 独りよがりの偽善者野郎!」


 しびれを切らした累が怒号をあげる。


 しん、と静まる青空の下。

 吹いている秋風はとても冷え切っていて、肌を鋭く刺す。


 友作は一瞬ビクつくように身体を固まらせると、やがて顔を俯かせ、広げた弁当をおさめた。体を立ち上がらせると、鉄のはしごを掴んで、カン、カン、カンッと降りていく。

 

 最後に一言、『ごめん』だけを残して。





 ※※※





 昼休みの時間は、あっという間に過ぎて五時間目の授業。

 その開始三分前。


 次は現代文だったな……と魁斗は呑気に次の授業の準備を始める。

 机の引き出しから教科書を出し終えると、自分の席から周りを見渡した。

 すると、自分の席に戻っていく友作の姿が見える。


 あっ、教室に戻ってきてたんだ……。


 気づいた魁斗は友作を目で追う。

 ずーん、と重く沈んだ表情で背中を丸めてふらふらとおぼつかない足取りで歩いていた。


 ……なんか、あいつ……えらく落ち込んでるような……。


 眺めていたら五時間目の授業を告げるチャイムが鳴り始めた。

 友作は席に着いたが、いまだ机の上に教科書は出せていない。

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