第29話
窓から射し込む光で自然と目が開いた。
カーテンが半開きになっている。昨日確認せずに寝ちゃったけど、開いたままだったのね。それにしても夢も見ないくらいに眠って、自然と目が開くなんて健康的だと思う。
時計を見る。六時前。七時にはこやけちゃんが起きるんだったかしら。
あたしは身支度を整えてから、キッチンへ向かった。すでに照明が煌々とついている。
また景壱が眠れなかったのかしら? ドアを開くと、紅茶の香りがした。
「おはよ。今朝も早いんやね」
「おはよう。貴方は寝てないのよね?」
「ま……そんなとこやね。寝ていないというよりは、眠れない、の方が正しい表現やけれど」
景壱はソファでノートパソコンを弄っている。
そんなにパソコンばかり触ってたら目が疲れそう。あたしはそう思いながらキッチンに立つ。冷蔵庫を開くと、ホタテの貝柱が入っていた。それと白菜。雑炊にでもしよう。
あたしは白菜を食べやすい幅に切る。ホタテは半分に切った。それから、冷凍庫のご飯をレンジで解凍して、流水で粘りを取ってから、厚手鍋に放り込む。水、だしの素、料理酒を加え、白菜が柔らかくなったら、ホタテを入れた。醤油と塩で味を整えてから、溶き卵を回し入れて完成。
さて、あとは二人の口に合うかが問題なのよね。
器に盛りつけて青ねぎを散らしてから、景壱の横に置いてみた。
「朝食できたわよ」
「うん。……へえ、今朝は雑炊やね。おじやとの違いわかる?」
「わからないわ。何なの?」
「おじやは炊いたご飯を洗わずに、そのまま出汁や具材を加えて煮る。とろみが出るまで煮ることもあれば、米粒が残らないくらいに煮ることもある。いっぽう、雑炊は炊いたご飯を水で洗って表面のぬめりを取る。こうすることで、ご飯に味が染み込みやすくなるし、さらっとした仕上がりになる。ま……これは一説によるとって付け加えないといけない。他にも方言説だとか細かな違いがあるけれど。おじやはとろみがつくので、お年寄りも病人も食べやすく、溶け出した栄養素を全て食することができるから、風邪をひいた時によく供される。ああ、ついでに言うけど、ビタミンCは熱に弱い。おじやで摂取するのは難しそうやね」
説明が長いわよ!
あたしはツッコミをぐっと抑えて、話を聞きながら景壱の隣に麦茶を置いた。
景壱は両手を合わせて「いただきます」と言うと、スプーンで一口。何も言わず、もぐもぐ、口に運んでいく。
文句を言わないってことは、大丈夫ってことよね? やがて、器は空っぽになった。
「まだ食べる?」
「こやけやったら食べるやろね。俺はもうお腹いっぱい。もう少し減らしても良かったくらい。満腹。腹八分目にしておいたほうが細胞の老化を遅らせることができるらしい。ま……論文を斜め読みしたから、本当かは判断できてないんやけど。ああ、味の感想がまだやったね。美味しかった。ありがとぉ」
「どういたしまして」
量に対して文句を言われたような気がするんだけど口に合ったみたい。
そうしている間にこやけちゃんが来たので、あたしは丼に雑炊を盛る。こやけちゃんは目を輝かせて、両手を合わせて「いただきます!」と言った後、すぐにかき込み始めた。もっとゆっくり食べないと喉に詰まっちゃうわよ。と思うけど、こやけちゃんは本当に美味しそうに次々に口へ運んでいく。空っぽになった丼をあたしに向けると「おかわりください」と言うので、あたしは再び丼いっぱいに盛る。それもそんなに時間がかからないで空っぽになった。朝からすごい食欲ね。
あたしは鍋にちょっとだけ残った雑炊をお茶碗に盛り付けて、席に座った。美味しい。自分で言うのもなんだけど、美味しいわ。
後片付けをして、リビングのソファで一息つく。こやけちゃんは子供向けアニメの再放送を見ていた。
景壱はこやけちゃんにもたれてウトウトしている。生活リズムが違うだけで寝ることはできるんじゃないかしら……。
「ねえ、こやけちゃん。あたし、神社に行きたいんだけど、良いかしら?」
「良いですよ。私は今テレビを見ているのです。終わったら私も神社に行きます」
「じゃあ、行ってくるわね」
「行ってらっしゃいです」
こやけちゃんはテレビに夢中みたい。本当に小さい子供みたいだわ。
あたしは屋敷を出て、神社へ向かって歩く。
今日も川原では子供達が石を積んでいた。毎日毎日お疲れ様。そう思いながら橋を渡る。
森の中に入ると五歩で石段の前へ辿り着いた。今日は超短い気分なのね。
そして、長い石段を上る。バリアフリー化を切実に希望したいわ。
息を切らしながら石段を上りきって、ベンチで小休憩。おじいさんやおばあさんが石段を下りていく姿が見えた。朝早くから参拝しているのね。あたしは手を洗ってから、一礼して鳥居をくぐった。
「あれ? 菜季、参拝に来たの? それとも僕に会いたくなっちゃった?」
「永心さんに用事があって……」
風に乗って白檀の香りが広がる。神主衣装の弐色さんが社務所の前にいた。相変わらずの笑顔だわ。袖で手首は見えないけど……昨夜のあの映像どおりなら、切り傷がザックリ入ってるはず。
あたしがあまりにも手を見ていたからか、弐色さんは袖を捲って腕を見せてくれた。
「キミ、僕の腕の傷に興味あるの? 見たいなら見せてあげるよ」
「え、えええ、っと、い、痛くないの?」
「はあ。見るからにドンびきしないでよ。僕だって傷つくんだからね。繊細なんだから。痛いに決まってるでしょ。胸に栄養やらずに頭に栄養やりなよ。キミの脳味噌つんつるてんなんじゃない?」
「な、何もそこまで言わなくても良いでしょ!」
「きゃはははっ。永心に用なんでしょ? 彼なら社務所にいるよ。終わったら僕と遊んでね」
弐色さんは手をひらひら振りながら、箒を片手に歩いて行った。
遊んでねってどういう意味? かまって欲しいってこと? あたしは考えながら社務所に入る。
「すみませーん!」
社務所の入り口で精一杯の大声を出す。みことちゃんが来てくれた。永心さんに用事があると伝えると、和室へと通された。一度入ったことのある部屋だった。ここが客間なのかしら。
「おはようございます。私に用があると聞きましたが」
「お、おはようございます。あの、えっと……」
用があるのは本当だけど、何と言うか完全に考えてなかったわ!
