【第四幕 完結】鬼狐ノ月 ~キコノツキ~
時告げ鳥
~星影~
第一章 沈む夕日 ①
――この世界は思っているよりも不安定だ。
――何の前触れもなく人生は突然変わり始める。
――平和な日常はいつまでも変わらず続くと思っていた。
――だけど、それは大きな間違いだった。
――どんな事柄にも、かならず表と裏がある。
――これは、その裏の物語。
鬼月、物語は夏を迎えた季節から始まる――
目覚ましが鳴る。
「う~ん…」
うるさく鳴り響く目覚ましを止めて、
朝、七時三十分。天気は快晴。窓からは朝日が射し込み、自分の顔を明るく照らしてくれた。そのまぶしさに思わず顔をしかめて、
「う~ん、まだ眠い……」
唸り、再び眠りにつこうと布団を顔前まで引っ張りあげて、陽の光を紛らわした。
これで眠れる……。
眠る準備は整った。体を弛緩させリラックスモード。しかし、二度寝は妨げられた。
「魁斗ぉ、起きなさ~い! そろそろ
ここは木造二階建ての戸建てで、魁斗がいるのは二階部分の自室。一階から大きな声で呼ぶ声は、母親の――
「もう起きたよぅ……母さん」
まだ眠たい目蓋をこすり、ようようと体を起こす。欠伸を漏らして、口をモグモグさせていると玄関のチャイム音が鳴り響いた。
その音でようやく覚醒。
ふわふわとしていた視界がはっきりしてくる。
軽く伸びをしたらベッドから降りて自室を出た。再び、大きく口を開き、欠伸を漏らしながら階段をパタパタと降りていく。
玄関の方から女性の明るく甲高い声が聞こえる。
階段を降りると母親の後ろ姿が楽しそうに弾んでいる。母の向こう側には、制服のスカートを揺らしながら楽しそうに笑顔を浮かべて、おしゃべりをしている女の子の姿が確認できた。
自分は――この女の子のことを昔からよく知っている。
「おはよ、
片方の肩にスクールバックを背負い、母と談笑していた女の子は呼びかけてきた声の主へと視線を向ける。
「おはよ。今おきたの? あいかわらずね、魁斗」
腰に手を当て、眉の両端を上げる。口調はいつも通りの呆れ気味。夏の涼しい風が吹き抜けていき、ぶわっと地面を這い、舞い上がる。累の薄紅色の髪の毛やスカートを逆立てるように揺らしていく。顎のラインにかかるくらいの毛先がゆらゆらと風に吹かれて、踊っているようだった。
――
初めて出会ったのは、小学校にあがる春先だった。
ある日、母の夕陽から『これから一緒に暮らすことになった亜里累ちゃん。なかよくしてあげてね』と、突然連れてきて紹介されたのだ。その日から小・中学校は我が家に住んで、高校にあがるまでは同じ屋根の下で生活を共にした兄妹同然ともいえる間柄だ。
「魁斗はまだ準備に時間かかるから上がって累ちゃん」
夕陽は開いたドアを抑えたまま、半身になって累を家に招き入れるように手招く。
「うん。お邪魔します」
笑顔で答え、累は慣れたように靴を脱いで、そのままリビングへと入っていく。
起きたばかりの自分はというと、まだ朝食をすませていなかったため食卓についた。すでに食卓の上に並んである朝食のトーストを両手で持ち上げ、かぶりつく。
「累ちゃんは朝ごはん食べた?」
夕陽が魁斗の隣に座ろうとする累に尋ねる。
「うん、もう食べてきちゃいました」
口角を上げながら返事。そのままストンと累は隣の椅子に腰掛けた。
魁斗はむしゃむしゃとマイペースにトーストを食していく。
「あらそう。じゃあコーヒーだけでいいかしら?」
「あ、はい。コーヒーだけで大丈夫。ありがとう、おばさん」
夕陽の問いかけに累がやわらかく返事。キッチンでカチャカチャと夕陽がコーヒーを用意していく。慣れた手つきでコーヒーを淹れ終えた夕陽は累にコーヒーを淹れたマグカップを手渡して、累とは対面の位置に腰を降ろした。
「ごはん、ちゃんと食べてる?」
心配そうに夕陽が累に尋ねる。
「大丈夫、ちゃんと食べてますよ」
「ほんと? ならいいんだけど……」
「なに食べてんの?」
魁斗はトーストを口に頬張りながら目の前で繰り広げられている女性たちの会話に割って入ろうとするが、
「あんたは早くごはんを食べなさい」
まるで弟の行動を呆れて見ている姉のような目で累がこちらを見つめ、平坦な口調でそう返してくる。
しょうがない。食事に集中するとしよう。モグモグ……
「家を出るとき、おばさんがいろいろくれたから助かってます」
「そう……それなら、まあよかった。ん~でもね~やっぱり心配で……親心かしら」
首を傾げ、夕陽は片方のほっぺに手を添えながら心配するように淡く微笑む。心配しながらもやわらかく微笑んでくれる夕陽に累も微笑み返してあげて、
「ありがとう、おばさん」
目を細めながらお礼を言った。
時刻は朝の七時四十八分。
累と夕陽が会話をしている横で黙々と朝食を食べ進めていた魁斗は頭の中でシュミレーションをしていた。
学校までは歩いて、およそ三十分。始礼が始まるのは八時三十分。
あとはトイレをすませ、顔を洗い、歯磨きをして、寝癖を直し、制服に着替えると八時ジャストだ。うん、イケるな。と、ひとり口許を綻ばせていると、
「魁斗、早く食べて支度して」
隣で累が急かしてくる。
「大丈夫だ。計算通り」
親指をグッと力強く立てて、自信満々に返事を返すも、
「なに寝ぼけてんの。は・や・く・し・て!」
顔を剣幕にして迫られてしまった。
※※※
……おかしい。
シュミレーション通りの順番で朝の支度を終えると、時刻は八時五分。なぜか五分のタイムオーバー。
ちゃんと計算はしていたはずなのに……。もしや、おれは寝ぼけていたのか?
