~金毛九尾~

第一章 墓参り ①


――お月様を遠くからずっと眺めていた

――大きくて、綺麗で、優しい……明かり

――暗がりをそっと照らしてくれるような、

――この光はこんな穢れたわたしでも、優しく照らして包み込んでくれる。

――憧れた。どうしようもなく。

――だから、この手を伸ばそうとした。

――でも、きっと、わたしの手はお月様には届かない。

――それでいい。届かなくてもいい。わたしは触っちゃダメなんだ。

――せめて感情を押し殺して、

――いつまでも大好きな月を見上げていたいと

――そう、思うんだ。









 長月から神無月へと暦は変わり、少し暑いくらいの秋晴れ。

 雲ひとつもない青々とした晴天が目の前には広がっていた。だが、風はほのかに温度を下げて、穏やかにそよいでいる。そよぐ風が肌に触れ、思わず片手をポケットに突っ込む。もう片方の手は、ビニール袋をぶら下げているためにポケットの中に突っ込めない。


 歩道に舞い散る枯れ葉はより一層カラフルに色づいている。地面に落ちたその枯れ葉に気がつかずに踏んでしまうと儚く割れてしまった。


 周りを見渡すと、親と手を繋ぐ子供の姿。

 笑顔で互いの顔を見つめ合ってにこにこと歩いている。そんな親子の姿を見ると、もう一年以上も前になってしまった、遠い夏の記憶が頭の底から、ふあり、と浮かび上がり、またすぐに沈んでいく。


 時はあの夏を遠くに置いていった。

 大きな、大きな痛みを残したまま。

 

 そして、表の街は、今日もささやかな幸せに包まれている。





 ※※※





 キィ、と扉が軋む音が鳴る。

 あいかわらず建付けが悪いなぁ、と思いつつ、部屋の中へ入っていく。


「あっ、おかえりー」

「……おかえり」


 扉が開いた先で、二人の男女がこちらに振り返り、出迎えの挨拶をくれた。


 その男女はともに横並びでソファーに座っており、男の方は頼りなさそうだが、柔らかい笑顔で、女の方は気が強そうだが、少しばかり恥ずかしそうに、その顔を向けてくれる。


「おはよう優弥、紫ちゃん」


 ソファーに座っている二人に挨拶を返すと手に持っていたビニール袋をそっと掲げて、二人に問う。


「大学芋たべる?」





 ※※※





 オフィスデスクの上に持っていたビニール袋を置いて、ガサゴソと袋の中身を取り出していく。取り出したのはタッパー。蓋をかぽっと開くと、はちみつの甘い匂いが漂ってくる。


「わぁ、美味しそう……これって、もしかして魁斗くんが作ったの?」


 魁斗の右肩からひょこっと顔を出して、タッパーの中身を覗き見しながら、坂井優弥さかいゆうやが質問をしてくる。


「ちがうよ。これは左喩さんが作ったんだ。いっぱい作りすぎたから、よかったら持っていってあげてくださいってさ」


「はぁ~ありがたい、ありがたい」


 拝むように、優弥は両手をすりすりと擦り合わせてから合掌。


 魁斗の左肘のあたりからひょこりと、小さな顔を出すのは佐々宮紫ささみやゆかり。視線は大学芋に釘付けだ。この子は甘いものが大好きらしい。目をお星様のようにきらきらと輝かせている。


「たべる? 紫ちゃん」


 魁斗は紫に向けて、顔を振り向かせると、そっと割り箸を差し出した。


「たべる……」


 紫は素直にそれを受け取り、ぱきっと上手に割り箸を割ると大学芋にその箸を伸ばしていく。


「ほら、優弥もたべな」


 優弥にも割り箸を渡してやる。顔を綻ばせながら嬉しそうに受け取り、割り箸を上手に割ると大学芋に箸を伸ばしていく。


「おれも、たーべよっと」


 意気揚々と自分用の割り箸をぱきんと割ると、左右均等に割ることができなかった。それどころか真ん中付近で割り箸の一つが折れてしまっている。


「……」


 眉間に皺を寄せ、折れた割り箸を眺めていると優弥がニヤッと意地悪そうな顔を浮かべる。


「あーっ魁斗くん、割り箸折れてるぅ。不吉だぁー」


 などと、茶化すように言ってきた。

 魁斗は、じろりと茶化してきた優弥を睨みつけ、心の中で呻く。


 うっさいぞ優弥。お前をここから追い出して路頭に迷わせたっていいんだぞ。意地悪なお前なんかに左喩さんの大学芋を持ってこなければよかったっ……! 


 と、子どものように呻いた。もちろん声に出しては言っていない。


 魁斗はおもむろに折れた割り箸の方で大学芋を突き刺し、口の中に入れた。

 そして、カッと目を見開く。


「う、うまい!」


 こ、この味は……最強だ。


 魁斗は口に手を添え、体を震わす。

 もう優弥に茶化されていたことなんてどうでもよくなるほどに感動していた。


 良いタッパーなのか、まだ中身が温かい。

 そして、肝心の大学芋はトロミのあるタレで上品に包まれてありながら、表面はカリッとしていて中はホックホクに仕上がっている。油の量は抑えつつハチミツの甘さがお芋本来の優しいほのかな味わいを邪魔することなく引き立てている。さすが、左喩さんだ。


 魁斗の言葉に続いて左隣からも、


「美味しぃ……」


 と、小さく囁く声がぽつりと漏れて聞こえてきた。


 その方向に振り向くと、まるで子リスのように、ほっぺたに食べ物を溜め込みながら頬張り、その小さな体をぷるぷると震わせていた。口元を自然に綻ばせ、ほっぺたに手を当て、普段は凛としているはずのその眼光を甘く変えて幸せそうに、はぐはぐと食べ進めている。


