第七話 小さいドレスと少しの悩み——ルナディアのいないお昼Ⅰ——

 気づいた時には、朝でしたっ。

 すっかり寝かしつけられてしまったボクは、思い付いた妙案の事も忘れて、ただ惰眠を貪ってしまった。まあやっぱり、無理矢理襲うなんて事は、吸血種のボクには相応しくないと思うので、これでよかったと思う事にした。……寝かしつけられてしまったのは、ルナディアの体温や、お腹を優しく叩いてくれるのが、気持ちよくて安眠した訳ではない。

 目を覚ました時には、朝陽が差し込む中でルナディアは身を起こしていて、今は目の前で彼女がメイドへ、ボクの事を紹介してくれている。



「それで、此方のお方が」

「そう、私の友人のノッテステラ嬢。昨晩、やむを得ない事情で御家を抜け出して来られたそうです。ベル、彼女の身の回りの世話をお願いしても良いかしら?」

「お嬢様の仰られる事でしたら何なりと。ノッテステラ様、改めて、ルナディアお嬢様専属メイドのベルディと申します。何卒宜しくお願い致します」

「は、はい。よろしく、お願いします」



 ローゼンの家には、メイドなどは居なかったから、どう接したらいいかわからなくてギクシャクしてしまう。そんなボクを見てルナディアは何かを察したのか、ベルディに見えない様ににやりと笑った。ちくしょう、おろかなルナディアめ。

 ルナディアがベルと呼んだ獣人種のメイドは、この家の中で最も信頼できるメイドなのだそうだ。ベルディが来る前に聞かされた話では、ルナディアが投獄された時も、何度も牢へ足を運び、無実を訴えたりしてくれたと聞かされた。



「差し当たりましてお嬢様、魔術教師のイスティ様がもうすぐにでも到着のご予定で、昼食後には教養教師のダストン様がいらっしゃいます。先んじてお嬢様の身支度を行わせていただいてもよろしいでしょうか?」

「ああ……今さら正直、面倒ですね。仮病を使ってお休みとかは出来ないのかしら」

「イスティ様などはお嬢様の魔術の力量に感嘆され、教師として携われる事を喜ばれておりました。今後の為を思えば、やはり仮病などは避けられた方がよろしいかと」

「こういう時、無闇に鍛えてしまった自分が憎らしいわ……しょうがない支度します」

「恐れ入ります」



 そんなやりとりをした後、ルナディアが身支度として着替えを始めた。ボクは別の部屋に行くべきかと聞いたのだけれど、彼女は気にしないわと言って惜しげもなく服を脱いだ。

 月の光ではなく、陽光に照らされた彼女の白い身体は、何処も彼処も柔らかそうで、起伏に富んでいる。なんだか見せつけられている様な気がして、腹が立ち、目を逸らそうと下を見ると、自分の体が目に入る。そこには彼女との残酷な格差があって、ボクは悲しくなってしまった。

 悲しんでいると、来客用の深緑のドレスに身を包まれたルナディアが、ボクを見て今度は柔らかく微笑んだ。



「私はノッテの、そのしなやかで線が細いお身体、好きですわ?」

「……ぜったい褒めてないだろ……早く勉強行ってこいよ……」

「ふふ、拗ねないで?……それでは、ベル、ノッテステラ嬢のお着替えを。着る物は……取り急ぎ、私の物から選んで。それから、私が戻るまでのおもてなしをお願いします」

「かしこまりました。お部屋まで」

「ああ結構。屋敷内だし、お茶はメイドの誰かしらへ頼みます」

「承知致しました。では、お励みいただけます様お祈りいたします」

「ありがとう。じゃあね、ノッテ。また夕方にでも」

「いってらっしゃい……」



 ルナディアは、去り際にやたら似合うウインクを残して部屋を出て、勉強へと向かっていった。ボクの方は、はじめましてのメイドさんと二人きり、これから彼女が戻るまでの時間を過ごす事になる。……あいつ、ボクが吸血種だって忘れてないだろうな。メイドさんと二人きりなんかにしたら、血を吸っちゃうかもしれないぞ。ルナディアが怒りそうなのでやめておくけど。



「ノッテステラ様、差し支えなければお召し物をご用意致します。お嬢様へ贈呈され、袖を通されなかった物で恐縮ですが、如何されますか?」

「あ、うん。大丈夫、お願いします」



 ベルディも服を取りに行くために出ていって、ついにはボクが取り残された。部屋にはルナディアの甘い香りが残っていて、いない筈なのに存在感が損なわれていない。

 ルナディアという主人が美人な事は関係ないとは思うけれど、ベルディもなかなかの器量良しだ。長さがあるであろう赤茶の髪をシニヨンで纏め、穏やかに細められた目には緑の瞳。なにより背丈はルナディアより低いくらいなのに、不思議な程成育している胸は、きっと男性の視線を鷲掴みにするに違いない。

