第八章 ぼくはきみに ②
「――というわけで、優弥をこの事務所で匿うことになりました」
魁斗は事務所に辿り着くと、共についてきてくれた累に向けて言葉を発した。
「なにが……というわけで、よっ! わたし納得も了承もしてないんだけど!」
累は納得できないとばかり、眉をしかめて睨みつけてくる。
「あんた、自分がどんな目にあわされたのかわかってんの? こいつに!」
累は器用に顔だけ魁斗を睨みつけて凄んでくるが、腕は優弥の方にびーんと伸ばし、人差し指を顔面へ、びしっと向けて、同時に圧をかけている。
「まあまあ……それはわかってるよ。でもさ……こいつ、ほっとけないだろ?」
魁斗は指差されている優弥に顔を向ける。その顔を見ようとするが、優弥は顔を俯かせていて会話に入ろうとしない。それを見て魁斗は短くため息をつき、言葉を続ける。
「左喩さんがここで匿ってほしいって、取り計らってくれたんだよ」
聞いた瞬間に優弥は、がばっと顔を上げた。驚いたように目を大きく広げてこちらを見る。累はそれでも納得できないと、眉をよりいっそうひそめていく。魁斗は説得するように累の顔を見て、続けて話す。
「仕事もさ、手伝ってもらおう。こいつの剣の腕はすごいぞ。尋常じゃない強さだった! 太刀の速さなんて目で追えないし。絶対に役に立つ。それに、こいつはもう絶対に裏切らない! なっ!」
魁斗が優弥の背中をぼんっと強めに叩く。突然、背中を叩かれて、驚いたように優弥は言葉を詰まらせながらも、
「う、うん。誓うよ」
答えてくれた。
その言葉に対し、累は心底呆れたように頭を抱えて首を横に振り大きなため息をつく。もう一度、優弥の顔にびしっと人差し指を突き付けると、顔を上げて魁斗に鋭い目つきを向け、
「裏切らない保証がない」
「裏切らない保証なら、おれがする」
魁斗は真っすぐ累の目を見返した。
絶対に自分の意見を曲げないように。強く、強く、その目を見た。
累も負けじと、ぐぐっと凄めるように目に力を入れて見返してくる。
数秒、あるいはもっと時間が経ったかもしれない。目を見合って、やがて累はあきらめたように目を逸らし、肩をすくませ、再び大きなため息をつく。
「もう聞く気なんてないんでしょ……。こうなったら一切聞かないんだから、あんたは……。ほんと、もう……こっちが大迷惑」
「すまん」
はぁ~っ。
事務所内に風でも吹いてんのかと思うほど、大きなため息が流れた。
累はようやく優弥の顔を見て、指差していたその人差し指を今度は優弥の胸に押し付ける。
「いい? わたしたちの邪魔をしないこと。もう二度とこいつを傷つけないって誓うこと。もし、次また妙な真似起こしたら……」
優弥に凄んでいく累を見て、魁斗は思わず固唾を飲んだ。
ギラリと光る殺気のこもった鋭い目を向けている。しかし、優弥は物怖じせずに真っすぐに累の目を受け止めて、真面目に言葉を聞いている。
「――殺すわよ」
ついに放たれた言葉。
ごきゅっと、魁斗の喉の音が鳴った。
だけど、優弥はその言葉を聞いても、決して怯むことはない。目を逸らさず、真剣な顔そのままで、
「うん、絶対にきみたちを裏切らない」
眼差しを強めて、真っすぐな言葉で誓ってくれた。
嘘ではないだろう、と思う。
魁斗は二人のやり取りを見守りながら、心を落ち着かせると、ひとり微笑んで、うんうんと頷く。
よし。累も許してくれたようだし、これでもう大丈夫だろう……。
魁斗は呑気に優弥の傍に近づいて、
「よし! っていうことでよろしくな! 優弥っ!」
満面の笑顔を咲かせ、魁斗は優弥と握手を交わそうと手を差し伸べる。しかし、優弥はその手を見て、申し訳なさそうに目を伏せていく。
「魁斗くん、ぼくはきみに……」
言いたいことはたぶん、わかってる。
だから、もういいんだ。
「御託はいいから、ほら、手を差し出されたら握手」
魁斗は笑顔のまま、優弥の手を無理やりに取って握った。