 魁斗は、その幸せそうな表情を見て、

 やっぱり持ってきてよかったな……と心の底から思った。


 自宅に現在居るであろう左喩へと、その方角に顔と視線を向けて、魁斗は心の中で呟く。


 あなたは間違いなく、いい奥さんになります。


 あら、そんな……。

 

 妄想の中で両手を頬に当てながら、照れている左喩の顔を思い浮かばせつつ、もうひとつ大学芋を頂いた。









 三人でがっついているうちに、タッパーの中身があっという間に空っぽになった。


 美味しかったねー、うんっ! なんてことを二人でソファーに座り、笑顔を浮かばせながら、満足げに優弥と紫はお腹をさすっている。


 その光景を見て改めて、持ってきてよかったな、と思った。


 優弥は自分用に買ったマグカップの中のお茶をぐびっと飲み、一息つくと、魁斗の方へと顔を振り向かせて質問してくる。


「そういえば、累さんは?」


 大概、事務所に足を運ぶときは魁斗とセットで累も一緒に来ることが多いのだが、最近はそうでもない。用がないときは、元々そんなにここには来ないし。何かしら仕事の依頼があると累に教えられて来る程度だ。だが、優弥が事務所に住み始めてからは、魁斗はちょくちょくここに足を運ぶようになった。快適に過ごせているのか、困ったことはないか、今どうしているのか、とか。余計なお世話かもしれないが気になるのだ。今回、累が居ないのには理由があるけれど……。


「累は……明日の準備をしてるらしい」


「明日の準備?」


 優弥は不思議そうに首を傾げる。


 それはそうだろう。これだけじゃ、なんのこっちゃわからない。


 魁斗は続きを口にする。


「うん。明日……一緒に母さんの墓参りに行こうと思っててさ。修学旅行で買ったお土産も、まだ持っていってないし、それに母さんに見せてやりたいものがあるんだ」


「……そっか」


 優弥は少しばかり複雑そうな表情を浮かべ、視線を下に向ける。優弥は魁斗が皆継家へ行くことになった経緯や理由を知っているし、自分の家族だって魁斗同様に殺されてしまっている。なにか思うところがあるのだろう。


 さっきまでの活気あった空間が静寂に変わる。

 そのまま、なんとなく気まずい雰囲気のまま、少し黙っていると、


「わたし……先、帰るね……大学芋ありがと」


 その空気に堪えられなくなってしまったのか、紫はそろそろとソファーを立ち上がり、出入り口の扉へ向かって歩いていく。


「紫……」


 優弥が立ち上がり、微かな声で名前を呼ぶも紫は立ち止まらず扉のドアノブに手をかけた。

 キィ、バッタン、と。扉が閉まる。

 その姿が見えなくなるまで、残された二人はただ見送ってしまった。


 魁斗は、やってしまった……とばかりに苦い顔をして片頬を吊り上げる。 


「……すまん、空気悪くしちまった」


 それを聞いた優弥は力のない笑顔を向けると、返答を返してくる。


「いや……魁斗くんのせいじゃないよ。これは、ぼくのせいだ……ぼくが少し辛そうな顔しちゃったんだと思う」


 優弥が少し悲しげに苦笑を漏らす。

 魁斗はその顔を見て、薄く唇を噛み締めた。


「うん……だったら尚のことすまん。配慮が足らなかった」


 優弥はすぐさま否定をするように顔を上げ、淡く微笑むと首を横に振る。


「いやいや、本当にいいんだよ。魁斗くんは、ぼくの質問にただ答えただけだし。それに……」


 優弥は紫が出ていった方向をもう一度見つめる。


「ぼくはもう、わりと吹っ切れてるんだ。まあ、完全に……とは言えないのかもしれないけど。もう、ぼくは過去には生きていないから。ちゃんと前を向いて今と、この先の未来を生きたいと思ってる。だけど、優しい紫はたぶん気にしてる。紫の両親もぼくの家族に殺されたのに。紫は両親との記憶はほとんどないって言っていたけど……それも、どうだろうね……。言い方がおかしいかもしれないけど、そういった面では、ぼくたちは同じ、なんだけどね……。うん、どうも、ね……」


 優弥は、ふうっと短い息を吐く。魁斗は黙って優弥の語られる言葉を待つことにする。


「ぼくが事件を起こした後、最初はちょっと気まずかったんだけど、今はもう前と同じように話せるようにはなったんだ。だけど……どこか、なんか……少し、むずかしい」


 そう言って髪をくしゃっと掻きながら、優しげな笑顔を向けてくれる。


 魁斗は紫の心情を想像する。


 佐々宮紫としての立場もそうだし、優弥がしでかした謀反のことだっていまだ遺恨を残してるだろう。過去の抗争で互いの両親を殺されたことだって、すぐに受け入れることは難しいだろう。


 紫ちゃんだって、まだ十四歳の女の子だ。こんなにいっぺんに色々と知って、色々なことがあって、悩まない方がおかしい。


「そっか」


 魁斗は短く、その一言だけ相槌を打つように優弥に返した。


「うん……まだ、あれから日がそんなに経っているわけじゃないしね。色々と紫も今、整理しているんだと思う……だから、ぼくは……」


 優弥は真剣な顔で、真っすぐな目をして魁斗を見つめてくる。


「より紫とわかり合えるように、傍にいて言葉を重ねていくよ」


 そうして少しだけ首を傾けて、優しく微笑んだ。そして、自信たっぷりげに、口角を上げて言う。


「一番大事だからね」


 先月とは違う、明るい目をして優弥はそこに立っていた。

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