第八話 彼女の噂と狂犬メイド——ルナディアのいないお昼Ⅱ——
ルナディアは、昨晩の時点で三日後の舞踏会で、囚われの身となり、そしてそのすぐ後に死せる運命にあると、涙を零しながら語ってくれた。正直、話の内容は荒唐無稽なものではあるけれど、あの涙と表情を見せられたボクは、彼女が嘘を語っているようには見えなかった。
「話した事は信じられないけど、話した人は信じたい……無茶苦茶だよね」
「そういう事も、あるのではないでしょうか。屋敷へ食材を納入してくれるグラジ様は、いつものこと、メイドへ口説く様なことばかり申されますが、しかし彼の納めてくださる野菜は素晴らしいものばかりです」
「それはまた違う気がするけど……でも、似通ってる部分はあるかな」
そもそも彼女はどうしてこんな話をしたのだろうか。『なんでもない』と昨夜はごまかされたけれど、こんな話をしてくれた事には理由がありそうなものだ。まさか、本当はやはり助けて欲しいのか。彼女は気付けない様だけれど、吸血種の力を持ってすれば、彼女を囚われの身にするなんて事や、まして死なせるなんて事はあり得ないだろう。
そして、その話を受けて、ボクはどうする。彼女の話を遮二無二信じて、助けてみるか?助ける事は、やぶさかではない。彼女の美貌もさることながら、やはりあの血は、捨て難いものがある。助けてと言われたのなら、そうする事もいいだろう。
でもボクは吸血種だ。人類種は、いわばボクにとっては獲物であって、わざわざ獲物を助けるというのは、何か摂理に反している気もする。
それに彼女は、生きる為に足掻く事を諦めたいと言っていた。ボクはその言葉を聞いた時、妙に悲しい様な、怒りたくなる様な気持ちになったんだけれど。……だめだ、やはり判断する為の情報が、足りなく思える。
もやもやした気持ちを抱えながらカップを掴むと、紅茶は残り少なくなっていて、それを察してくれていたベルディが、ポットをさりげなく抱えている。そうだ、彼女に一番近しい筈のベルディなら、ボクがまだ知らない彼女の話を聞かせてくれるんじゃないだろうか。
「ねぇ、ベルディ。ルナディアの話を聞かせてくれる?ボクの知らない、彼女の話を」
「お嬢様のお話、でございますか」
「彼女が話していたよ。ベルディは最も信頼のおけるメイドだって」
「左様……ですか……」
喜ぶかと思って、ルナディアがベルディの事を褒めていたという話をすると、彼女は何故か俯いてしまう。困らせてしまったかなと一瞬考えたけれど、それは違った。
ベルディは獣人種だ。彼女は人類種の血が強い様で、顔立ちを見るだけでは判別しにくいが、その頭には耳があるし、腰の辺りには尻尾もある。何故彼女が困ったわけではないとわかったかというと、それがもう、凄い事になっていたからだ。
耳は天を衝くかの如く立ち上がり、尻尾なんかは、ちぎれ飛ぶんじゃないかってくらい振られている。
「べ、ベルディ?」
「申し訳ありません。お嬢様がその様な事を仰っていたと伺うと、不躾ながら感慨に浸ってしまいました」
「う、ん。感慨に浸るというより、凄い嬉しいみたい、だね」
「はい。まだまだ至らぬ身ではございますが、少々嬉しく思います」
いや、その尻尾の振り方は少しって話ではないだろう。尻尾を振りすぎて、団扇で仰ぐ程度の風が起きている。
確かにその喜びは顔には出ていないから、その顔と言葉だけ切り取れば少しだけという言葉には頷ける。その後で、彼女の背後にある狂喜乱舞する尻尾が目に映らなければ、だけど。
「ベルディは、ルナディアの事を慕っているんだね」
「ええ。お嬢様は誰よりも優しく、聡明で、麗しいお方ですから。それだけではなく……私を奴隷の身分から掬い上げてくださった、恩人でもあります」
「奴隷って、ベルディが?」
「過去に、ですが。……そうですね。お嬢様の個人的な話をするのは、躊躇われますので、私とお嬢様のお話をさせていただければ幸いです」
そしてベルディは、二人の過去、馴れ初めの様な話を聞かせてくれた。
ベルディはセンテンブル王国に来る前は、王国には現存しない『奴隷制度』がある国に居たそうだ。