強く、強く握ってやった。
お前はこれからだ、とメッセージを送るように。
「……きみと左喩さんは命の恩人だ。誓うよ。この命を賭してでもきみたちのことは絶対に守る」
「御託はいいって言ったろ。べつにおれに命を賭けることはないよ。これからは、ちゃんと自分のためにその命を使え。今を、大事に生きてくれたらそれでいい。……それと……命の恩人はもう一人いるだろ?」
魁斗は、もうおそらく来ているだろうと事務所の扉の方へ近づき、ドアノブに手をかける。ギギィッと軋んだ音を鳴らしながら、その扉を開いた。
開かれた先には一人の小さな少女が静かに立っていた。
見た瞬間に優弥は体を固まらせる。信じられないとばかりに目を見開いて。そして、ようようと唇を動かした。
「……紫……どう、して……?」
魁斗は笑顔で優弥に振り返り伝える。
「お礼なら、紫ちゃんにも言わないと」
優弥は固まったまま動けない。
たぶん、どうしたらいいのかわからないのだろう。
やがて、堪えきれず目を逸らす。
「ごめん……」
とだけ呟き、地面に顔を伏せてしまった。
その姿を見て、紫は一度息を吸い込むと、ゆっくりと事務所内へ入ってくる。歩き進めて、優弥の目の前に立つと、そっと名前を呼んだ。
「優弥……」
紫に名前を呼ばれ、優弥は下ろしていた顔をかすかに上げる。瞳をゆらゆらと揺らしながら、今にも泣き出しそうなのを堪えるように、必死に唇を噛みしめながら、紫の顔を、その目を見る。
紫は寂しげな眼差しで顔を覗き込んでいた。
そして……
――金的ど真ん中、ストラァーイクッ! だった。
テレビ番組ではチーンッ! と音が鳴るだろうが……
実際は、ドゴンッ! と、事務所内に重くて鈍い音が鳴る。
容赦一切なしの蹴りが男性の食らってはいけない部分に深々と食い込んだ。
優弥は「はあうっ!」と叫んで、そのまま地面にうずくまる。声も出せずに身体を丸めて悶え苦しむその姿を、同性の魁斗は顔を真っ青にしてただ見守ってしまう。見ているだけでも身体の一部が、ものすごく痛く感じてきてしまい、無意識下で自分もその箇所を守るように覆ってしまう。だが、実行した紫は同情の顔など一切見せず、強い眼差しのまま、うずくまって悶えている優弥の姿をしばらく上から見下ろしていた。
そして、ゆっくりとしゃがみこんで、うずくまってぴくぴくしている優弥との距離を近づけると、
「優弥」
再び名前を呼んだ。
優弥は大量の涙を目尻に溜めたまま見上げる。
「今回の件はわたしの監督不行き届き」
その言葉に優弥は驚き、反論する。
「な、なに言ってるの!? そんなわけないでしょ! あんなことをして、それで済ませていいわけがない! ぼくが悪いっ! 全部全部何もかもぼくがっ……ぼくは、ぼくはっ、絶対に許されないことを……」
「わたしがそう言うからそれでいいの!!!!」
紫の雷鳴のような大声が響いた後、シンッと、事務所内に沈黙が落ちる。
窓の外ではカサカサッと枯れ葉が散ってゆらりと落ちた。
優弥は言葉を返せないでいる。
だが、紫は言葉を続ける。
「だから……」
バチンっ! と、びんたする勢いで両頬を小さな手により勢いよく挟まれる。優弥の顔と目を逸らさせないようにそのままがっちりと固定させると、
「いい? 今度こそ、わたしはちゃんとあなたのことを見るから……」
ぐっ、とさらに強引に優弥のツラを真っすぐに据える。耳と髪ごと掴んだ両手に力が入る。真正面からその顔に伝えようと、大きく息を吸う。
「――だから、だから、優弥は……わたしのそばを離れないでっ!」
言い放たれ、優弥の目からは溢れるように涙がこぼれ落ちていった。
すべてを清算するように。
大事なものを、もう一度見つけたように。
もう無くさないでいようと心に誓うように。
目の前で自分のために涙を流している少女を愛しむかのように。
なにもないことなんてなかったのだ。
