第12話 一夜の逢瀬の後のいや増す無常感

返事を受け取った翌日、とうとう我慢しきれなくなった東雲の宮は、有明の月がようやく山の端にのぼるような真夜中、山里の小夜衣の姫のもとへ出かけました。できるだけ人目につかないよう牛車ではなく馬で、供回りもごくわずか、服装もわざと粗末にして、京の屋敷を深夜に出発しました。

洛中から出るにつれ、立ちこめる霧に道も見えないほどです。けれど逢いたい気持はどうしようもありません。したたる露に下袴も濡れんばかりの萎え姿で、山里の家に到着したのです。

東雲の宮を出迎えた山里の家では、本当に久しぶりの宮のお越しにうれしく思う反面、

「権門の格式に釣りあった華やかな暮らしぶりをなさっている貴人に、くたくたの衣裳を着ている我が家の姫は、どんなにみすぼらしく映ることか」

とひどく恥じている様子です。

久しぶりに逢った小夜衣の姫もずいぶん面痩せたようで、今までにも増してすっきり清らかに見受けられました。もの思いの限りを尽くした小夜衣の姫があまりにもいじらしくて、逢えなかった数ヶ月をよくぞ正気で生きてこられたことよ、と東雲の宮は涙が止まりません。姫もこみ上げてくる思いに涙があふれ、抑え切れない泣き声をもらして泣いています。

声をあげて泣く姫に、「無理もない」とみずからの袖で姫の涙をそっと拭く東雲の宮。

「あれほど永遠を誓ったと言うのに何て薄情極まる男だろう、と憎まれても弁解のしようもありません。ですが、両親が無理矢理取り決めた縁談話。昼夜を問わない責めに、「否や」と言うことができなかったのです。

優柔不断でどうしようもない男と責められても仕方ありません。両親に中途半端に気がねしているうちに、言い訳できないほど間遠になってしまって…」

夜通し話し込んでしまい、はかなくも夜が明けてしまいました。

宮の従者たちが「早くご帰京を」と咳払いで催促するのですが、次はいつ逢う事が出来るのかと思うと、不安で不安で離れられそうにありません。

宮は朝日の差し込む障子を押し開けて、小夜衣の姫の手を取り一緒に端近くに出ました。朝のわずかな光が小夜衣の姫の美しさをいっそう引き立て、宮は、

「なんて清らかな姫だろう。この人以外は何もいらない。こんなふうに月や花を同じ心で一緒に眺めていたい。私の生きがいはただそれだけなのに…」

とため息をつくのでした。

空もどんどん明るくなり、帰京には決まりの悪い時間になりそうなのに、東雲の宮は姫の手を握りしめたまま、いつまでも離そうとしません。

宮はあれもこれもと姫に言い聞かせ、

「夜離れがあったとしても、私の真心をお疑いにならないように。誰よりも大切な愛しい姫。私を疑って泣くあなたのことを考えるだけで、私の胸は張り裂けそうです」

そう言ってようやく外に出ますと、夜明けの風がひんやりと頬を通り過ぎ、宮の心情をそのまま写しとったかのような心ぼそい空の景色。これでは別れの悲しみをまぎらわすどころではありません。


「おぼつかな いかにむすびし 草枕 なみだの露の かかる契りは

(泣くしかないようなあなたとの宿縁…どういうわけで結ばれたのか)」


東雲の宮はそう詠んで、なかなか帰ろうとしません。小夜衣の姫も、


「うらめしや いくよのすゑに 契りけん むすびもはてぬ あだし野の露

(あだし野の露のようなはかない身の上の私にとっては、逢えない日々が続いた挙句の果ての、あなたの誓いなんて…)」


と返します。

いつまでもこうしていては、さすがにみっともない時間に京に戻る事になりそうなので、宮はしぶしぶ馬に乗って帰って行きました。

残された姫は、悲しい気持を尼上に見咎められてはますます尼上の病状が悪くなってしまう、と我慢しているのですが、宮と共に眺めた空に二人の涙が満ちているかのようで、昨日までは悲しみも紛れていた時もあったのに、久しぶりに宮に逢ってしまった今では、瞳も涙にふさがってしまいそうです。

山里の家の女房たちも、数ヶ月ぶりに見られた東雲の宮の美しい姿やふくいくとした残り香が半分うれしく半分つらく、主人の尼君や小夜衣の姫を複雑な思いで眺めているのでした。

一方、京の屋敷に戻った宮も、逢えない悲しみをこらえかねていた小夜衣の姫の姿が心に残り、まどろむことも出来ず、簀子(すのこ)の近くでいつまでももの思いにふけっていました。霧が淡くただよう垣根には色とりどりの花が咲き、山里の家の垣根に咲き乱れていた卯の花が思い出されてしかたありません。

庭の隅で咲いている朝顔に目が留まり、

「この花だって、美しさは朝のわずかな時だけ。あとはしぼんでゆくだけなのだ…」

と世の無常が思いやられ、「朝には栄華を開けども、夕べには無情の風に」など吟詠すると、あまりにすばらしい声が御前の女房たちの身にしみ涙を誘います。吟詠が両親の耳にまで届き、息子の心情を思うと父院も母大宮も胸が痛んで、

「権門の家の姫と結婚して、これでもう安心と思っていたのに。きっと山里の姫とか言う女のせいですわ。大事な息子がこんな鬱々と過ごすくらいなら、いっそしたいようにさせてやればよかったのかしら…」

と心配ばかり。

世間の普通の親も、同じように子供の事を心配しているのかしら、いえいえ子を思う親の気持は誰にも負けないわ、私たちが一番子供のことを愛し、心を砕いている…

『親ばか』という言葉がぴったりの、母大宮の言い分です。ご自分だけが「私ひとりがこんな思いをしている、子供の事を一番に考えているわ」とカン違いなさっているようです。

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