 ベルディの様な人を虜にして、ルナディアと一緒に侍らせたら、さぞ目の保養になるだろう。やはり力を持つ者としては、美しい女性の一人や二人を囲っていてこそ、その力を周囲に恣意する事もしやすいだろう。



「ふっふっふ……これは、薔薇色の未来が見えてきたぞ」



 そんな事を企んでいたボクは、その後ベルディが持ってきた、『ルナディアが十歳の頃に贈られた』服を着させられて、また悲しくなってしまった。






 青色を基調とした服へ着替えた後、来客用の一室に移動したボクは、ベルディの淹れてくれた紅茶をいただきながら、窓辺で呆けている。呆けているとはいっても、折角の時間なので、昨日の事などを頭の中で整理していた。メイドのベルディはボクのおもてなしをと命じられた為、ボクの傍に立って、時折、話し相手をしてくれている。

 まずボクの目的は、お姉ちゃんの魔の手から逃げ切り自由を得て、そして《命血》の力を得る事だ。

 前者については、何処かしらで鉢合う事がない限りは、ほぼ達成したと思ってもいいだろう。……お姉ちゃんが何もかもを投げ捨てて、ボクの事を追ってきたりしない限りは、だけど。



「お姉ちゃんなら、やりかねないか……」

「ノッテステラ様は姉君がいらっしゃるのですね」

「うん……妹のボクから見ても、美人だし、優秀なんだけど……怖い人なんだ」

「怖い人、ですか。私は姉の立場ですが、もしかしたら下の弟妹からすると、姉とは怖いものなのかもしれませんね」

「ベルディが?あまり想像はできないなぁ」

「つい、心配になってしまって、口煩くしてしまったかと今では考えています」

「うちのお姉ちゃんは、口煩いとかって話じゃないけどね……」



 何しろ二百年も監禁されていたのだから。……姉にまた捕まる事を考えると、身震いが止まらなくなるので、そこで考えるのはやめておく事にしよう。

 後者については、正直手詰まりな所はある。ローゼン家に残された文献にも、『その血を得た吸血種は多大なる力を得た』という事と、『血は他のどのような血よりも、濃厚で甘美な香りを漂わせていた』というような事ぐらいしか手掛かりになる記載がない。なんでも、その血には何かしらの理由があって、『本来人類種を従える筈の吸血種が、その血を求め人類種に隷属し破滅した』様で、一族としては、そんな危ない物を探させる訳にはいかないとして、禁じたらしい。



「そんなものあるのかなぁ……どうやって探そう」

「探し物でしょうか。何かお力になれれば良いのですが」

「あ、ううん。これは、自分で探さなきゃいけないものだから」

「左様でございますか。存外、探し物というのも、自身の近くにあったりするものです」

「まさかぁ?……まだ探しはじめて、一日しか経ってないからなぁ……」



 手がかりのない悩みに、頭を抱えそうになるのを我慢して、また紅茶を口に運ぶ。紅茶の香りを楽しんでいると、外から木剣が打ち鳴らされる音が聞こえた。窓の外を見ると、互いに金色の髪を携えた二人の男性が、剣術の訓練をしている。

 短髪で背の高い側の男の人が、肩口のあたりで髪を切り揃えた人の振るう剣をいなしながら、時折言葉を交わしつつ、二人とも熱心に剣を振るっていた。



「お嬢様の二人の兄、グラン様とジリアン様ですね。お二方とも剣術を好まれ、かつ、その腕前はこの国でも十指に入るほどだと伺っております。日頃いとまがあれば、ああして稽古をなされています」

「へぇ……すごい、カッコいい……」

「リンドバール家は元を辿ると、建国の際に武をもってして初代センテンブル王を支えたと言われ、その為、代々リンドバール騎士団は王国軍へ重大な貢献をなされております」

「なるほど。だから、ルナディアも強いのかな?」

「お嬢様、ですか?……恐れながら、お嬢様はリンドバール家の御令嬢であらせられますから、武芸については然程のものかと」



 じゃあどうしてボクは投げられたんだ。と言いたくなったのをぐっと堪える。

 彼女の兄たちが振るう剣ですらがそうであるように、あの程度の剣なら、その気になったボクには緩やかなものに見える。それくらい、吸血種と人類種の、生命としての性能差は歴然としているのだ。それなのに、昨日彼女は押し倒そうとしたボクを『よいしょ』の一言で投げてみせたのだ。正直、そこも納得は出来ていない。

 ルナディア=リンドバール。艶やかな金髪と魅了するような青い目をした、甘い香りの血を持つ人。ボクは彼女についても、思案を巡らせなければいけなかった。


 

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