第21話 東雲の宮、対の御方の素性を知る

「今上は熱心に梅壺にお通いだそうな」

「さぞかし美しい女御なのでしょうな」

「日がな一日梅壺でお過ごしらしい。按察使大納言殿も大喜びだとか」

「昼に女御をお放しにならぬのなら、夜はいかほど」

「さあ、そこはそれ、言わずもがな、というではありませぬか」

世間は、今上が新女御をたいそうお気に召されて昼も夜も手放さない、とうわさしています。

それを耳にした東雲の宮は、

「そうか。按察使大納言の姫はそれほど魅力的なのか。しかしあの小夜衣の姫にはとてもかなうまいよ。まてよ、ひょっとして大納言の気が変わって、小夜衣の姫を入内させたのなら、このうわさにも納得がゆく。いやそれとも、今北の方が女御の付き添い人にでもさせているのかな。それなら今上が昼に梅壺に通いづめというのもわかるが…

ああ、いったいどれなんだ。どれにしても、あの姫をひと目見たなら今上の目は釘付けになるに違いないんだ」

もし小夜衣の姫が今上の御目に触れていたら、と想像するだけで、胸がせきあげられそうになる東雲の宮です。

どうしても事情をはっきりさせたくて、ある昼下がり、姉君の中宮のもとへ参上しました。東雲の宮の姉君は、今上の中宮なのです。

対面した中宮はいつもながら若く美しく、とても今上の一の皇子(東宮)をお生み申し上げたようには見えません。

(新しい女御はこの中宮よりも美しいのかな。いやそんなはずはあるまい。しかし、もし小夜衣の姫の美貌に今上が目をとめられたとしたら)

対面したまま、すっかりしょげている弟宮に向かって、中宮は、

「久しぶりにお話ができると思って、とっても喜んでおりましたのに、どうなさいましたの?少しお痩せになられました?お顔の色も少し…」

とおっしゃいます。

「特にこれといった理由もないのですが、最近すっかり世間に交じって生きてゆくのがつらくなりまして。俗世を離れたいという思いを持て余しています。ほんの少し家を離れても心配する両親が気の毒で、その気持ちだけで踏みとどまっているようなものです。しかしその気力もいつまでもつことやら」

「まあ…心細いことを仰らないでくださいまし。たとえ大勢子供がいたとしても、絶えず心配するのが親心というもの。ましてや、私が家を離れた後、あなたは一人息子のようなものでしょう?孤独を感じず生きる希望がわくようにと、一番立派な後見を持つ姫君との結婚を取り決められましたのに、それでもあなたの御心にかないませんの?

もし、ひそかに想う姫がおありになって、その姫が忘れられなくてつらいとおっしゃるなら、こちらでこっそりかくまう事も考えますが…あれこれ考えすぎて、あとで取り返しのつかないことになったら、どれだけ後悔しても遅いですわ。早めにご相談くださいませね」

「ありがとうございます。それはそうと中宮、このたび今上のもとに上がられた新女御のお話はお耳に届いていますか?なんでも、夜はおろか、昼さえ片時も離さないほどのご寵愛ぶりだとか。よほど教養に長けた美しい女御なのでしょうね」

東雲の宮の質問には、そばに控えていた女房が答えます。

「そのことについては面白いお話がございますよ。

確かに今上は、昼間は一日中梅壺でお過ごしですが、夜に梅壺女御を清涼殿にお召しになることは、そんなに頻繁でもありません。

実は、今上のお目当ては女御ではなく別の御方にあると、女房たちの間ではもっぱらの噂なのでございます。女御の母君が自分の代わりにと、付き添いに残してゆかれた『対の御方』という女房に、どうやら今上がご執心なさっておられるようです。

この対の御方という女房、いまどき珍しいほどの引っ込み思案な方で、めったなことでは人前に出たがらない恥ずかしがり屋さんのようですのに、琴や琵琶は天にも昇る妙音を奏で、今上に『これほど見事な音は、今まで聞いたことがない』とため息をつかせるほどの腕前だそうですわ。

いかがでございます?宮さまにもお心当たりのあるお話ではございませんか?」

「なるほど…そうか、そういうことでしたか。ええそうです。たしかに私のよく知る人は雲に届くような爪音の持ち主です」

中宮の側近女房の話では、どうやら梅壺女御の付添い女房が、探し求めていた小夜衣の姫らしい、との事。女御の母君代わりにあてがわれ、後宮では対の御方と呼ばれているようなのでした。

(ああ、こんな近くにいたなんて。だが、梅壺には何の縁故もなし、近づいて確かめるすべがない。おまけに、今上がご執心なのは梅壺女御ではなく、付き添いとしてそばにいる小夜衣の姫だったとは。あれほど可憐な容貌を目の当たりにしたら、男なら誰だって夢中にならずにはいられない。

それに姫のほうだって、あれほど御立派な今上の御姿を拝んだら、私の存在などかすんでどこかへ飛んで行ってしまうだろう。もはや、忘れられたに決まっている)


袖の上の 涙のかずは つもるとも ひるよもあらじ 逢瀬絶えなば

(袖の上の涙は積もりこそすれ、乾くことなどないだろう。愛しい人との逢瀬が絶えてしまったのだから)


と袖に顔を押し当てて、絶望の涙を流す東雲の宮でした。

あんな寂しい山の中の家で、ただひたすら自分の訪れを待ち続けていてくれた姫。

空しく過ぎる夜の繰り返しにも、耐えるしかなかった姫。

間遠な自分の態度が、愛の誓いの言葉を忘れさせたのか。

申し訳が立たぬほどの薄情さに、失望した姫が去って行ったとしても、どうして文句が言えようか。


おもふには 人のつらさも なかりけり 我が心より かはる心を

(よく考えてみると、愛しい人に薄情さなどないのだった。私の薄情さが原因で、それであの人も変わってしまったのだから)


晴れ曇る空をつくづく眺めながら、つらい事実に打ちひしがれる東雲の宮。なんと思いどおりにゆかぬ世の中よ、と涙はとどまることを知らず、策を立てようにも、もはや手遅れなのではないかと思っただけで恐ろしくてなりません。

「今上があの姫に興味を持っておられる、その程度ならまだよいが、これが寵愛に変わってしまったら」

そう考えただけで、嫉妬で気が狂ってしまいそうな東雲の宮なのでした。

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