第二章 裏世界への門出 ④


 そのまま床の間に案内される。

 綺麗な和室で部屋を見渡せば、上等そうな掛け軸に綺麗に選定された生け花、高級そうなお皿、年季の入った刀、怒ったような形相の鬼の面などが飾られていた。魁斗たちは座卓の前に置いてある、座布団に腰を下ろす。


「お茶を持ってくるのでちょっと待っていてください」


 左喩は一旦部屋から離れ、奥へと行ってしまった。魁斗は今の状況を把握すべく、隣に腰を降ろしている累に尋ねる。


「累。あのさ、全然話が見えないんだけど……」


「……左喩さんが戻ってきたら、説明する」


 依然として累は説明をしてくれない。


 なんとなく機嫌が悪そうに見えるのは自分の気のせいだろうか?


「お待たせしました。どうぞ、粗茶ですが」


 お盆を持って左喩が部屋へと戻ってくる。自分の座っている位置の座卓の上にお茶の入った湯呑をそっと置いてくれた。


「……ありがとうございます。みな……えっと、左喩さん」


「はい。どういたしまして」


 左喩はふんわりと優しく微笑むと、座卓を挟んで魁斗の正面に腰を降ろす。腰を降ろした左喩の方に体の正面を向けながら、魁斗はさっそく質問を投げかけてみる。


「それで、あの……いったいどういうことですか?」


 一刻も早く事態を把握したい。だって、全く意味がわからない。


 左喩は一度目を閉じると、お茶を一口コクッと飲む。湯呑を下ろし、目蓋を上げると、


「累さん。確認ですが……魁斗さんはまだ何も知らない状態なのですよね?」


 左喩は累の方を振り向いて一つ質問。


「はい。まだなにも知らないです」


 累は左喩に視線を返して、平坦な口調で返事をした。

 聞いた左喩は軽く息をつき、一度目を伏せると視線を魁斗へと移す。


「では、魁斗さん。今からあらゆることの説明をする前に、まず裏の世界についてご説明します。複雑な話はできませんが、なにかわからないことや質問がある時は聞いてください」


「えっ、裏の世界? ……あっ、はい……」


 思わず間の抜けた返事を返す。想定してなかった答えが返ってきたため、若干、困惑するが、すぐに思考を切り替える。


 累が言ってた、あのことか。


 左喩がにっこりと笑って魁斗を見つめる。魁斗が聞く準備が出来るのを少し待ってくれているようだった。魁斗は視線を左喩に送り、小さく頷いた。


 そして、艶やかな唇が語り始めた。


「この日本では、ずっと昔から争いが起きています」


 いきなり大ごとのような出だし。魁斗は目を丸くさせる。続けて、質問が投げかけられた。


「魁斗さん。『三権分立さんけんぶんりつ』はご存じですよね。学校の社会の授業で習ったはずです」


 三権分立……?


 名前自体はなんとなく聞いたことがあるが、内容までは網羅できていない。


「えーと……ちょっと、あやしいです……」


 人差し指で片頬をぽりぽりと搔きながら、苦笑いを浮かべ、正直に答えた。累が隣でため息をついているのが聞こえる。


 しょうがないだろ、勉強できないんだから。


「ん~と……では、簡潔に述べますね。国の権力には立法権りっぽうけん行政権ぎょうせいけん司法権しほうけんの三つがあるのですが、この三つを分ける仕組みを『三権分立』って言います。それは聞いたことありますね?」


 なにやら難しい権利の言葉が飛び出してくる。


 確かになんとなくは聞いたことがある気がするが、それがいったい何につながるんだろう?


 魁斗は眉間にしわを寄せながらも、なんとか頷いてみせる。


「国の権力を三つに分けた理由は、国の権力が一つの機関に集中すると濫用らんようされるおそれがあるためです。それぞれ三つの権力が互いを抑制し、均衡を保つことによって権力の濫用を防ぎ、国民の権利と自由を保障しようっていうことです」


 なんだか、学校の授業みたいだなあ、と魁斗は思いながらも頷く。

 左喩が説明を続ける。


「『立法権』は、国会や議会といった組織で構成されて、法律をつくったり、変えたり、廃止したりする権限です。『行政権』は、国会が決めた法律や規制など、予算に基づいて実際に業務を遂行する権限。そして、『司法権』は、人々の争いごとや犯罪などを憲法や法律に基づいて裁くことができる権限を指します。……聞いたことありますでしょう?」


 たしかに、授業やニュース番組やらで聞いたことはある気がする……けど。ほとんど頭には入っちゃいない……。今聞いたとて、半分くらいしか理解できてない。


 とりあえず魁斗は、うんうんと頷いた。


「わからなかったら、後で教科書を読んでみてくださいね。もしかしたら、テストに出るかもですよ。……では、続けます」


 ん、テストに出る? 


 左喩は一度、コホン、と咳払いして説明を続けた。


「この三権分立の権利をそれぞれ裏で支配している三つの家系があります。『立法権』を裏で支配している家系が≪深海家しんかいけ≫、『行政権』を支配しているのが≪大陸家たいりくけ≫、『司法権』を支配しているのが≪天空家てんくうけ≫です。この三つ家系、いわば三つの派閥が裏で権力争いをしています。三勢力の争い、まさに三国志さんごくしみたいですね」


 左喩は人差し指をぴんっと突き立て、片目を開くと、こちらを見つめてくる。


 ん? 今のは、まさかボケ……なのか?


 左喩はコホン、と咳払いをして「続けます」と言い、説明に戻った。


「このように裏の世界では権力争いで武力衝突が起きてます。その裏の争いでそれぞれの派閥に属し、前時代から戦い合っている七つの家系があります」


 また家系。それに七つも。


「まずは、我が≪皆継家みなつぎけ≫、そして皆継の傘下に≪佐々宮ささみや≫、≪隠里かくれざと≫とあります。その他に、≪黒白陽こくびゃくひ≫、≪式之森しきのもり≫、そして≪紅月こうづき≫に傘下の≪蒼星あおぼし≫……」


「紅月!?」


 魁斗は苗字を聞いた瞬間、驚きの声をあげる。


「左喩さんっ! あの、紅月って…」


「魁斗、一回最後まで聞いて」


 今にも左喩に詰め寄りそうな魁斗を累が止めるように声を挟んでくる。


「やっ、でも……」


「いいから、まずは聞きなさい」


 冷然な声で言われ、魁斗は気圧される。納得はできなかったが、最後まで左喩の説明を聞こうと言葉を喉の奥に無理やり押し込む。視線を左喩に戻すと、左喩は目をまん丸くさせて、少し驚いている様子だった。


「えー、……では続けます」


 コホン、と咳ばらいをして、


「あー……びっくりしてどこまで話したか、忘れちゃいました。どこまで言いましたっけ?」


 左喩は累の方を見て、尋ねる。


「七つの家系まで」


「ああ、そうでした、そうでした」


 累は平坦に。

 左喩はマイペースに言葉を繋いで、説明に戻った。


「≪皆継みなつぎ≫、≪佐々宮ささみや≫、≪隠里かくれざと≫、≪黒白陽こくびゃくひ≫、≪式之森しきのもり≫、≪紅月こうづき≫、≪蒼星あおぼし≫。この七つの家系が裏で争い続けているわけです。裏の世界では『七雄しちゆう』なんて呼ばれているみたいですよ。なんだか戦国時代のようですね」


 左喩のボケなのか、本気なのか、よくわからない言葉に対して、完全に受け流す。というよりもそのボケに気づいて拾ってあげられるほど、頭の中は落ち着いていられなかった。名前を挙げられた≪紅月こうづき≫という言葉が魁斗の頭の中をぐるぐると回っている。


「ほんとに戦国の世から続いているとも言われてるんですよ。わたしたちの家系…」


 うんぬんかんぬんと思考の外で左喩が言葉を続けているが、今はそんなところに引っかかっている場合ではない。


 コホン、と咳払いをして左喩が顔を引き締める。「続けます」と行って左喩が口を開いていく。本題に戻るようだ。


「派閥ごとに各々の家系が組み込まれています」


 天空派の勢力は≪黒白陽こくびゃくひ≫。

 大陸派の勢力は≪式之森しきのもり≫、≪紅月こうづき≫、≪蒼星あおぼし≫。

 深海派の勢力は≪皆継みなつぎ≫、≪佐々宮ささみや≫、≪隠里かくれざと≫。


 大きく分けると、この三勢力が争い合っているという。


「私たちの家系は≪深海しんかい≫派に属しています。この≪深海しんかい≫と≪大陸たいりく≫、≪天空てんくう≫の三つは国の三柱とも言われる名家です。なので、表の世界でも名前が通っています。その裏で協力関係にあるのが、わたしたちの家系というわけです」


 だいぶ、もう衰退してますけどね、と付け加え、一通り説明を終えると、左喩がお茶を飲んでふうっと一息つく。


「ざっと簡単ではありますがこんなものですね。では魁斗さん。質問をどうぞ」


 魁斗は頭の中でループしていた名前を引き出す。


「紅月って、おれの苗字と一緒なんですけど……」


 左喩は冷静に受け止めて質問に返す。


「あなたは、おそらく紅月の家系となにかしら関係があると思われます。詳しいことはわたしにもよくわかりませんが……」


 聞くと、魁斗は俯き、顔を手で覆い熟考。


 おれには親戚も身寄りもいない。生まれたところもよくわからない。気づいたときには母さんと二人でこの街に住んでた。生まれてこの方、母さん以外に、おれは家族の存在を知らない。母さんが言うには父さんは自分が幼い頃に事故で亡くなったと言っていた……。母さんの両親も亡くなっていて天涯孤独だったと聞いてる。だから、父さんと結婚して、おれが生まれてようやく家族が出来たんだと嬉しそうに話してた。でも、今思えば、母さんの昔の話をおれはあまり聞いたことがない。自分の生まれた場所のことだってなにも知らないし、疑問にも思ったことが無かった。幸せだったんだ。幸せなあの時間が自分の中に疑問を生ませなかった。それほどまでに、眩しい日々を送っていた。


「ハハッ……」


 自分でも理由はわからなかったが、乾いた笑みを漏らしていた。


 おれは、もしかして何も知らずに生きてきたのか。


 自分の今の状況を左喩の説明と照らし合わしても、まだよく理解はできていない。

 暗闇の思考の中で、聞き慣れた声が耳に響く。


「――魁斗」


 いつのまにか累の顔が目の前に。自分の顔をのぞき込んでいる。


「大丈夫?」


 累の言葉でようやく思考の世界から現実に戻ってきた。「大丈夫」と薄く笑みを返す。累が名前を呼んでくれて、迷走しかけていた頭が少しだけクリアになった気がした。


「左喩さん。もう一つ質問です。母さんを殺した犯人について何かご存知ですか?」


 左喩は質問を聞くと神妙な面持ちになる。


「……おそらく、魁斗さんのお母様を殺したのは裏世界の人間です。しかし、申し訳ありません。詳細は……わかりません。」


 ぺこりと頭を下げられる。


「……犯人は、捕まらないんでしょうか?」


 続けて質問し、左喩は複雑そうな表情を浮かべた。


「……おそらく捕まることはないでしょう。魁斗さんも気づいておられると思いますが、表の世界にはあまり大きく報道はされていないと思います。すでに隠蔽されているかと……警察の捜査も打ち切りに……」


「そんなの、おかしいじゃないですかっ!!!!」


 つい、大声をあげてしまった。だけど、止められない。


「なんで、母さんを殺した犯人が野放しにされるんだ!?」


 激高し、溢れ出る言葉を止められなかった。左喩はべつに何も悪いことをしていないのはわかっていた。だけど無理だった。握った拳が震える。


「おかしいっ! おかしいだろっ!!!!」


 言葉をぶつけた。それでも、左喩は冷静な面持ちのままだった。


「この世界はそういうふうにできているんです。昔からそういうもの、だったんです」


 魁斗は顔が引きつる。


「そんなの……絶対におかしい……」


 悲痛な心の叫びが消え入りそうな声とともに漏れ出る。



 ――この国は狂ってる……。



 頭によぎる。

 左喩は一度目を閉じてから、そして、ゆっくりと開いた。


「ええ、そうです。おかしいんです。だから、わたしはこの世界を変えたいと思っています」


 芯の通った声、力のこもったまなこで左喩は告げた。

 魁斗は一度俯いて、目を閉じる。頭をクールダウンさせる。


 事件後、なにかおかしいというのには気づいていた。ニュースでは取り上げられていないし、新聞にも載っていなかった。警察に至っては、早々に捜査を打ち切っている様子だ。理由はおそらく犯人が裏世界の人間だからだ。持てる権力を使って罪を逃れたのだろう。


 魁斗は、また熱くなりそうな頭を落ち着かせるため、大きく息を吐いた。


「すいませんでした」


 大声で言葉をぶつけたことを謝罪する。


「いえ」


 左喩は表情を崩さず、答える。


「他には何か質問ありますか?」


 魁斗はもう一つ、あることを口にする。


「おれを引き取るってどういうことですか?」


 そう、これもどういう意図かわからない。


「言葉の通りです。魁斗さんは今、身寄りもないですし……おそらく危ない立場にいらっしゃいます。なので、ここに……皆継に住んでいただこうと思っています」


「ここに住む?」


 魁斗は左喩から累へと視線を移す。累は魁斗の目を見て、しっかりと頷いた。


 少し考え込む。


 皆継家に住む……。

 たしかに自分には身寄りも頼るべき場所もない。

 そして、今まで通りに過ごしていれば、自分も。もしかしたら殺されるのかもしれない。その理由はわからないが、自分が紅月と関係があって、裏世界とのつながりがあり、何かしらの理由で命を狙われる可能性がある……って、累も言っていたし。


 でも……


 魁斗は熟考して、もう一つの疑問が生まれる。


「左喩さん。でも……おれって、紅月と関係があるんだとしたら、皆継とは敵対している側になるんじゃ?」


 話によれば≪紅月こうづき≫は大陸派の勢力。深海に属する≪皆継みなつぎ≫とは敵対勢力にあたるはず。敵対関係にあるかもしれない輩をどうして受け入れようとするのだろう?


「そうなりますね」


「だとすると、おれって皆継にとって危ない存在なんじゃ……?」


 自分を引き取ることに何かメリットがあるのか、と疑問に思ってしまう。


 左喩は意外に頭が回りますね、とばかりに目を僅かに開いて、質問に答えてくれた。


「そうですね。魁斗さんは危険な存在、それは事実なのだろうと思います。でも、それを知ったのは、たった今ですよね。……魁斗さん自身には、なにもしがらみやわたしたちと争う理由はないはずです」


 それは、確かにそうだ。けど……。


「それでもおれをこの家に置くって、どういうことですか?」


 投げかける魁斗の質問に左喩は、「ん~……」と声を漏らし、小首をかしげながら人差し指を下唇に当てる。わかりやすく思案している顔を浮かべた。


「たしかに魁斗さんをこの家で預かるのは危険が伴うと思います。ぶり返して申し訳ないのですが、事実、あなたのお母様は何者かの手によって殺されました……」


 その言葉を聞くと、心臓が痛くなる。胸に手を押し当て、堪える。


「しかし、あなたは皆継で引き取ります」


 左喩は澄んだ声で、そう宣言した。


 なんで……? と呆気にとられた表情を浮かべてしまう。質問する前に、左喩が意図を汲んだようにニコッと微笑んで理由を述べてくれた。


「一つは……理由を明かせませんが、ある人との約束、とだけ言っておきましょう。もう一つは、そもそもわたしはこの争い自体ばかばかしいと思っています」


 左喩が息を継いで、続ける。


「わたしはそういうばかばかしい、しがらみや敵対関係、権力争いをこの世界から無くしたいと思っています。それに、魁斗さん自身にはなにも罪がありませんから。……だけど魁斗さんは、これから生き残るために身につけなければいけないことがたくさんあります。それを、伝えるためにしばらくお時間をください」


 左喩はそう言って、にっこり笑った。


 魁斗は顔を伏せ、もう一度考える。


 自分の現在の状況から、頼るのはありなのかもしれない。もし、自分に身寄りや親戚が実は居たとしてもどこにいるかわからないし。もしかしたら、その身寄りも殺されているのかもしれない。でも、母さんは裏世界の人間に殺された。左喩さんだって裏世界の人間だ。なにを信じていいかわからないし、信用などできない。



 ――だけど、この家は累が紹介してくれた。


 

 それだけで、この家は信頼するに値する。

 それに、累は言っていた。

 母さんを殺した犯人にたどりつく方法は、自分が裏の世界に入ること。だとしたら、選ぶべき選択は……。


 それに、と左喩が言葉を継いだ。


「もし魁斗さんが≪紅月こうづき≫の人間だとしたら、近くに置いておいた方がすぐに対処できますし。こちらの方がメリットが大きいかもしれません」


 そう言って、ふわりと微笑む左喩に対し、魁斗が抱いた感想は、



 この人、要注意だ……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る