第八章 ぼくはきみに ①
それから、一週間後。
魁斗は戦いで傷ついた身体を癒して、ようやくまともに動けるようになった。
優弥に斬られた腹部の傷も皆継家の秘伝の薬を塗ってもらい、早々に塞がった。
もしかしたら優弥は斬るときに、手加減をしてくれていたのかもしれない、と今はそう思っている。たいして傷は深くなくて、切り傷はあっという間に綺麗に治った。
深刻だったのは力を使い果たして、鉛のように重たくなった体だ。戦いの直後はアドレナリンがどばどば出まくっていて、あまり気づかなかったけど、次の日から、何日間かは動けずに、ほぼ自室で眠りこけていた。
身体の回復に専念して休んでいると段々と身体の重だるさは取れていき、やがて元に戻った。前回よりも回復のペースは早くなっている。
休んでいる間、左喩さんに優しく看病をしてもらい、ご飯の時にあーんまでしてもらって、いっぱい甘えることができた。たくさん、おいしい思いができた。
累もちょくちょく顔を出しに来てくれた。看病の時に、『勝手に一人で動くな! わたしが体を拭いてあげるから』と断っているのに、無理やり服を脱がされ、体を拭かれたり、滋養強壮に効くからとすっぽんの血が入った漢方薬を無理やり口の中に突っ込まれたりと、あほな行動を起こされつつ、やいやい言われて、やいやいと帰宅していく。
おかげで身体の一部分が妙に元気だ。
帰った後は、あいつはいったいおれをどうしたいんだ……と首を傾げて。そして、ちょっと笑ってしまった。
とにもかくにも今回の事件もとい、優弥の謀反は収束したのだった。
また、平穏な日常が戻ってくると思う。
魁斗は寝っ転がっていた敷布団の上でよっこらせと声を漏らしつつ体を起き上がらせると、布団をたたむことも忘れ、自室を出た。
※※※
今日は学校が休みだ。
魁斗は寝ぼけ
もうすぐ、九月が終わる。
少しだけ冷たい風が一瞬、さあっと魁斗のまわりを通り過ぎていく。
その刺激で、ぼんやりとした風景が徐々に色彩を付けていく。
右手の中には皆継家の庭で育てているすみれの花。それをグリーンのリーフと組み合わせた小ぶりサイズの花束にして握っている。左喩にアイボリーのリネンでふんわりとラッピングしてもらい、とにかく色鮮やかで綺麗な紫色が映えていて、とても可愛らしい。
遠い空には朝日がのぼり、冷たい風に反してぽかぽかと温かい日差しをよこしてくれる。
見上げるように、空を見る。
「温かいのに、冷たい……どっちなんだ?」
そう呟くと、魁斗はポケットに片手を突っ込んだ。
木の葉とこぼれびが魁斗の頬を撫でて走り去っていく。振り返り、目を細めて眺めながら、もう一度呟いた。
「うん、やっぱり温かいのか、冷たいのか……」
そして、目的地に向けて少しだけ歩く足を速めた。
※※※
相変わらずの荒んだ建物にがたついた扉。
自分たちの事務所としている部屋の入り口。その真ん前。
扉を開く。
すでに先客がいる。
その人物はソファーに座って静かに小説か、もしくは漫画か、とりあえず本を読むように顔を伏せて瞳に文字を映していた。
「あっ、おかえり」
その人物は扉が開いた音でこちらに振り向くと、呑気な笑顔を浮かべる。
そして、柔らかな声色で挨拶をしてきた。
「おかえりっていうのは、おかしいが……まあ、ただいま」
続いて、名前を呼んだ。
「――優弥」
優弥は手に持っていた本をおろすと、どこか嬉しそうに口の端を上げて、そして、質問してきた。
「おかえりでいいじゃない? それで……どうしたの? ひとり?」
「ん? ああ、ひとりだよ。お前の様子を見に来ただけだ」
答えると、優弥が微笑む。
「相変わらず優しいなぁ、魁斗くんは……。ありがとう、快適だよ」
「飯は、どうしてんだ?」
「そこら辺のスーパーやコンビニで弁当買ってるよ」
「そうか。不便ない?」
「ないってことは、ないけど……ここには、お風呂がないし……。でもまあ、銭湯に行って入ってるし、そんな贅沢はできないよ。大丈夫、快適」
「そっか……それならよかった」
魁斗は肩をすくめて返事をし終えると、優弥が座っているソファー、その隣に腰を下ろす。
「はいこれ。優弥が欲しがってた花」
「あっ……! ありがとう魁斗くん。こんなラッピングまでしてくれたんだ?」
「それをしたのは左喩さんだ」
「そっか……ありがとう左喩さん」
優弥はすみれの花束を受け取ると、ソファーを立ち上がって花を活ける物を探す。
「えっと、プランターは……ないか……花瓶は……ないな……ペットボトルでいっか」
「すまん。そこまで気が回らなかった」
「いいよいいよ。充分」
優弥はペットボトルに水を入れると、すみれの花を活けて、デスクにコトッと置く。隣に戻ってきてソファーに腰を落ち着かせると、二人並んでしばらくそのまますみれの花を眺める。
「うん……やっぱり可愛くて、好きだ」
隣でぽつりと声を漏らし、心の底から微笑むように目尻を下げて、口の端を上げる。
野郎二人が横並びで花を眺めてるのもなんだかなぁ……と思い、魁斗はソファーから立ち上がる。
事務所内を換気しようと、窓をがらっと開けた。
温かい日差しが窓の中へと射し込む。同時に冷たい風がぶわっと事務所内を吹き抜ける。
