第42話 悲しみの心を分かち合いに山里へ

「山里の家に姫ががおられた頃が懐かしいよ…あの人が待っている、ただそれだけで、がむしゃらに馬を走らせたものだった」

馬に揺られながら在りし日のことをぼんやり思う東雲の宮。

一行が山里に到着すると、どうやら家の者は御堂で夕べの勤行の最中のようです。僧坊から立ち上る煙が、まるで霧が籬(まがき)を結んでいるようで、人目にさらされない慎ましやかな暮らしぶりに、「人生の終わりにはこんな暮らしも悪くない」と東雲の宮は羨ましく思うのでした。

愛しい人はもういないのに、ホトトギスは家の女主人を慕っているかのように飛び回り、垣根の卯の花は変わらぬ美しさで咲きこぼれています。


ほととぎす あるじをしたふ 垣根にも しのびねたえぬ 五月雨の空

(五月雨の空の下、ホトトギスが卯の垣根を飛び回っているよ。まるで宿の主人をさがしているように)


「まるで今の私と同じだな。姫を捜し求める私と…」

しばらく眺めた後、家の中へ案内された東雲の宮は、すぐに尼君と対面しました。

「こんな老いた尼を忘れずにいて下さって、もったいなくもうれしゅうございます」

案内された南面の部屋に参上した尼君の上品な挨拶も昔そのままで、東雲の宮は涙があふれそうです。

「宮さまの御心ざしで、長からぬ我が命もありがたくも延びそうでございます。ところで、失礼ながら最近耳にしたお話では、宮さまは関白家の姫君の御ために喪に服しておられたとか…御心中お察し申し上げます。そんな事情の中にも、私どものことをお気遣い下さりたびたび御手紙を頂きましたこと、まことにかたじけのう存じます」

「何事につけても悲しみから逃れられないように運命づけられている私ですから、毎日嘆き暮らしていますよ。特にこちらの姫の面影は一瞬たりとも忘れることなく心配で心配で…誰か姫の居場所の見える幻術士でもいれば、と思って…」

言い終らないうちに涙のせきあげる宮と、同じく流れる涙を袖で拭こうともしない尼君でした。

「そうでなくともすっかり耄碌(もうろく)してしまっているこの身にとって、姫以外に生き甲斐など見つけられそうにありません。宮さまのありがたい御気遣いゆえに、かろうじて起き上がっていられるのですが…いまだに行方のわからぬ姫は、すでに浅茅が原の露となり果ててしまったのでしょうか。もしそうならば、亡骸なりとも見つけ出しとうございます。この私に反魂香が使えるのでしたら、姫のさまよえる魂をつかまえ、ひと目だけでも会うことができますものを。

人の命とは心憂きもの。命の長きに従って罪も重ねてゆくものです。知らず知らずに罪を貯めて、どうして私は生き長らえているのかと、たまらなく恥ずかしくなる時があります。

世間にも実の父親にも半分忘れられたような心細い身の上の姫と、肩を寄せ合ってこれまで生きてきたのです。あの姫は、私の生き甲斐だったのです。その姫が行方知れず…私の心中はお察しいただけるでしょうか」

むせび泣く尼君の様子は哀れの一言に尽きます。

「しかしながら、尼君は長年にわたり仏に仕え、勤行に励んでこられた身。神や仏がお見捨てになるはずがありません。やはり今回のことは周囲の者が申しているように、按察使大納言殿の今北の方の謀り事ではないかと思います。今上のお情けが女御より対の御方に大きく傾いていると思い込み、どこかに隠しているのでしょう。このことについては、今上もひどく心配しておられます」

「私には後宮の暮らしぶりなぞ想像もできませんが、我が娘(=姫の母親)が生きていた頃から、大納言殿の今北の方がどれほど恐ろしいご気性の方か骨身にしみていますので、あの屋敷に関わるのはなるべく避けて参りました。その経緯は、姫の父親の大納言殿もよくご存知のはず。ですが、私が病気になり、こんな山里の小さな家で心細く過ごすより、実の父親に引き取られたほうが必ず幸せになれる…そう信じて大納言殿に姫をお任せしました。

あの時、もっと不審に思えばよかったのです。

今までずっとほったらかしにされていたのに、どうしてこんなに急かすように引き取りたいなどと…。

あの時、私が判断を誤りさえしなければ姫は…ううっ」

尽きぬ後悔に泣き崩れる尼君。

宮も、意に反して関白家の姫君を妻としなければならなくなったことなど、ここ数ヶ月の近況を包み隠さず打ち明けました。

「ずっと以前から仏道に励みたいと思い続けていたのですが、両親の嘆きが目に浮かぶようで、それもまた出家の妨げになりましょう。ですから、俗世を断ち切ることを今日まで思いとどまっていたのです。今はもう、この世に未練など全くありません。誰も松の長寿にあやかれないのですから、勤行に励んで来世へ備えたいと思います」

と二人はしみじみ話し込み、夜は更けてゆくのでした。

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