弐色さんのことをいきなり聞くのも変よね? でも、用はそれなのよね。どうしよう……。あたしが困っていると永心さんが口を開いた。
「弐色くんのことでしょうか? ああ、敬体を使わずありのまま話してくださいね」
「は、はい。ええと、昨夜、景壱に見せてもらった映像が気になって……弐色さんに聞いたら駄目なような気がしたから、永心さんに」
「それはどのような映像ですか?」
「えっと……、手を、こう、裏返して、こういう風に拍手を――」
あたしは弐色さんがやっていたように手の平を裏返して拍手しようとした。けど、永心さんに痛いくらいに手を掴まれて、それを阻止される。いったい、何で? ってか、けっこう痛い!
「菜季ちゃん。これは、裏拍手というもので……死者がするものです」
「え!」
「生きている貴女がするものでないですね」
永心さんの眼鏡の奥の瞳が金色に光って見えた。満月のような綺麗な瞳だ。瞳孔が縦に裂けてる。そっか、蛇だから……なのよね。あたしは今、蛇神様と話してるんだわ。失礼の無いようにしないと。
「弐色くんが裏拍手をしていたなら、何か
「そ、それが、その、あたしが、帰らなくて良いようにって……ずっと側にいるようにって……」
言っててなんだか恥ずかしくなってきた。
景壱の言葉どおりだと、少し困る。あの態度で好意って、どういうことかわからない。おばあちゃんが言ってた「好きな子ほどいじめたくなる」って言葉を思い出して、もっと恥ずかしくなってきた。違う違う。きっと違うんだわ。
永心さんは少しの間考える仕草をした後、唇をゆるゆる動かした。
「弐色くんがどういう子か忘れていませんか? あの子は、嘘吐きですよ」
永心さんはにっこり笑う。幼稚園に来るお父さんのような笑顔だった。子供のことを心の奥から愛しているような、そんな笑顔。ますますわかんなくなってくるわね。
「あの子は、普通に生きている菜季ちゃんが羨ましいんでしょうね」
「それって、どういう意味なの?」
「弐色くんは、ずっと、普通ではない――特別な生き方をしておりました。厄災の巫女だから、と言われてしまえば、おしまいですが可哀想な子です。私がもう少し人間の生活を理解していたら良かったのですが……。あの子から教わる事もけっこうありまして、人間は生でカエルやネズミを食べないとか」
「それは、そうだけど……」
「あの子は、生まれた時から特別でした。普通の
「痛みを?」
「先日、貴女が境内で転んだ時に、弐色くんが傷を治したと思います。その傷は、そのまま弐色くんの脚にできています」
あたしは黙って頷く。もしかして、あの腕の傷も誰かの痛みを引き受けて……?
って、思ったけど、弐色さんが自分で引っ掻いてるところを見たことがあるから、違うのもあるってことよね?
「話が脱線してしまいましたが、すべての事があべこべに起きていると考えてください。勿論、弐色くんは好意で
すべての事があべこべに……?
弐色さんの言っていたことが、あべこべってこと?
逆に考えてみたら……自分から離れて欲しいってこと? ここから出て行けって言われてるの?
あたしの居場所は、もう、ここにしか無いのに。
ここなら、こやけちゃんが、あたしを護ってくれる。
わからないことは、景壱が何でも教えてくれる。
だって、あたしは、ペットなんだもの。外に行くなんて、おかしいわ。
「あの、弐色さんが受けてる呪いって?」
「ごく簡単にお話しすると、死ねない呪いですね」
「死ねない? 死なないじゃなくて?」
「ええ。弐色くんは、死ねないんです。いくら傷つけられても、いくらその身を犯されても、怨みが増えれば増えるほど、あの子に憎悪の念が高まるほど、死ねません。あの子は呪いそのもの――
「あ、はい。ありがとうございました」
「いえいえ。どうか、これからも弐色くんと仲良くしてあげてください。あの子は、寂しがり屋ですので。もっとも、弐色くんの気持ちを汲むなら、貴女は、現世へ帰った方が良いんですが……」
後半の声ははっきり聞こえなかった。永心さんが出て行ったので、あたしも社務所を出る。
弐色さんに会いに行った方が良いかしら? 何処に行ったの?
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