その風と日差しに思わず瞬きをして目を閉じる。
やがて目を開け、温かい世界が広がる。
魁斗は窓辺に肘をついて手のひらを頬に押し付けた。
佐々宮の屋敷があるであろう、その方向を眺めて。
そして、あの後の出来事を記憶した限り思い出していく。
※※※
振り下ろされた刃は優弥の身体を通過することなく、勢いよく地面へと叩きつけられた。
刃にひびが入り、そして、割れる。
歪んだような金切音が夜空に響いた。そして、
「……ごめん、じいちゃん。やっぱり無理。ダメ、できない……。お願い、お願いだから……殺すのは許してあげて……」
紫は溢れ出る涙を拭いながら、悲痛に歪んだ表情を俊彦へ向ける。
優弥は事態がのみ込めていないのか、ただ呆然として、紫が話しているその横顔を見上げていた。
「バカな……バカなことを言うなっ、お前は! こいつは謀反を起こして、あまつさえお前までも殺そうとしたんだぞっ!」
俊彦は紫の行動が信じられないとばかり、顔を鬼の形相に変えて、眉間の皺をさらに深く歪ませながら怒号を上げた。
「でも……でもっ! 優弥はしなかったっ!」
「それでも生かしてはおけんっ! こいつがまた、いつこんなことするか……!」
そこで言葉を遮るように左喩が一歩、足を踏み入れた。
「……左喩」
ゆらりと進み出てくる左喩の名前を俊彦がぽつりと呼ぶ。
左喩は話し合う二人を見て、次に優弥を見て、結んでいた唇を開いた。
「破門としましょう」
その場にいる全員が驚いたように目を見開いた。
「なっ……! 何をバカなことを言っておるのだ、お前はっ!」
「バカなことなど言ってませんよ?」
左喩は努めて冷静に言葉を返し、にこっと笑顔を浮かべて首を傾げる。
「なにをバカなっ! こいつは佐々宮を滅ぼそうとしたのだぞ!」
俊彦は優弥を指差して、左喩へ向けて怒号を上げる。だが、
「それも、かつては佐々宮が坂本を滅ぼしたからでしょう? くだらない歴史は、もう繰り返さないようにしていきましょう。それにもう彼も、そんな気はなさそうですし……」
「な、なにを言って……」
「黙りなさい」
左喩の瞳に力がこもる。そこに映るのは優しい目をしている、いつもの左喩ではなく高圧的な雰囲気の左喩だった。
態度が変わった左喩を見て、食い下がるように俊彦が瞳を落とし、唇を噛んだ。
「われわれが間違えていた、とでも言うのか……お前は」
「戦争に間違いも正解もないですよ。恨んで、憎んで、殺してを繰り返して。先人たちが勝手に争って、それを現代にまで発展させて……根本からおかしいのですから。だから、この戦争は終わらないのです」
聞き終え、俊彦は左喩の顔を見る。
「お前は、いったいどうするつもりなんだ……?」
左喩ははっきりとした口調で、ぶれない意思を見せつけるように言った。
「変えるんです。この世界の何もかもを。そして、終わらせます――この戦争を」
左喩が言い終えると俊彦は鼻で笑うように吐き捨てた。
「はっ……そんなの夢物語だな……」
聞いて、左喩は微笑む。
「ええ、でも夢を見させてください。手繰り寄せて見せますから。その夢物語」
吐き捨てるように返ってきた返事に一切ぶれることなく、上書きするように、そう答えた。
そうして、高らかに宣言する。
「聞いたでしょう! 坂井優弥は破門、追放とする! 今後一切、佐々宮の敷居をくぐることは許しません。これは皆継の決定です。異論ありますか!?」
左喩は表情を強めたまま、周りを見て、再度佐々宮の当主を見る。
「……」
俊彦は返事を返さない。ただ黙って顔を俯かせ、小さく首を横に振った。
左喩はコクンと一度首を縦に振ると、
「ありがとうございます」
目を細めてから囁いた。
そして、俊彦の傍らから離れ、優弥のもとへゆっくりと歩み寄る。
優弥はいまだ、地面に両手両足を付けたまま事態がのみ込めていない様子で動けないでいた。近づいてきた左喩の顔を下から見上げる。
左喩は、そっと目線を合わすようにしゃがみこんだ。
「あなたは殺しません。ただ、条件があります……。許してください。あなたがわたしたちを許すことを約束してくださるのであれば、わたしたちはあなたを許します」
言葉を聞き、優弥は黙って首を縦に振った。
それを見て、左喩は微笑みながら立ち上がる。
「では、そのように」
周りに居る全員に言い渡し、会釈をしてからその場から立ち去る。
立ち去る途中に左喩は魁斗の脇まで歩み寄り、そっと耳打ちをしていく。
「彼をあなたたちのところに置いてもらえませんか?」
そう言ってふわりと笑う。
「上へはわたしからも通しておくので……」
魁斗も思わず笑顔になった。
「了解です」
呆然となる現場で優弥がその場で固まっている。
魁斗は累に支えられていた肩を離してもらい、自分で歩きはじめる。優弥のもとへ近づいていく。一度、紫と目を見交わし、そっと、その小さな耳に囁きかけると、再び優弥に振り返る。
「優弥、来い」
声をかけ、優弥に手を差し伸べる。差し伸べた手を優弥は呆然と眺めているだけだったが、無理やり腕を掴んで立ち上がらせ、そのまま引っ張る。
その場から優弥を連れて立ち去った。
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