目をすがませて、額に手を添え、頭を悩ませていると、
「ほら言わんこっちゃないじゃない、もうっ! 行くよ、魁斗!」
ぷんぷんと眉間に皺を寄せ、累が急いでスクールバックを抱えて玄関へと駆けていく。
朝から慌ただしい。……いや、遅れそうだから当たり前か。
「ごめん」
累に後ろできちんと両手を合わせて謝った後、魁斗も急いでスニーカーを足に引っかける。すると、マイペースに夕陽が声をかけに来た。
「累ちゃん、今日も晩御飯食べに来ない? 今日は唐揚げとお稲荷さんを作る予定だけど」
なんかすごい献立だな……。
そう思っていると、
「えっ! ほんとですかっ! 来ます!」
目を輝かせて、くい気味に累が承諾。
そういえば、こいつ。お稲荷さん好きだったな……。
そのやり取りを微笑ましく見ていると、とっくに靴を履いた累から鋭い目を向けられる。
「なに笑ってんのよ、あんたは! 早くっ! もういくよ!」
再び怒らせてしまう。累は魁斗を待たずして先に玄関を飛び出した。
おーい待ってくれよ、と口から出かかったが声には出さず、飛び出したその背中に急いでついていく。
走り出した二人の背中を見つめて、「いってらっしゃ~い」と遠く後ろで声が聞こえた。
※※※
家から走り続け、始礼が始まる時間よりも五分前に学校の校門が視界に見えてきた。間に合ったと確信すると、回転させていた足の速度を落とし、校門前までゆっくり歩く。その間に累は家で見せていた色とりどりの表情が消えていき、瞳から色を失わせていく。
「じゃあ、わたしはここで……」
一切息を切らしていない累が校門をくぐる前に魁斗のもとから離れ、先に校舎の中へと入っていく。
魁斗は膝に手をついて息を整えながら、校舎の中に入っていく累の背中を見送った。
「……」
毎日の登校はいつもこんな調子だ。
累とは同い年でクラスも一緒。だから、教室まで一緒に入ればいいのに、なぜか累はそうしない。思春期なのかな、と思考するも、中学生のある時からこうなったから、もうすでに慣れていた。年頃の女の子には色々あるんだろうと意識的にあまり気に止めないでいる。
遅れて魁斗も校舎の中へと入った。
廊下を歩き、教室のドアをくぐると、クラスメイトたちがすでに集まっており、賑わいの声をあげている。
高校生活が始まってから三か月。その間に友達になったクラスメイトに挨拶を交わして自分の席に座った。スクールバックから教科書を取り出し、机の引き出しに入れていく。
横目に累を覗き見てみると、クラスメイトと一切関わろうとはしていなかった。
累は廊下側の席で前から二番目。自分の席とは、ほぼ真逆と言える位置。すでに累は着席しており、机に頬杖をついて、つまらなそうになにも書かれていない黒板をぼーっと眺めている。時々、すれ違う女のクラスメイトに挨拶をされていたが、心ここにあらずなのか、そっけない態度で挨拶もろくに返していない。
挨拶ぐらい返せばいいのに。自宅で、おれや母さんといるときは明るい子なんだけど……。
累の学校での態度が気になり目で追っていると、ガラガラと教室の前ドアが開いた。クラスの担任が、けだるそうに教室に入ってくる。
「おーっす、朝礼始めるぞ~」
気の抜けた声で朝礼が始まる。
今日もいつもの平和な一日が始まった――
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