第八章 ぼくはきみに ③
佐々宮家の方向らしきところから目線を切ると、当たっていた風によって乾いた唇をちろっと舐めてから口を開く。
「よかったな、紫ちゃんと仲直りできて」
窓を全開に開けた魁斗はいまだ顔に秋の風を浴びながら、前髪を揺らし、優弥に振り返る。
「おかげさまで。魁斗くんのおかげだよ」
へっ、と言って肩をすくませる。
「おれはなにもしてないし。ただ紫ちゃんを呼んだってだけ」
「ううん、それがありがとう。……それに、きみがあの戦いの時に来てくれたから、今こうしていられる。ほんとに感謝してる」
そんな感謝の言葉を聞いて、もう一度肩をすくめた。
「おれはお前に挑んでコテンパンにやられただけだぞ。そうしていられるのは左喩さんと紫ちゃんのおかげだろ?」
優弥は少し迷う素振りを見せてから、首を横に振り、口を開く。
「そう、だね。左喩さんと紫のおかげでもある。……でも、やっぱり、きみが来てくれなかったら、挑んでくれなかったら、きっと、こうはなってなかったよ。だから、本当にありがとう」
優弥は心の底から言っているみたいに、真っすぐに言葉を伝えてくる。
「やめろよ、今さら。もういいって、むずがゆいから。お礼は散々聞いたよ」
「何度言っても足りないよ」
うーむ、と魁斗は恥ずかしそうに片頬を掻く。そして冗談めいて言ってみる。
「だったら生涯感謝するように」
ちょっと偉そうに腰に手を当て、ふんぞり返ってみせて、その言葉を伝えてみたが、
「うん、もちろん」
真剣に受け止められた。
ツッコミを期待していたのだが、今の優弥の感謝モードではそれは期待できそうにない。
「噓だよ、バカ」
窓の外に振り返る。
浮かんでいる太陽の光はやはり温かい。
しばらくぼーっとしてから、あとさ……と魁斗は言葉を続ける。
「なんか、悪かったな……」
振り返って目も合わせずに唐突に謝ってくる魁斗に今度は優弥が目をぱちくりとさせた。なんで謝られているのかまったくわからない、とばかりに首を大きく傾げる。
「なんで謝るの……? 感謝はされても謝ることはしてないんじゃない?」
優弥は率直に言う。
「いや、おれさ……あの時、お前のこと止めようとして……なにも知らないってのに、あんな偉そうなことを……」
魁斗は優弥が紫に刀を向けている時に、発した自分の言葉に今もなお引っかかっていた。
『――復讐、なんて……』
あの後、おれはどんな言葉を繋げようとしていたんだろう……。
自分が言おうとしていた、その先の言葉。
それは表出されなかった。
だけど、おれは優弥を説得しようとしていた。
想像すれば、すぐに思い浮かぶ。
たぶん、復讐なんてやめたほうがいい、と。言おうとしていたのだろう。
自分だって復讐するためにこの世界に入ってきたというのに。
思考の中に、ふと沈み込む。
自分の中で復讐が無くなったとき、おれは自分がこれからどんなふうに人生を歩むのか、まるで想像ができない。
左喩についていく。
左喩の思い描いている夢物語を叶えたい。
それは強く想っているのだが。
ただ、その為に自分がやろうとしていることは、まるで真逆のことだ。
母さんが亡くなってからの一年は空いた胸の空洞をなんとか覆い隠して必死に自分を強めることで、無理やりにでも見えなくするように時間を費やしてきた。だけど、その努力の先の目的は、自分だって――復讐。
優弥に向かって叫んだあの時の言葉、思い浮かんだ言葉は、自分に跳ね返ってきて、見事に胸を貫いていった。貫かれたところは大きな穴がまたぽっかりと空いて、さらに大きくなったような気がする。
おれだって母さんを殺した犯人を暴いたら、その犯人を母さんと同じ最期を与えてやろうと今でも思っている。そうしないと、この胸を締め付けているモノがおさまらないと感じているからだ。
だから、自分が言えた義理では無かったのだ。
あの時のことは。
だけど、言葉は自然と声になって飛んでいた。
寸前で踏みとどまったが、それでも自分は……
――おれは、矛盾した中途半端な人間だ。
しばらく黙り込んでしまった魁斗に優しい微笑みを浮かべて優弥が口を開いた。
「しょうがないよ。ぼくは誰にも話してなかったんだから、自分のことを。だけど、話して、知ってもらえただけでも、少し解放された気分なんだ。たぶん、復讐っていうのは……結局は残された者の想いであり、エゴでもあるんだよ。今は、まだ自分でも囚われていて、そこまでは思えていないんだけど……。でも、きみの言葉はとても真っすぐで。何の疑いもきみには持たなかった。届いてたよ、
優弥は自分の胸に両手を当てて、穏やかに微笑む。
「そう、か……」
対して魁斗はいまだ、複雑な表情を浮かべる。
自分で言って納得できていないのは自分自身だ。
ぶんぶんと首を横に振り、それ以上は考えるのを止めた。
言葉を続けてこない魁斗に向け、優弥は優しい微笑みを崩すことなく言葉を投げかけてくる。なんとなしに話題を変えるようにして、人差し指をぴんっと上へと立てた。
「そういえば魁斗くん。ぼくの紫への気持ち。ようやくわかったよ」
それは修学旅行の夜での会話の続き。
魁斗は次の言葉が来るのを黙って待っていると、優弥は誇らしげに言う。
「恋愛」
あまりに直球過ぎる言葉に、魁斗は返す言葉が出なかった。口を開け、少しばかり、ぽかんと固まってしまう。
そんな魁斗を見て、優弥はくすくすと笑い、器用に人差し指だけを横に振る。
「いい? 恋だけじゃない。愛をつけて、恋愛」
眼は本気で。
放たれる言葉は、大事そうに。
今度は見失わないでいよう、と心に決めて、真っすぐに言った。
魁斗は薄く微笑むと、
「……なんか、言い方がうっとおしいなぁ」
茶化すように言った。
「ふふっ、魁斗くんも見つかるといいね」
会話を終えると、魁斗は再び窓の外を眺めた。
秋でも、輝く太陽に思わず両目をすがませる。
まあ、ゆっくり、探してみるさ……。
自分の感情をそっと探すように目を閉じる。
優弥の言葉のせいで思い浮かぶ人物を目蓋の裏に、ひっそりと映し出す。
片方のまなこから見えてくるのはそれぞれ違う笑顔だった。
魁斗はそっと目を開けると、窓枠に頬杖をついて太陽に左手を伸ばした。
第二幕 ~吸血鬼~ —終わり—
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