その国の近くにある獣人族の里に暮らしていた彼女は、ある日森の中で獣に襲われ、そうしているうちに深く迷い込んでしまったらしい。どうにか森を抜け出せたものの、さらに運の悪い事に、抜け出した先で助けを求めた相手が、奴隷商という、奴隷を売買する男だったのだ。その男に騙されて、まだ幼かったベルディは奴隷身分へとされてしまったのだという。
「酷い、話だ……聞いているだけで、腹が立つよ」
「昔の話では、あります。当時の私は、何故自分がこんな目に遭わなければいけないのかと、日々何かを恨む事で、精神を保っていました」
奴隷となり、運ばれ、いよいよ誰かに買われていくという日。陥れた奴隷商からは、散々『お前の様なやつは、好きものの金持ちが高値で買うだろう』と脅されていた中で、実際に彼女に救いの手を差し伸べたのは、ルナディアだった。
「そこでルナディアが……なんだか、運命的だね」
「お嬢様と旦那様が、偶々あの国を訪れていなければ、この身も綺麗なままではいられなかったでしょう」
「よくは知らないんだけど、奴隷から平民へって言うのは、結構大変なんじゃないの?」
「左様でございます。王国では、奴隷という存在は認められておりませんから、お嬢様が旦那様に掛け合ってくださって、多額の金銭を払ってくださいました」
「リンドバール家とお嬢様の力だね」
「はい。そして、彼の国から私を連れ帰ったお嬢様は、私を自身の専属メイドへと任じてくださり、そして今でもお仕えさせていただいております」
その話を聞いて、ボクに血を捧げる為に自らの手のひらを切ったり、王子を殴る為に鍛えたと話す彼女の姿を思い出した。
「目的の為なら手段を選ばない感じ、ルナディアらしいな」
「そうかもしれませんね。旦那様も、滅多に我儘を言わないお嬢様が、急に奴隷をと言い出したから、内心驚いたとお聞かせくださいました」
「それはびっくりするよね……ベルディは、もう奴隷ではないんだよね?故郷に帰ろうとは、思わないの?」
「帰省の暇は都度いただいております。お嬢様からも、故郷が恋しいのなら、と仰って下さった事もございました。ですが」
ベルディは、何かを確かめる様に胸の前で、自身の手を包む様に握りしめると、今日初めて顔を綻ばせてみせた。その仕草、その表情だけで、どれだけルナディアが彼女に愛されているのかが理解できた。
「私はただお嬢様に、あの絶望の淵から掬い上げてくださった、ルナディアお嬢様にお仕えしたかったのです」
「……うん。だから、ルナディアはベルディの事を、信頼しているんだ」
「きっとそうであれば、どんなに喜ばしい事かと、存じ上げます」
そしてまた、ベルディは静かに表情を戻した。尻尾が台風の日の麦畑みたいに、右へ左へとしていなければ、彼女の気持ちを読み取る事は難しいだろう。……すんごい、ちょっと心配になるくらい、尻尾が振られている。
しかしその尻尾が、ぴたり、と止まった。
「なので、お嬢様に限って、あの様な噂はあり得ないのです。……噂を流したものを見つけ出して、八つ裂きにしてやりたい」
抑えがちと思えていた表情が再び崩れて、細身な彼女の体から、極大の憤怒が現れた。緑の瞳は、未だまみえぬ仇敵を、睨み殺さんとばかりの光を宿していて、それが目の前に現れたのなら直ぐにでも殺してやろうという意志を感じる。
静々としていた彼女から現れた、信じられないほどの怒気に、悪い事はしていない筈なのに、身が竦んでしまいそうになる。いや、血は飲ませてもらったけど、合意の上だし。
このままではボクの精神が擦り切れそうなので、話を促して、早めに終わらせることにした。
「う、噂?」
「ノッテステラ様は、お嬢様のご友人ですので、耳にする機会は多くないかと思います」
「そう、だね。詳しくは知らない。もし良かったら、聞かせてくれる?それで彼女が困ってるんだったら、助けになりたいんだ」
別に、すすんでルナディアの助けになりたいとは、そんなに思ってない。何故わざわざ吸血種のボクが助けなければいけないのか、とは思うし……彼女はボクに助けてと言わなかった。
だけど、ベルディがこんな表情を見せる程、その上でルナディアが全てを諦めてしまいそうな程の境遇が、気になってしまった。
