第11話 逢いたいのに逢えない苦しみ

月日が経つのは早いもので、夏も暮れ、秋の初めになっても、東雲の宮は一向に山里の家を訪ねることができません。

「愛しい小夜衣の姫にどれほど恨まれていることだろう」

と枕も涙に浮くほど嘆き悲しむ宮。けれども、両親の心痛や婚家の非難を考えると、誰にも心のうちを明かせません。

望む女を手に入れられず、妙な成り行きからどうでもいい女と縁を結ばねばならないとは、自分の宿世もたかがしれたもの。今日こそ長年願っていた出家の思いを遂げよう、今日こそは、今日こそは…と、宮は毎日思いつめているのですが、両親の明け暮れの霊験新たかなご祈祷のせいか、どうにもままなりません。新妻のいる関白邸を訪ねる気すら起きず、うつろな面持ちで院邸の自室に閉じこもってばかりの宮を見かねて、母の大宮は、

「関白殿があれほど大切にしてくださるのに、何が一体不満なのですか。こんなに夜離(よが)れが続いて、あちらの二の姫に申しわけないと思わないのですか。今日こそお伺いするのですよ」

とやかましく言うと、返事に困った宮は、

「今日も気分がとても苦しくて」

と言い訳しながらもの思いにふけっているばかり。

秋の夕暮れ時、頼りなげにたなびく雲にわびしさを覚える頃、草むらの虫ももの悲しげに鳴き始めました。身体に穴があいて、秋風と共に松虫の音が通り抜けていくような切なさ。ああ、今頃は山里の家でも同じ思いで泣いているのだろうか…と宮は悲しくなり、


『むなしくて 過ぐる月日の つらさをも 同じ心に 宿や待つらん

(むなしく過ぎてゆく日々がいかにつらいものか、山里にいるあなたも私と同じく、逢える日を待ってくださるのでしょうか) 』


と、お手紙を差し上げたのでした。

心情がそのまま手蹟に表れたような、こまやかな筆の流れ。見事な手蹟の手紙を受け取った山里の小夜衣の姫は、中身を見るや否や、涙で目の前が真っ暗になり、手紙の使者の「夜が更けてしまいますので、お早くお返事を」と言う催促の声も耳に入りません。ようやく、


『数ならぬ 身には待つ夜も なきものを おもひ絶えにし 心ならひに

(ものの数にも入らぬ私が、誰かの訪れを待ったとして一体何になりましょうか。あなたは私のことなどすっかりお忘れになって、私もそれに慣れっこになって…) 』


とだけ返事をしました。

東雲の宮は使者の帰りをいらいらと待っていました。返事を奪うようにして中を開けると、そこには小夜衣の姫の素直な心情が書かれています。

手蹟も表現の仕方も、いじらしく可憐な人柄をしのばせ、さっきまで呆けていた心もかき乱されるようです。あなた以外の誰に心を分けよう、忘れるなんてとんでもない誤解だ…と、胸が張り裂けそうな思いで返事を何度も見つめる東雲の宮。御前に控える女房たちは、

「手紙の使者のお帰りをじっと待っていらしたと思ったら、今度はお手紙の返事を下にも置かずに眺めていらっしゃるわよ」

「新婚早々からこんなではねえ」

「いったいどのような女に迷われている事やら」

「でもお気の毒でもあるわよ。ご自分の意思を通せないのって」

と耳打ち仕合っているのでした。

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