第六章 吸血鬼と二つの刃 ④

 

 庭園の中央で見知った二人が刃を交えている。

 それは、稽古とは違う。

 真剣での命を賭けたやり取り。


 優弥は両手に刀を握って、二つの刃を操っている。

 それに対して紫は大きな異形な大剣を体の目一杯を使って振り回している。そして、互いに瞳を揺らしながら、苦しそうに、もがくみたいに戦っている。


 どれぐらいの間、打ち合っていたのだろう。二人ともが、互いに肩を上下させる荒い呼吸。そして、大量に流れている汗。


 肌を刺すような二人の濃密な空間に、魁斗は声が出なかった。









「――終わらせるっ!」


 優弥が動く。自身の殺気をすべて込めるように、両の刃を走らせる。もはや、魁斗の動体視力でも追えないほどの速さ。まぎれもない達人の技。舞うように二つの刃が上下、左右、斜め、と四方八方から紫を襲う。紫は大剣を盾にどうにか防いでいるが、徐々に押し込まれて後方に足を下がらせていく。肩や腕、腿に刃が掠り、小さな体には切り傷が刻まれていく。


 堪らず、魁斗は人垣の中へと突っ込んでいった。

 銃を持った男たちが驚いたように振り向いて、「誰だお前は!」と、叫びながら銃口を向けて発砲してくる。


 ……邪魔だ。


 魁斗は銃弾を避けると、男二人を両拳で同時にその頭部を地面に叩き落とした。

 途端に道が開かれる。


 優弥と紫は一瞬、発砲音に気を取られるが、しかし、ほとんど同時に戦闘へと意識を戻す。再び、柄を握る手に力を込めると、二人は同時に相手へと刀を振り下ろす。


 ――瞬間。


 二人の間に割って入った。

 両者の振り下ろされる刀の柄をその手で掴み、離さないようにぐっと握りしめて、力を込める。そして、紫を背に優弥を睨みつけ、吠えるように声を上げた。


「やめろっ! この、ばかやろうがぁっ!」


 唾を飛ばしながら、馬鹿でかい声で言う。


 刀を止められた二人は目を大きく見開いて、


「魁斗くん……」


「お前……」


 前から後ろから、自分を呼ぶ声がする。

 思わぬ相手が割って入ってきて驚いている目だ。


 不意の乱入者で一旦、戦闘が止まった。

 ただ戦闘態勢だけは解かずに、一瞬の沈黙がその場を支配する。

 魁斗は握った手を離すも、紫を守るように優弥の前に立ち塞がる。


「お前は……」


 当主の俊彦も離れた場所で目を大きく見開いて言っているが、返事をするつもりはない。


 魁斗は優弥の眼だけを見る。


 思った通りだった。

 その瞳には迷いの色が覗かれる。決して陰りだけではない。

 意識を失う前に見せた優弥の悲しそうな、あの眼は見間違いではなかった。


「優弥……どうしてこんなことする?」


 優弥は表情を曇らせながら、忌々しげに唇を歪めた。


「言ったでしょ。佐々宮を潰すため」


「だから、それはなんでかって…」


「わたしたち、佐々宮が……優弥の家族を滅ぼしたから」


 後ろから、か細い声がした。答えてくれたのは紫だった。思わず、後ろを振り返って紫の方を見る。紫は悲しげに瞳を地面へと伏せながら、唇を噛みしめている。



 ――復讐



 だけど、それでも……。


 それでも納得できなかった。信じたかったのだ。優弥の

 だから、優弥に尋ねる。


「優弥、その刀はほんとにもう下ろさないのか……?」


 優弥は一度自分の手に握られた刀に目をやると、眼光を強くさせて、


「下ろさない」


 答える。


 その返答に魁斗は、ぎりっと奥歯を噛みしめると、続けて言葉を投げかける。


「お前らは、あんなに認め合ってたじゃないか! あんなに笑いあって……ほんとの家族みたいに! 兄妹みたいに! なのに、争うのか……?」


 問いかけに、一瞬だけ間が空いた。だけど、


「そうだよ」


 優弥は答えた。


「引け、ないのか……?」