今、目の前に大切な人がいる。
「なんて顔してんのよ……」
「きみだって」
優弥の指がそっと紫の頬に触れた。その指で涙を掴む。
紫はその手に自分の手を重ねて優しく包みこんだ。
「温かい、な……」
重ねられた手のひらから伝わる温かさを感じ取り、呟いた優弥は目を細めていく。
――そして、ふたりは同時に陽だまりのような笑顔がこぼれた。
二人のその光景を見て、魁斗は胸の中がぽかぽかと温かくなり幸せな気分になった。
やっぱり温かいな……。
本当のことを言えば、泣きそうになるくらいに嬉しい。だけど、自分は泣かない。
横目に隣を覗き見てみると、目を細めながら唇を緩ませ、累が薄く微笑んでいた。かすかに瞳を揺らしながら。
「……累、お前笑ってるのか?」
「えっ!? わ、わらってない……!」
魁斗に言われて、累はとっさに口許を隠す。自分でも気づいてなかったかのようにぱちぱちと瞬きを速める。
「べつに隠さなくてもいいじゃないか。笑顔の場面だ。なっ」
累に向けて、にっと白い歯を見せながら笑いかける。
「……あんたは、ほんとに……どこまでも、バカね」
つられて累も口許が緩んでいく。
やっぱりどんな世界でも、こうしてみんなが笑いあえる。そんな世界がいい。
左喩さんの見たい世界はこういう世界なんだろうか?
だとすると、左喩さんの進む道は誰にも阻ませない。
おれも共について行く。
絶対に、その夢物語を叶えてさせてあげたい。
そう思えるような光景がいま、目の前に広がっていた。
「うん」
ひとり、呟く。
――きっと、この世界にも温かい笑顔は作りだせる。
※※※
「よろしく累さん」
優弥は無謀にも、累に手を差し出してくる。
その傍らで、魁斗は二人を見守るが内心は不安でいっぱいだった。
あいつ……累にも握手しようと手を差し出してる……。無謀だ……やめとけって、累はその手を平気ではたくぞ……。
そう心の中では思っていたのだが、意外にも累はすんなりとその手を受け止め、きちんと握った。顔は仏頂面のままではあったが。
魁斗はそんな二人のやり取りを見て、驚きで目をまん丸くする。同じように口もまん丸く開ける。
累が許容した……。
衝撃的だった。
そんな二人の会話を聞くと、『わたしのパソコンに触らないでよ。触ったらぶっ殺すから』『も、もちろん』とか、なんとか。圧力はかけているようだが、なんとも平和的に見える。
魁斗はちょっとだけ疑問に思い、累の耳元に近づいて囁く。
「……なんか、えらく優弥には優しくないか?」
「はぁ? なんでよ?」
返ってきた反応は怪訝な顔。
これは思った通りの反応。
「お前なら、その手をはたくと思ってた」
「あんた……どんな目でわたしを見てるの……。べつに、あんたより使えそうだなって思っただけよ。隠密とか得意そうだし」
「ぼく、隠密とかしたことないんだけど……」
間に入る優弥の言葉はシカトされる。
「あとは……ただ……」
ただ?
「似たような境遇だなって、思っただけよ……」
そう言うと優弥の手を離し、背を向けてその場から離れる。
似たような境遇? 累と優弥が?
取り付く島もなく、去って行く累と近くにいる優弥を交互に見る。よくわからず眉をひそめて、首を傾げる。
紫と優弥の関係性が、おれと累の関係に似てるって、累も感じたのか? それとも、おれと優弥の境遇が似てるってこと……? んんっ? ……どういうことだろ?
疑問に思った時には、もう累はとっくに距離を離している。
いつも通り、詮索はするなと言うように。
まぁ、いっか。今回は。
受け流して、優弥を笑顔で迎え入れる。
何はともあれ、佐々宮と坂本の抗争は幕を閉じた。
傍らには今度こそは裏切らないであろう新しい仲間ができた。
影薄のクラスメイト兼剣士。
――坂井優弥。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます