第一章 沈む夕日 ②
いつも通り授業を終え、下校を告げるチャイムが鳴る。
本日も授業内容は右耳から左耳へと抜けていき、どこか遠い空の彼方へと消えていってしまった。
いったいどこに行ったのだろう。いつも行方不明になる……。
後を追うわけでもない魁斗は窓の外を見ながら眉を寄せ、一人ごちる。まだ教室にはちらほらとクラスメイトが残っており、魁斗は仲良くなった男友達としばし談笑。
明日が一学期の終業式。そして、待ちに待った夏休みが待っている。
男子高校生らしく、下ネタを含めたくだらない会話で親交を深めつつ、横目に累の席を覗いてみた。
しかし、累の姿は見当たらなかった。
スクールバックも無い。下校のチャイムとともに教室を出たのだろう。
友達との会話を終えると教室をあとにした。靴に履き替え、校舎を出てグラウンドをぼんやりと歩く。
累は、おそらく……。
校門を越えたところで、壁に背中を預けてちょこんとしゃがみこんでいる累の姿を発見する。学校が終わると累は大抵ここで自分を待っていることが多い。べつに二人で決めたわけではないのだが、いつもの習慣みたいになっていた。
「よっ、おまたせ」
待ってくれていたのかは知らないが、魁斗は片手を上げ、累に近づいていく。魁斗の声に気がつくと累が顔をそっと上げた。おのずと上目遣いになり、二重の綺麗な目がこちらを向く。透き通るビー玉のような大きな瞳が魁斗を捉える。その目は学校内に居たときよりもきらきらと色づいて見える。
そんなに学校が嫌なのか……?
学校内と外とでは、態度や雰囲気が全く違うことに、疑問をいつも感じている。しかしながら野暮なことは聞くもんじゃないと喉の奥に言葉を押し込んだ。
思春期をこじらせているのかもしれないし……。
累は「うん」と返事をすると、壁に背中を預けていた制服の汚れをぱんぱんと落とすようにして叩きながら、ゆっくり立ち上がる。その後は、一緒に並んでいつもの道を歩いて帰った。
※※※
自宅玄関を開けると家の奥から「おかえり~」と明るい声が聞こえてくる。
奥から聞こえた夕陽の声に返事を返すと、累と共に玄関をあがる。玄関からも美味しそうな匂いがぷんぷんと漂っていた。
唐揚げの匂いだ……。
あとは唐揚げの匂いに負けているが、微かに酢飯の匂いがする。二つの匂いが絶妙に合わさって、魁斗の鼻孔を刺激。食欲をくすぐる。
今日は今朝約束した通り、累も一緒に夕ご飯。
お腹がすいた、早く食べたい……。
自分は、まだ成長期の高校一年生。
運動部には所属していないが、その辺の運動部には負けないくらい食欲旺盛だ。
隣で目を輝かせている累だって自分と同じくらいに食が太いし、好物のお稲荷さんに関しては別格。ある日の夕ご飯で母さんが五十個お稲荷さんを作ったところ、累がほぼひとりで完食した。あの時の出来事には驚きすぎて言葉が出なかった。
あとで、お前それは食べすぎだろ……太るぞ、と言ってしまい、しばらく口をきいてくれなくなった。今となってはいい思い出だ。
はたして今日はどれくらい食べるのだろうと、密かに楽しみにしている。
そんなふうに思考をしていたら、夕陽が声を掛けに来た。
「もうご飯の準備できてるからね。今回もお稲荷さん五十個作ったわよ、累ちゃん」
聞いた瞬間、口元をじゅるりと濡らし、累の目がキラキラと輝きを放った。
食卓に着いた一同は、まさしく家族団らん。
話題は累がこの家を出た時のことだ。
「累ちゃんが家を出て、もう三か月経つのか~……早いわねぇ」
夕陽が切なさを感じているような複雑な笑みを浮かべて言葉を続ける。
「累ちゃんが高校にあがる前にひとり立ちするって言った時、わたしびっくり仰天しちゃった」
「いきなりでごめんなさい」
申し訳なさそうに累がぺこりと頭を下げる。
「ううん、いいのいいの。ただねぇ……やっぱり心配なのと、寂しくって……ねぇ、魁斗」
「えっ……ああ、うん」
突然話を振られた。しかし、唐揚げに夢中になっていたからあまり話を聞いていなかった。
「大丈夫。家を出る前におばさんいっぱいお金をくれたし、バイトもしてるし、こうやってここに来たらご飯だって食べさせてもらえるし。食いっぱぐれることはないですよ」
累がピースサインを出し満面の笑みで心配そうに見つめてくる夕陽に返した。
ん? ちょっとまて。聞き捨てならないことを言ってたぞ。
「えっ……母さん、累にお金いっぱいあげたの? だったらおれにもおこづかい…」
「はぁ~あ、わたしも子離れしなくちゃね」
わざとらしく大きくため息をついて魁斗の言葉を遮ったあと、夕陽は席を外し、お茶を汲みにキッチンの方へと向かっていった。
あ、逃げたな……。
累を横目にチラッと見ると、両手に稲荷寿司を持ってバクバクと頬張っていた。ほっぺたがリスみたいに膨らんでいる。
もう二十個は食べたよな……。
密かに累が食べた稲荷寿司の数を数えている。
正面を見るといつのまにか戻ってきた夕陽がニコニコしながら子供たちがご飯を食べている光景を眺めていた。
引き続き談笑しながら食べ進め、累は三十個目の稲荷寿司に手を伸ばした。
しかし、こいつよく食べるなぁ、と半ば感心しながら累にバレないようにその体を眺める。
モデルみたいなスラッとしたスタイル。
あんなに食べても太ってないんだよなぁ……というよりは痩せているし……。
胸の方に視線を向ける。制服から膨らみは確認できる……が、慎ましい控えめな胸部。手の平に収まるサイズと言えようか。
胸にもそんなに栄養が行き届いているようには見えないし……。
目線を下げて太ももの方を見てみる。
制服のスカートからチラリと肌が透けるような、きめ細かな太ももが覗いて見える。
太ももはだいぶ女性らしくなってきた……。
魁斗は自然と顎に手を添えて、じーっと見つめていた。
「あんた、何見てんの」
それがいけなかった。魁斗の視線に気がついたのか、いつのまにか累が顔をこちらに向けている。それも、怪訝そうに。
「ぬわっ! やっ……別に、何もっ! み、みてませんけど……」
必死に平静を装おうとするが、焦りと戸惑いを隠しきれない。
「見てたでしょっ!」
やっ、やばい! 見てたのがバレたか!?
魁斗は歯をかみ合わせ、顔を引きつらせていると、
「あげないわよ」
「へっ?」
見当違いの言葉にあほみたいな声を漏らす。
「だからあげないわよ! わたしのお稲荷さん」
女の子があまりわたしのお稲荷さんって言わない方が……とは思ったが、そんなことはどうでもいい。まずは状況の把握。
累は自分のお皿の上に乗っている稲荷寿司を両手で隠していた。こちらを睨みつけ、眉毛の両端を滑り台のように釣り上げて、じっとこちらを見ている。なんとなくわかった。
「あっ、そういうこと……」
「何がそういうことよ」
じろりと睨みをきかされる。
「ああ、いえっ……どうぞ、お納めください」
魁斗は苦笑いを浮かべながら累に稲荷寿司を食べることを勧める。正面をみると夕陽が変わらずニコニコしながら自分たちのやり取りを見ていた。
「やっぱり兄妹みたい」
夕陽は見ている光景を愛しむかのように優しく微笑んだ。
魁斗と累、二人が同時に夕陽に視線を向けると、夕陽は両手を伸ばして二人の頭をそっと撫でる。
「二人とも大きくなったね~」
頭をさわさわと撫でられる。すごく……いや、物凄く照れくさい。
「な、なんだよ母さん。おれもう高校生なんだけど……」
優しい手つきで自分の頭を撫でる母の手に心地の良い感覚と入り交じり、恥ずかしさとむず痒さを感じる。言葉では、精一杯の抵抗をした、つもり。
累はと言うと照れくさそうに下を向いて、撫でてくる夕陽の手を黙って受け入れていた。表情をみると顔を赤らめながらも嬉しさに頬を緩ませていたのが見てとれた。
「なぁに照れてるの? いいじゃない、たまには」
優しく笑う母は夕陽のように眩しい笑顔で二人を包み込んだ。
※※※
それからも昔話に花を咲かせた。
今度は累が我が家に来てからのお話。
累は本当の家族ではない。
母の夕陽が何を思ったのか、ある日突然に引き取ってきた子だ。
我が家も物心ついたときから二人きりだった。身寄りも親戚も不明。父は交通事故で無くなったと母さんから話を聞かされている。引き取った理由は聞かなかったが、二人ぼっちで寂しかったのかな、と幼かった当時の自分はそう思った。それは今でも変わりないが……。
累はこの家に来て間もない頃、魂がないのかと思うくらいに暗く冷たい目をしていた。しばらく我が家で生活を続けていても、心を閉ざして、まるで感情を出さず、表情を変えない日々が続いた。
母さんからは『両親を亡くしたばっかりだから優しくしてあげてね。よかったら魁斗の兄妹にしてあげなさい』と、よく言われていた。おれはその言葉を真に受けて、累に兄妹のように接することを始めた。初めこそ警戒心が強い様子だったが、ある日を境に表情が見え始め、初めて笑顔を見せてくれた時にはとてつもなく感動をしたことを今でも覚えている。母さんもおれへ向ける愛と同じような愛を累に注いでいった。
そうして月日が経つと、累は我が家の生活にも慣れ、おれや母さんには喜怒哀楽の表情を出すようになった。累のたんぽぽのような明るい笑顔は見る者すべてを幸せな気持ちにさせてくれる。お世辞ではなく本当にそう思っている。だから……
「学校でも、もうちょっと笑顔を出せばいいのに……」
思わず口から洩れていた。
「……? 何か言った?」
突然、声を出した魁斗の言葉を聞き取れなかった累が首を傾げて尋ねてくる。
「あっ……ううん。なんでもない」
それは累の自由だよな、と自答する。
「累ちゃんは魁斗と結婚するって言ってたわよね~」
ブーッ! と、隣の席の人物が口から勢いよくお茶を吐き散らす。激しくむせ込みながら、涙目になって、
「ゴホッ……ゴホッ……ケホッ……い、いつの話してるんですかっ!?」
がたんと勢いよく席を立って夕陽に詰め寄る。
「ん~と、あれはたしか小学三年生の時……」
「なんで詳細に覚えてるんですか!? あ、あれは……魁斗と結婚したらおばさんがほんとのお母さんになるんだと思って……」
「あらあら聞いた魁斗、嬉しいわぁ~」
ほんわかと笑う夕陽とは対照的に累は恨めしそうにこちらを睨んでくる。
なんで、そんな鋭い目でおれを睨むんだ……。
訳もわからず、とりあえず半笑いを浮かべてその場を流す。
そんなこんなしながら、家族での楽しい晩御飯の時間は過ぎていった。
※※※
「魁斗~、累ちゃんを送ってあげなさいよ」
母から指令が下る。断る理由もなく、
「はいはい」
いつものように返事をする。
累は「別にいいのに……」と小さく囁いてはいるものの強く断ろうとする気配はない。ということで家まで送ることは決定。
まあ、いつも累が晩御飯を食べに来たあとは母さん指令で家まで送っているけど……。
魁斗は玄関で靴を履き終えると、玄関までは夕陽もお見送り。
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
累がにっこりと笑って夕陽にお礼を伝える。
ほんとだよ……結局あなた、お稲荷さんほぼ全部食べたよね。五十個。五十個だよ。おれ一つも食べてないんだけど……と、横から茶々は入れず。
「またいつでもいらっしゃい。ここは累ちゃんのお家だから。気を付けて帰ってね」
穏やかな笑顔を浮かべて夕陽が手を振る。
「はい、また来ます。それでは」
嬉しそうに口許を綻ばせたあと、互いに手を振り合っている。
先に累が玄関を出た。
「それじゃ」
自分も玄関を出ようとする。
「魁斗も気を付けてね。ちゃんと累ちゃんを送ってあげるのよ」
「はいはい。いってきます」
夕陽に返事をしたあと、魁斗も玄関を出る。
気を付けろと言われても、累の住んでいる家はすぐ近く。家と言ってもアパートであるが、我が家からは徒歩五分もかからない。会話などしながら歩いていたらすぐ到着する。もう、最後の曲がり角が見えてきた。
曲がり角を曲がると、ふと累が足を止めた。
あれ? どうしたんだろう、と振り返ると、
「……ねぇ、魁斗。見て」
累は上空を見上げて、大きな瞳を揺らす。片手をそっと上空へあげると人差し指で空のなにかを指差す。
魁斗はその指が差した方を目で追っていく。追った先に、まん丸の月が煌々と綺麗な輝きを放っていた。暗闇の中、やわらかくて優しい光が自分たちを照らしてくれているみたいだった。
その光景は確かに……
「綺麗……」
累の口から静かに漏れる。
確かに綺麗だ。
だけど、累みたいに魅入られ、心を奪われているような瞳では自分は見れない。
累は、いつからか月が大好きになっていた。
なにがそんなに気に入っているのか、わからない。
それは本人しか知らない。
でも、月に負けないほどの綺麗な瞳で、満月をその目に映す累は、まるで月に恋い焦がれるおとぎ話の美しいお姫様のようだと思った。
――こうして、いつもの日常が過ぎ去っていった。
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