第8話

 始業式から三日目ともなれば、本来通りの授業がスタートした。


 昔から友達がほとんどいなかった俺にとって、やることといえば勉強くらいのものだった。だから、授業も当然全く苦ではなかった。


 前の学校とそう変わらない授業方針で四時間目の授業まで進み、昼休みがやってきた。一昨日は午後のみ、昨日も午前のみの日課だったため、こうして学校で昼食を取るのは、この学校に来て今日が初めてのことである。


 ちなみに、前の学校に通っていたときは一応母親が冷凍食品を多用した弁当を持たせてくれていたが、今日は朝から早起きして自分で弁当を作って持ってきた。


「おい、存瀬くん!とりあえずお昼は一緒に食べるとして、ひとまず別の場所に移動しよう」

「それは別に構わないが……、何をそんなに慌てているんだ?」

「いいから、とにかくついてきて!」


 内容は見当もつかないが何かここでは話せない話でもあるのだろう。そう思い、俺は大人しく和泉について行くことにした。


 


 この学校の校舎はそれなりに広い。教室以外の場所で昼食を取っている生徒も結構いるようだ。


「それで、何か話でもあるのか?」

「まあね。本当は席替えの時から言いたかったんだけど、あまり本人の前では話しづらかったから昼休みに話そうと思ってたんだ」

「本人?」

「氷見沢さんのことだよ。あの人が例の氷姫だよ」

「なるほどな」

「納得したって感じだね。もしかして存瀬くんはああいう子がタイプなのかな?」

「別にそういうわけじゃない」


 単に昨日、本人に聞いた話と周りからの人気ぶりを見て納得しただけだ……、と和泉に言うわけにはいかないのがもどかしい。


「それで、その氷姫さんがどうかしたのか?」

「いや、去年までの氷見沢さんはクール……というか冷たいっていう印象だったから、あれほど愛想の良い笑顔を見せているのに驚いたんだ」

「お前が知らなかっただけなんじゃないか?」

「それは違うと思う。男子の一人が、あの氷姫が男子からの挨拶を返すところなんて初めて見たって言ってるのを聞いたんだ。少なくとも、このことに驚きを覚えているのは僕だけじゃないはずだ」

「まあ、いいことじゃないか。何か気がかりなことでもあるのか?」


 なかなか本題を話さない和泉に痺れを切らして俺はそう問いかけた。


「前までの氷見沢さんは閉鎖的だったけど、今はかなりの人気者になっていて朝も多くの人を集めていただろ?そんなことを毎日やられでもしてみろ。席が近い僕と存瀬くんが、周りから邪魔者扱いされるのは目に見えてる」

「なるほど……。それは面倒だな」

「だろ?元々嫌われ者の僕はもちろん、転入生の存瀬くんの意見が弱いのはわかりきったこと。僕たちの教室での居場所を他の人たちに占領されてしまうかもしれない」


 そう言われると、これはかなり厄介な問題に思えてきた。これまで、一人静かに過ごしてきた俺にとっては、やはり静かなのが一番落ち着く。逆に言えば、騒がしいのは苦手だということだ。


 しかもこの状況になるに至った原因、つまり氷姫の心変わりについては十中八九、俺が昨日彼女に言ったことが影響しているのだろう。


 まさか俺の気まぐれなお節介が、こんな形で自分の身を滅ぼしかけることになるとはな……。


「まあ、結局のところ、この問題は僕らにはどうすることもできない。せいぜい休み時間はこうして教室を離れることくらいしかね」

「それもそうだな。ひとまずは様子見とするしかないようだ」

「結果は見えてるようなものだけどね」


 俺たちは二人揃って大きなため息をつくと、その場を立ち上がって教室へ戻った。




「あー、やっぱり僕たちの席には他の人が座ってるみたいだねー。これからは休み時間が終わるギリギリに戻ってくるようにした方がよさそうだ」

「それは面倒だな」


 既に、案の定と言うべき状況になっていることにまた一つため息を吐いた。



**



 放課後、俺は今日もバイトで接客の仕事をしていた。そこで、俺は最近何度か見ている顔が訪れたことに気づいた。


「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりでしょうか?」

「では、とりあえずコーヒーを。それと、今日は昨日のお金を返しにきたんです」

「別に、よかったのに」

「いえ、そう言うわけには行きません!これからも店に通うなら、お金を返すのは当然です!」


 昨日の今日ですぐにお金を返しに来るとは律儀な人だ。でもこの人、こんな元気な人だったか?学校で見た時は周りの人たちにどこか壁を作っているという印象だったんだが、今俺の目の前にいる彼女は、とても快活に笑っている。


 昨日の件で、少しは信頼してくれたと思っておくか。俺の言ったことも素直に受け止めてくれたみたいだしな。まあ今まさに、俺は昨日の行いを後悔してるわけだが。


「ああそうだ。昨日学生証を落としていきましたよね?預かっているから、後でコーヒーと一緒に持ってきますね」


 そして俺は、鈴さんが入れたコーヒーと氷見沢さんの学生証を持って彼女が座る席へと向かった。


「こちらコーヒーと、学生証になります」

「学生証を注文の品みたいに持ってこないでください!証明写真見られるの、恥ずかしいんですよ?」

「よく撮れてるからいいんじゃないですか?」

「そう言う問題じゃありません!」

「ごめんごめん。それと、今日はお客さんが多いからあまり話せないんですよね」

「今日はお金を返しにきただけなので、それは別にいいですけど、その……昨日見たいに敬語はなしで話してほしいです」

「それは難しい注文ですね。俺は店員であなたはお客様ですから」


 彼女はまだ何か言いたそうにしていたが、今日は客の入れ替わりが早いので、一箇所に長くとどまっていては店が回らない。そう思い、無理やり話を切り上げて仕事に戻ることにした。


 氷見沢さんはコーヒを飲み終えると、少しむすっとした顔をして、「また来ますから」と言って店を出ていった。


 そんな顔をしたいのは、絶賛学校で困っている俺と和泉の方なんだけどなぁ……とは言えないので、代わりに「お待ちしております」とだけ返した。


 確かに悩んだらいつでも来いとは言ったが、そう何度も来られると困る。氷見沢さんみたいな美少女と俺があまり長く話していると、他の客からの風当たりが強いからな。


「さて、どうしたものかねー」


 俺は目下のいくつかの問題を思い浮かべながら、独り言を呟いて再び接客の仕事に戻るのだった。

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