第七章 終わりの瞬間 ①


 ある日から怖がっていた。

 過去の自分が、今の自分を現実に映し出すのことを。

 だけど、どうしても止められなかった。

 うしろから、あの頃の幼かった自分が――ぼくを、ずっと見てるんだ。









 ふと、意識を現実に戻すと、紫の目が真っすぐにこちらを向いていた。


「優弥。そいつ、降ろしてあげて。そいつは殺さなくてもいいんでしょ?」


 戦いを見守っていた紫が尋ねるように言う。


「……うん」


 優弥は魁斗を担ぎ込むと歩き出し、屋敷の外廊下の床の上へ優しくそっと降ろした。


「……」


 しばらく気を失った魁斗の顔をじっと眺め、目を閉じると、振り返って紫のもとへと戻る。


「……決着つけようか?」


 折れた刀を地面に置き、転がっている無事な刀を拾う。


「うん」


 紫も再び大剣の柄を強く握りこんだ。





 ※※※





 全力の一撃が振り下ろされる。

 大気を震わせ、風を斬りながら、その大剣は優弥へと向かう。


 ――そして、刀が、跳んだ。


 くるくる回りながら、宙を舞った。

 所有者を失ったかのように。

 くるくると……。


 やがて刀は重力に伴い、ただ落ちていく。

 刀身を下に、切っ先から地面へと突き刺さる。

 敗けた。





 敗北したのは――佐々宮紫だった。





 紫は刀をその手になくして、呆然と立ち尽くす。

 空になった手を黙って静かに見つめる。


 そして、優弥は切っ先を紫へと向けた。


「ぼくの勝ちだね」


 紫は言葉を返さない。

 ただ茫然と、空になった手をいまだ広げたまま、顔を上げて優弥の顔を瞳に映す。

 言葉を返さない紫に対して、優弥は目を細め、


「……終わりだね」


 囁く。


 ようやく紫が広げていた手をすとんと下におろす。


「最後に、聞かせて……」


 紫はそっと瞳を強く光らせると、優弥の顔を、その目を、真っすぐに見つめる。


「優弥は……わたしのことも、ただの恨みの対象としか見てなかった?」


 続けて、


「正直に答えて……」


 紫は目を離さない。ただただ真意を確認するように、優弥の目を見る。


 目を離せなかった。そして、開こうとした唇が不意に震える。視界が滲んでいき、目尻にじわじわとなにかが溜まってきているのがわかった。


「そんなっ……そんなこと、聞くなっ!!!!」


 思わず声を荒げる。震えた唇で、震えた声で。大きく、大きく声を上げた。


「言わないっ! 絶対に……」


 ついには目から涙がこぼれ落ちる。

 刀を向けている女の子と一緒に居た時間が、思い出の日々が濁流のように込み上げてくる。刀を握っている指先が震える。



 ここは地獄だ……。



 紫は優弥の目を見て。


 そして――笑った。


 どこまでも優しい笑顔を浮かべながら、紫も自然と涙が溢れだしていた。それでも、笑顔を絶やさないように、


「うん……ごめんね――優弥」


 口許を微笑みに変えて、謝った。


 なんで、なんで、紫が謝る……?

 きみだって、両親を坂本に殺されたはずだ。

 おかしいじゃないか、謝るのは……。


「ゆかりぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!!」


 見守っていた俊彦が咄嗟に動き出した。


「押さえてろっ!!」


 優弥の命令で、すかさず周りにいた男たちが俊彦を捉え、銃口が向けられる。


 優弥は鋭い目つきで俊彦を一瞥すると、


「そこで黙って見ていろっ! すぐにお前も殺してやる! それで終わりだ!!」


 凄むように声を荒げる。


「ぬうううぅぉぉおおおおおおおおおっ、さかもとぉおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!」


 俊彦は狂気じみた眼光を向けて、吼えた。


 だが、優弥は俊彦に向けていた視線を切って、再び紫に視線を移す。


 切っ先は紫のすぐ目の前。

 刀を振ると、この子は終わりだ。

 ぼくは、この瞬間のために生きてきた。

 もう、手に届く位置。


 恨みを怨念を過去を晴らすことができる。

 父さんの。母さんの。兄弟の。みんなの思念を。無念を。願いを。


 これは、当然の……当たり前の報いだ。


 柄を握っている手に力を込める。


「――っ!」


 歯を食いしばる。顔がぐちゃぐちゃに歪んでいく。


 不意に頭では思い浮かんでしまっている。


 いくら自分にはそれしかなかったとはいえ、自分に手を差し伸べてくれた張本人に、ぼくは刀を向けている、と。



 ――これは、間違っているんじゃないか?





『――しょうがないだろう、我々は戦争をしているんだ』


 そんな言葉じゃ片づけられない。



『――お前が生きているのは今か、過去か……?』


 ぼくのすぐうしろには、泣いている幼い頃のぼくがいる。



『――泣いてるの……? 優弥?』


 泣いているよ。だから、もう泣かないように。終わらせるんだ……。



 なのに、涙が……



「泣かないで、優弥……」

 

 現実の、今、目の前にいる、少女が言う。




 ――流れてくるのを止められない。

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