第10話 もう逃げられない三日夜餅

さて、東雲の宮と関白家の二の姫とのめでたい婚礼に世間が大騒ぎしていた頃、ただ一人、女房である宰相の君だけが、小夜衣の姫のことを案じていました。

(世間がこれだけ大騒ぎしているのだもの、来世までもと誓った殿方が、身分のつり合った権勢の家の姫と結婚なさったという噂は遠からず山里の家にも伝わるだろうし、その時、この私が何も知らせてなかったら、どんなに恨まれることだろう)

と宰相の君はため息をつき、むごい事とは思いながらも、全てを山里の家の尼君と小夜衣の姫に打ち明けました。



「…とまあ、このようなわけでございます。けれどご心配なさいますな。世間と上手に折り合いをつけて渡って行かねばならないのが上流貴族の宿命。ここにおられる小夜衣の姫さまへの愛情こそが、東雲の宮さまの真実なのでございます。信じてくださいませ」

宰相の君の説得を黙って聞いていた小夜衣の姫は、けなげにも涙を見せまいと袖で顔を隠して耐えています。尼上が、

「卑しい身分の宿世などたかが知れていますが、このようなつらい話を生きているうちに聞こうとは思いもしませんでした。ですがよく考えてみますと、畏れ多くも高貴な宮さまがこのような卑しい家にお通いになるほうが常識にはずれたことだったと、ハッと胸を突かれる思いでございます。いつまでも嘆いていても仕方ありませんが、隠しおおせる話ではありませんし、私たちと宮さまの関係を、姫の父君の按察使大納言さまが聞きつけ、それが継母の北の方に伝わりますと、何とあざけられることやら…」

と泣きながらこぼすのももっともな事です。返す言葉も無い宰相の君は、

「宮さまは、けっして小夜衣の姫さまに愛情がなくなったわけではないのです。それだけは、それだけは信じてくださいませ」

と言って帰るしかないのでした。




その後宰相の君は東雲の宮と対面しました。

「山里の家ではこう申しておりましたが、私の不用意なうわさ話がもとでここまで話がこじれ、尼上に返す言葉もありませんでした」

「逢えなくなってからかなり月日が経っているだろう。いくら恨まれても弁解のしようがないよ」

東雲の宮はあれこれ思い悩みすぎて、日が暮れれば関白家の新妻のもとに行かねばならないのに、立ち上がる気もさっぱりおきません。

「遠い洛外であろうがどこだろうが、小夜衣の姫のもとへなら日が暮れるのも待ちきれずに、馬を飛ばしているだろうにな。草深い道をものともせずに」

まったく気のすすまない関白邸への訪問ですが、両親の気持に背くことも出来ません。新婚の背の君を待ち構えていた関白家では、東雲の宮を昨日にも増して大切にもてなします。名のある公達も大勢集まり、華やかな管弦の宴が始まる様子は、いかに新婦の父が新郎を大切にもてなしているかがわかろうというもの。それでなくとも今宵は新婚三日め。花嫁の父関白は、

「今夜は新婚三日めですな。夜が明けますと世間に認められた正式な夫婦として堂々と披露できまする。まことにおめでたいことで」

と顔を輝かせています。東雲の宮の方もそれは心得ていて、夜が明けても関白邸にとどまっています。几帳ごしに朝日が差し込んで、朝の光に照らされた二の姫は今が盛りの美しさ。身のこなしもあでやかさもまぶしいほどです。一方、山里の小夜衣の姫といえばただひらすら愛らしく清純で、柔和な美しさがにじみ出る姫。こちらが思わずかしこまってしまいそうな自信に満ちた二の姫の様子に、東雲の宮はくらくらと疲れを覚えるのでした。

二の姫のまわりに控えている女房たちも、実に見ごたえのある粒ぞろいの美女ばかり。衣裳の色合いにも工夫を凝らし、新婚三日めの露顕(ところあらわし。披露宴のこと)とあって、気合いの入れ方は相当なもので、衣の上質なこと、衣に描き散らした模様の美しさなどはとても言葉に尽くせないほどです。新婦の父である関白は、「何事も新郎の宮さまのお心に叶うように」と願っているので、庭の植え込みなども、嵯峨野の自然がそのまま植え込まれたのではないかと見誤るくらいの美しさ。室内の調度は言わずもがなでしょう。




その後も、両親の目や関白家の監視がきびしい事もあり、東雲の宮は山里の家を訪ねることが出来ないのでした。けれど、お手紙だけは絶えず差し上げるので、山里の家でも、

「来てくださらないとはいえ、愛情が途絶えたわけではなさそうですが、でも…」

と気を揉みながら過ごしています。尼上も、

「長生きし過ぎると、こんなつらい気持も味わうのですね。山深い住まいで勤行ひとすじに安らかに暮らしてきたというのに、こんな嘆かわしく煩わしいめにあって、数珠をどこに置いたかさえわからなくなって…耄碌(もうろく)が後世の妨げになるのでしょうか」

と嘆いています。姫は姫で、

「何もかも私のせいなんだわ。私の宿世が拙(つたな)いばかりに、お祖母さまにまでこんなつらい思いをさせてしまうのだわ」

と宮のつれない仕打ちよりも、尼君を悲しませていることのほうが、はるかに心の痛みになっているようです。

世間ズレしていない清純そのものの小夜衣の姫は、東雲の宮の愛の誓いを真剣に受け止めているのですが、夜更けに空を眺めたときなど、前栽の草木を柔らかく照らす月にますますもの思いがまさり、いつも以上に心細くて仕方ないのでした。

「同じ思いでこの月を見てくださっているのなら、何とかして来てくださってもいいのに…


さりともと 心のうちは 頼めども 待つにむなしき 数つもりけり

(必ず来てくださると信じているけれど、むなしい日々が積もっていくばかり)


独りでいるのはさみしすぎる…」

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