「……無理だよ。もうこんなことしておいて、今さら引けないよ。それに……」


 優弥は刀を顔の前に持ってきて、一度目を閉じる。なにかを思い出すように眉間に皺を寄せていく。そして、再び目を開け、口を開く。


「目を閉じると見えるんだ。殺されたみんなの無念が、悔しさが、願いが。それは、ぼくだけが叶えられる」


 そう言うと、刀を下ろし、ぐっと柄を強く握りこむ。


「――だから、ぼくは佐々宮を滅ぼすまでは引けない」


 優弥が刀を構える。


 その姿を見て、魁斗は決意した。


 あの修学旅行の夜に語っていた優弥の言葉は絶対に偽物なんかじゃない……。


「だったらおれも引けない。お前に紫ちゃんはやらせない。お前を死ぬほど後悔させてたまるか。絶対に、止めてやる……」



 ――ドンッ! と、拳で胸を打つ。



 相手に向けた大きな瞳に、血の色の輝きが宿る。

 溢れる闘争心。紅く紅く燃え上がるように全身から力が湧き出てくる。


 紫が思わず目を見開いて、声を発する。


「お前、それ……」


「やっぱり、きみは……」


 優弥は目を細めて囁く。


 今の自分の姿がどうとか、家柄とか関係ない。そんなの今はどうでもいい。こいつだけは止めてやる。


「下がらねぇと、ぶっ飛ばすぞ」


 血沸く。頭に血が昇っている。ぎりぎりと奥歯を噛みしめる。


「……生憎、後ろに下がる脚はついていないよ」


 反対に優弥は冷静に告げた。

 そして、腰を屈める。

 一歩足らずで懐まで距離を詰められ、両脇から刃が迫り来る。


 魁斗は後ろへと飛び退った。


 すぐ目の前を剣先が通る。

 真剣。

 触れれば切れる。

 

 距離を離し、足を止める。

 呼吸をゆっくりと整え、激しく沸き上がる闘争心を抑えていく。


 冷静になれ。


 ふうーっと長く息を吐き、構えを作っていく。


 足を大きく開いて、腰を深く落とした。

 左足を前に、右足は後ろに引いて爪先は右に開く。

 左手を上に右手を下にして、それぞれ平手にする。

 敵に対して壁を作るような構えだ。

 皆継で習った対刀での戦闘の型。


 自分に向けられる刀。しかし、全く動揺はしない。

 ずっと想定してきた。

 母さんを殺した相手はおそらく刀を使用する。

 刀相手の稽古だって、欠かしたことはない。

 だからこそ、いまさら真剣に臆することはない。

 血が昇っている頭でも、途絶えることなく思考は出来ている。


 離れながら戦う。

 戦い方は脳内ですでに描けている。自分は安易に相手の間合いには踏み込まない。刀を躱し、捌きながら、相手がこちらの間合いに入ってきたところを迎え撃つ。


 距離を取った魁斗へ向け、優弥が突撃。片手を伸ばし突きを繰り出してきた。

 それは、超速の刺突。


【血死眼】を発動していなければ、目で追うことさえできず、今頃は体を貫かれていただろう。だけど、今は優弥の動きがはっきりと見えている。


 繰り出された剣先は魁斗を捉えることができなかった。

 身を屈め、平手にしている手を動かす。左手の甲で払う。瞬きはしない。一瞬も気を緩めてはいけない。そして、空いた脇腹……ではなく、魁斗の左頬皮一枚を外して通過していった刃の腹に目掛けて、右手で掌底。刀身を真っ二つに叩き割った。次に払った左手を後方に引き、掌底の形を作ると、空いた身体の中心点を狙い、力いっぱいに叩き込んだ。


「――ぐっ、はっ……!」


 優弥は吸い込んだ酸素を一気に吐くように声を漏らすと、身体がくの字に折れ曲がり、衝撃のまま後方に飛んでいった。二、三回バウンドするとようやく止まって、その場に跪く。だが、決して刀を離さなかった。刀身が無事な方の刀を地面に突き刺し、自分の身体を支えるも、苦顔に歪め、嘔吐した。吐き切った後に、ぎろりと、魁斗を睨みつけた。衝撃は甚大のようだった。