「……お嬢様に、ノッテステラ様の様なご友人がいらっしゃる事に、少しだけ安心ができます」
「ま、まあね。彼女とボクは、親友だからさ」
「親友……羨ましい限りです……口にするのも、忌々しい事ですが、噂というのは——」
ベルディが語ってくれたことは、昨日ルナディアが話した事と重なる部分があった。
曰く、婚約者の第三王子には別に意中の『ミストレア』という令嬢がいて、ルナディアはその事実に対して、嫉妬に狂っている。
曰く、『ミストレア』嬢を見つけては、大小問わず、陰湿な嫌がらせをしており、挙句、辱める為に暴漢を雇い差し向けた。
曰く、表では品行方正を気取っていても、裏では巷で蔓延している非合法な薬の売買や、幼い少女を不届き者に斡旋する商いを行い、その資金で悪どい組織を運営している。
曰く、その美貌で都中の男を誑かそうとし、彼女に心奪われ、婚約者がいる身ながら、その相手を捨てて求婚したものまでいる。
……ベルディは、いかにも腹立たしげに、それらの噂を吐き捨てた。
「全く、馬鹿馬鹿しい!……申し訳ありません。少々、取り乱しました」
「ううん……そうだ、本当に、なんて馬鹿らしい……」
ルナディアの人柄を知るものが耳にすれば、何をくだらないことをと切り捨てられるものばかりだけれど、人の悪意ある噂などというものは、本来その程度の幼稚なものだ。そこに語り手の陰湿な感情がのれば、さらに悪意は重なり、それを聞いた悪意を持つ聞き手にとっての真実になる。
人は、負の感情の矛先を常に探す生き物だ。環境、国、そして、同じ人。そんな人間というものの前に、ルナディアの様な若く、美しい人間が現れれば、嫉妬など負の感情を一部の人間が向けるのは、想像に難くない。
ボクのお姉ちゃんも美しい人だから、人前に姿を見せた際には苦労していた様だ。どうしても避けられない社交の場から、謎の返り血を残したまま屋敷に帰宅した姿を見た時は、ボクも心配し、憤った。……噂を流そうとしていた貴族を、直接手にかけたわけではない。とは、さりげなく聞いておいたけど。
「これだから、人類種というものは……」
「……失礼ですが、まるで、ノッテステラ様が人間ではないものの様な申し口ですね?」
「え?!あ、いやいや、一般論としてだとも」
ルナディアから、周囲の人間を驚かせない様に、ボクが吸血種である事は二人の秘密だと言われていた事を失念していた。
ボクとしては別に隠さなくてもとは思うし、むしろ大々的に広めて、愚かな人類種どもを平伏させたいくらいだけれど、ベルディの様な人間を驚かせたくないという、ルナディアの言い分は納得できたので、聞いてやることにしていた。
「しかし、どうしたものか……」
「……メイドの分際で、無礼を承知の上でお願い申し上げます。ノッテステラ様は、どうかそのまま、お嬢様の傍に寄り添っていただければ、恐悦至極に存じます」
「それはもちろん。ボクがルナディアから離れようだなんて、思う事はないよ」
なにしろ、あの甘美な血の持ち主だ。正直、今のボクにはあれ以上がこの世に存在するとは、到底思えない。
心の内はともかくとして、そんな事を言ってあげると、ベルディは安心して喜んでくれたのか、控えめに尻尾を振ってくれた。
「重ねて、お礼を申し上げます。これからも何卒、末永くお嬢様とお付き合い下さいませ。……噂を流す様な狼藉者は、私の方で二度と口にできない様片端から潰して参りますので」
「いや、それ、危なくない?……ていうか、そんな事をしたら、また悪い噂が増えるのでは?」
「……では、問答無用で、半殺し程に……」
「半殺しもダメだよ?!……忠犬かと思っていたら、狂犬だった……!」
思い悩む事もあった昼間だったけれど、ベルディの忠義に厚い狂犬ぶりによって、かなり楽しめてしまった。きっとこの話をルナディアにしてあげたら、彼女も喜ぶだろう。
ボクは今日の夜に想いを馳せながら、ルナディアの敵を抹殺しようとする狂犬ベルディを必死に止めた。
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