“絶望”の噂(ユニット:ゼルシオス、ゲルハルト)

 それからはしばし、6人は歓談していた。

 もっとも、うち4人は常人じょうじんでは無かったため、驚きが次々と巻き起こったのだが。


 やがて湯の効果とともに全員の心がほぐれたころ、ゼルシオスがシュレーディンガーに話を振る。


「……それで、だ。なんか面白そうな情報を話してくれるらしいなぁ、えぇ?」


 その言葉を聞いた瞬間、シュレーディンガーの瞳に光が宿る。


「待ってましたにゃ!」


 彼女は思わず立ち上がったが、水着を着用していたので無問題である。


「……まあまあEくらいだな」

「……ああ」


 他人ひとの胸をこっそり品評する男衆だが、特に彼らに冷たい視線が向いたりはしない。

 それをよそに、シュレーディンガーは話し始める。


「わたしが“概念体”であるのは、既に言った通りだにゃ。けれど、わたし……いや、わたしたちよりはるかに恐ろしい概念体が、一人いるのにゃ」

「てめぇですらもただモンじゃなさそうだってのに、まだ上がいんのかよ」

「そうにゃ」


 ゼルシオスの茶化しにも、シュレーディンガーは意に介さない。

 今まで以上の真剣さに、ゼルシオスもこれ以上話の腰を折るのをやめた。


「その名は、“”。名前を『Πανδώραパンドラ』というにゃ」

「パンドラ……俺の前世で知ってるぜ。確か、開けちゃいけねぇ箱を開けたんだよな?」

「見た目と性格によらず博識だにゃあ。そうそう、それを概念化したのが、そのパンドラにゃ」


 嬉々として語るシュレーディンガーだが、この時点で話に付いていけているのはゼルシオスだけである。

 パトリツィアたちは、置いてけぼりを食っていた。


「待て、ゼル。少しばかり、そのパンドラというのを説明してほしい」

「そーそー。ボクらの世界に無い知識だよ、それ」

「私の世界……少なくともヴェルセア王国にもございませんわね」

「ご主人様、どんな内容なんですか?」


 興味を示す、4人。

 ゼルシオスはシュレーディンガーを手で一旦止めると、「いいかお前ら、パンドラってのはな……」と、自身の知っている限りのことを話した。


     ***


「最低限の知識は把握した」


 ゲルハルトの言葉に、パトリツィアとアドレーア、最後にヒルデが頷く。

 それを見て取ったゼルシオスは、「だそうだ」とシュレーディンガーに伝えた。


「それじゃあ、続けますかにゃ。今言った通り、パンドラはその伝承をもとにした概念体にゃ。ただし、わたしたちと違って、生物への敵意自体は一切無いにゃ」

「敵意がぇのに危険かよ?」

「落ち着くにゃ。パンドラには確かに、敵意は無い。けれど、何度も同じ言葉を繰り返して、生物――特に人間に、警告をしてるにゃ」

「警告とは、穏やかならざるな」


 ゲルハルトが割って入ると、シュレーディンガーは「それにゃ」と肯定する。


「この世界において、彼女が警告するのは『みかを壊せ』という言葉にゃ。あ、みかというのは、一般的にはお酒をつくる大きな土器を指すにゃ」

「その言い方だと、単にうめぇ酒を造るってだけじゃなさそうだな」

「その通りにゃ。甕は甕でも、造っているのは特大級の毒酒にゃ。具体的には、レベルの、にゃ」


 世界が滅びる。

 その言葉を聞いて、特に戦慄したのは意外にもゼルシオスとアドレーアであった。彼らヴェルセア王国の民は、常に空獣ルフトティーアと戦っている特性上、文字通りの世界滅亡がいつ訪れてもおかしくはない状況にあるからだ。


「穏やかじゃないねー? でも、世界はまだ滅びてなさそうだよー?」


 しかしパトリツィアは、相変わらずの軽い調子で言う。これが逆に、彼女とシュレーディンガー以外の精神の安定に有効に作用した。


「そうなのにゃ。パンドラの話には、続きがあるのにゃ。パンドラが甕というのは、パンドラが持つπίθοςピトス……ゴムや生き物のように柔らかい、変わった箱にゃ。そして、実はこれが本体にゃ」

「箱が本体、とは……想像も付きません」


 アドレーアの言葉に、シュレーディンガーは「まぁ、その気持ちも分からなくもないにゃ」と返す。


「本体はピトス。パンドラは、ピトスによって生み出された変形なのにゃ。そしてこのピトス、入っているべきものが入ってないのにゃ」

「何が無いの?」


 ヒルデの疑問を受けて、シュレーディンガーは溜めを作ってから答えた。


「…………“希望”にゃ」

「……唯一最後に残ったもんだったな」

「その通り、にゃ。それが、今のピトスには無いのにゃ」

「最悪じゃねーか?」


 直感も何もないただの予想だが、ゼルシオスは口に出して尋ねる。

 だが、シュレーディンガーは首を振って意思を示した。


「その希望――ἐλπίςエルピスは、今警告を続けている存在にゃ」

「じゃあ、エルピスがパンドラ?」


 今度はヒルデが出した予想は、しかしまたしても否定される。


「違うにゃ。エルピスは別枠にゃ。敢えて言うなら、ピトスとエルピスの総称がパンドラ……それぞれに“パンドラ”という名称は直接当てはまらず、しかし両方をまとめてならば当てはまる。そういうことになるのにゃ」

「であれば、早急にそのエルピスと合流する必要が生じるかもしれません。対話は不可能かもしれませんが、脅威が無いうえに重要な人物……いえ、存在であるならば」

「それはその通りにゃ。エルピスは希望そのものだから、近くにいさせるのが良いにゃ」


 シュレーディンガーはアドレーアの言葉を肯定して……今までよりもさらに、深刻な表情を浮かべる。




「ただ……そのピトスを取り込んだのが、最大級に厄介な存在なのにゃ。どうか、心して聞いてほしいのにゃ」

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