「引け、優弥」


 魁斗も睨み返す。だが、言葉に反するように優弥は立ち上がった。ようやく自分を敵だと認識した目。


「ほんとに、斬るからね」


 身を屈めたと思った瞬間、再び魁斗の目前に位置する。

 魁斗は優弥の繰り出される刀を捌いていく。


 そして、頭の中ではずっとグルグルと戦闘とは別のことを思い浮かべていた。

 ここに辿り着く前に走りながら考えていた。


 おれは優弥に斬られてはいなかった。殺されず、ただ気絶をさせられていただけ……。


 魁斗は優弥の剣技を捌ききると、相手の間合いに入りこまないように後方へ跳躍。相手と距離を取っていく。


「優弥。なぜ、おれを殺さなかった?」


 魁斗は構えを崩さずに尋ねる。


「きみは、坂本の復讐にはなにも関係ないから。それだけだよ……」


 それは、そうなのかもしれない……けど、お前は復讐を邪魔されたくなかったんじゃないのか……? あんなに中途半端に気絶させても、いずれおれが目を覚ましたら、応援を呼ばれたり、邪魔されることはわかっていただろ?


「……お前、ほんとは止めてほしいんじゃないのか?」


 優弥は一瞬身体が固まる。だが、すぐに眉間に皺を寄せて、睨みをきかすと、


「知ったような口をきくな。きみたちが、きみが来たってなにも変わりはしない……やることはひとつだ」


 再び、戦闘が再開される。


 一気に距離を詰めてきた優弥の鋭い剣の技が魁斗を襲う。が、すべてをいなし優弥の身体に拳を叩き込む。その度に優弥は衝撃で吹っ飛ばされるもすぐに態勢を立てなおして素早く突撃してくる。さらに殴った。蹴った。もちろん全力で。だが、優弥の眼は死なずに、再び向かってくる。


 そうまでして、紫ちゃんを殺したいのか?

 

 不意に思考は自身の過去を蘇らせる。

 


 ――母さんの亡骸なきがら



 自分だって、母さんを殺された。

 もし、その仇が目の前にいたらどうだろう……?


 優弥の瞳を見る。

 その目に宿っているのは、燃え上がるような復讐心。

 気持ちが痛いほどわかってしまう。


 だけど……でも……どうしても……。


 魁斗は新幹線内で語り合った優弥の姿を思い出していく。





『――その時に、出会ったのが紫だったんだ』


 心底嬉しそうに顔を綻ばせて、笑顔を浮かべていた。




『――今よりも、もっとちっちゃかったんだよ。こんな』


 少し小馬鹿にするように、笑って手を自分の胸あたりに水平にして見せてくれた。




『――だけど、今と同じようにあの子は強い眼をしてた』


 憧れるように、焦がれるような眼で優弥は言った。




 ……そして、優弥は大事に、大事に、囁くように、言った。




『――そして、差し出してくれたんだ、手を』


 あの時の……優弥の笑顔は嘘なんかじゃなかった。


 



 記憶を沈めて、目の前の優弥を見る。


「優弥っ! 本当に、今のお前は――」


「黙れっ!」


 気がつけば剣先がわずかに頬を掠った。裂かれた皮膚から血が流れる。

 魁斗は後方に一歩、体を引かせると、回転しながら回し蹴りを放つ。顎を狙うも、優弥も瞬時に反応。顔を反らし、かかとが喉元をわずかに掠める。


 躱された……!


 さらに優弥に追撃を許してしまった。四肢をわずかに斬られる。


 今の自分の状態に優弥が適応している……? や、それとも……もう自分の限界が近いのか……?


 再度、右足を振り上げ上段蹴りを放つも、躱される。


 くそっ……!


 焦り、自ら相手の間合いに入り込んでいく。後方へ引いた拳を胴の中心部に叩き込むように真っすぐ突き出す。


 だが、優弥は地面に伏せるくらいまで身を沈め、刀も横向きにしながら、後ろ向きに転がり滑るようにして、魁斗から思い切り距離を取る。


 魁斗は深追いしない。素早く構えを作る。

 軽く息が切れている。


 今の身体の状態から察するに、暁斗との戦闘の時のように、限界が近づいてきているようだ。


 まだ、自分の身体はこの力についていけていない。

 かなり、かなり不便だと思った。

 だけど、この力を使わないと優弥には太刀打ちできない。


 悔しくて奥歯をぎりっと噛みしめる。


 しょうがない。この力を使いこなすための身体づくりをしてこなかったのだから。身体を鍛え始めて、まだ一年程度。

 そう都合よく、安易に強い力は手に入らない。

 今は少しでも身体がもてばいい。


 優弥は空気を切り裂くように、刀を振るう。


「息上がってるよ、魁斗くん……」


 言われなくても、わかってる。


 焦り、さらに頭に血が昇った。

 ゆえに、反応が一歩、遅れた。

 瞬きの瞬間、優弥が懐に潜り込んでいた。

 刀が横薙ぎに振られる。


 魁斗は後方に急いで身を引いた。だが、腹部を斬られていた。血の粒が舞って宙に浮く。


 優弥との距離を離すために前蹴りをするも、空振り。だが、優弥が距離を取った。


「痛ぇ……!」


 腹の肉が裂けている。しかし、幸いにも内臓には達していない。

 それでも、思わず呻いた。

 痛みを噛みしめる。


 強い風が、魁斗のまわりを過ぎていった。腹に激痛が走ったが、身じろぎする暇は無い。


 どくん、どくんと、心臓の鼓動が揺さぶる視界の中。

 思っても抑えられない、自身の乱れた呼吸音と動悸が頭蓋まで響く。


 ヤバい、限界寸前だ……。


 バチンッと神経か、なにかが切れるような音がした。

 間もなくして優弥が間合いを詰めてくる。

 それでもかまうか、と、魁斗は拳を握り振り上げて、振り切る。

 だが、体がイメージ通りに動かない。


 なんて、脆い身体だ……。


 体が脳内の動きに追いついていない。

 魁斗は避けられないとわかり、優弥の刃を左手で受け止める。手の腹から甲へと刀身が通過し、激痛が襲う。もはや力が上手く伝達できていないが、決して離さぬように左手を握り力を込めると、右手を思いっきり振りかぶり一発、右頬に叩き込んだ。


 優弥は声を漏らしながら体を弾かせる。左手から刀身が引き抜かれた。抜かれた左手からも血が流れ出してくるが歯を食いしばり堪える。


 優弥の体は後方に倒れつつも、右脚を素早く後ろに引いて、踏ん張ると、左脚を振り上げる。上段蹴りが魁斗の側頭部へ襲う。突然、視界が乱れるようにして横に弾き飛んだ。地面に倒れて苦痛に悶えるも、体を起こしていく。


 左手が痛い。腹も痛い。頭もふらつく。体がいうことをきいてくれない。血も流れ過ぎている。


 もはや、ガソリンは尽きている。動けているのは気力のみ。


 だけど、絶対に止めたかった。優弥を。

 優弥と紫。

 二人を見ていると、自分が幸せな気持ちになったからだ。その姿に自分と累の姿が重なる。だから、絶対に殺し合ってほしくなかった。


 立ち上がる。気力で、声も漏らし、全てを出し切るつもりで。


「きみも、いい加減しつこいよ……」


 優弥は魁斗が立ち上がるのを見るや、もう一度間合いを詰めてくる。魁斗は優弥の左からの薙ぎ払いを屈めて避けるとそのまま懐に入り、右の拳を腹に叩き込んだ。


 優弥が苦痛の声を漏らす。


 そして、魁斗の腹には優弥の持っていた刀身が壊れた方の刀がえぐり込んでいた。


「ぁっ……」


 口から血が漏れる。

 立っていられない。全身の力が抜けて、優弥にもたれかかるように身を預ける。その耳元で魁斗は最後の力を振り絞って囁いた。


「……優弥、お前が生きているのは……今か、過去か……?」


 言った瞬間、魁斗はこと切れるかのように意識が飛んだ。

 

 意識を失った魁斗を支えて、その背中に手を回す。そっとその横顔を見つめて、優弥は言った。


 

 ――ぼくは、今を生きていないよ。ここにいるのは、過去の自分だ。

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