第六話 溢れた涙と添い寝——二人の出逢いⅤ——



「死んで、戻って、死んで、戻って……今までは諦めきれなかったから、色々試した」

「色々っていうのは……」

「まず噂の否定よね。直接的な死因につながるのだから。ノッテが、そこは信じてくれた様に、誰かを傷つけたり、陥れたりっていうのは、苦手なのよ」

「それは、うん。ルナディアは、イジワルしてくるけど……そんな気はする」

「イジワルするのは貴女が可愛いからよ。まぁ、日本人の倫理観が残っているんでしょうね」



 そういうルナディアは、まず『ミストレア嬢』に歩み寄ろうとした。何が噂を呼んだのかがわからないなら、仲良くしてしまえば、そういった事にはならないだろう。だから、その人が傷つかない様、共に過ごしたり、丁寧にお話をしてみたりしたけれど、待っていた結果は投獄だった。

 むしろいっそ、関わらなければどうだと試した時は、国外追放の後、悪漢に襲われ街道の真ん中で刺されて死んだ。

 もう国にいる事すら怖いと、全ての関わりを絶って国外へ逃げ出そうとした時は、獣に襲われ、それまでで一番短い人生を終えた。



「……あは、知ってる?生きたまま、獣に食われるとね。最初は勿論痛いのだけれど、どんどん痛みがなくなっていくのよ。なんでかって気付いたら、痛みを感じる部分が食べられてしまっているから!」

「……あ……そんな……」

「痛む代わりに、酷く寒気がするの!あの感覚の悍ましさと言ったら……」



 彼女が生々しく詳細を口にする、おそらく彼女が経験してきた人生は、そのどれもが悲惨なものだった。そしてそれらは、九十八回の人生の内の、いくつかの話でしかない。その事実は、彼女にあの諦めた様な表情をさせるのには、充分すぎるものに思えた。



「あはは、実はね。ノッテをさっき投げられたのは、ここ二十回くらいの人生の殆どを、戦う為の技を学ぶのに費やしたからなの。それで、あの腹立つ王子を一発、いや何発か殴ってやりたいと思って」



 それを試した九十八回目は、その場にいた兵士に取り押さえられ、投獄されたそうだ。

 ベッドに腰掛けたルナディアは、何がおかしいのか、耐えきれない様に笑い出した。その彼女の姿は笑っているけれど、壊れた人形の様に綺麗で、脆く見えた。



「あははは!惜しかった!でも、取り押さえた兵士に罪はないからねー……足掻けなかった」

「……その話が本当の事なら、キミはこれから、どうするんだ。死にたいわけじゃないだろ」

「当たり前……と、言いたいけど。そろそろ、諦めても良いかなって思ってる。私の力じゃ、何をしてもダメだったんだから、後はもう、御伽噺の魔法使いにでも頼るしかないわ?」

「そ、そんな、諦めるなんて」

「諦めるなんて、まだ早いって?……今回で九十九回目。次は、百回目よ?……もう、疲れてしまったの……」



 笑っていた彼女が、不意に目を伏せる。その両端からは大粒の涙が溢れて、長い睫毛の奥にある青い瞳は、諦観に揺らされていた。



「私だって……ただ、幸せになりたいだけなのに……どうして……?……」



 十八年という人生を、九十八回。総てを合わせたのなら、ボクの二百歳という年齢を遥かに超えるほどの時間だ。彼女の流す涙を見ていると、やはりそれを嘘とは思えなかった。

 静かに、悲壮に打ちのめされている彼女を前にして、どうしたらいいのかわからなくなってしまう。ボクは彼女を泣かせる為に、此処に来たわけではない筈だ。

 さっきボクが思わず泣いてしまった時のことを思い出す。ボクは歩み寄って、ベッドに腰掛ける彼女の頭を、柔らかな金の髪を撫でる様に胸で受け止めて、抱きしめてみる。



「……慰めてる、つもりかしら?……この涙は、嘘かもしれないのよ?だって私は、噂される様な、『悪役令嬢』なのだから」

「ボクにはそう思えない。ただ、理由はそれだけだよ」

「……そう……ノッテはやっぱり、優しいのね……うう……!——」



 そして彼女は、誰もが羨む美しい顔をひたすらに歪めて、ボクの胸で泣き崩れた。堪えきれなくなった様に嗚咽が漏れて、涙がボクの胸を濡らしていく。

 彼女の摩耗した心は、それでもまだ自らの境遇の全てを受け入れられる様には出来ていない。この涙は、残酷な運命が彼女の心を壊そうとするから、そこから溢れてしまったんだ。

 ……眷属の彼女が泣くのだから、ボクにはご主人様として、その涙を受け入れる義務がある。それが、吸血種の矜持なのだと思うから。






 少し経って、落ち着いたルナディアは目を瞑り、静かに身体をボクの胸に寄せている。落ち着いた筈なんだけど、彼女はボクの『心臓の音が好き』と言って、ボクの胸に耳を当ててその音を確かめている様だ。なんだか心臓の音を聞かれるのは、少し恥ずかしい。何故って、泣いたのにも関わらず、損なわれていない彼女の美貌が、目線を下げるとすぐそこにあるからだ。きっと今ボクの胸は、さぞかしうるさい事だろう。

 けれども、ボクは吸血種。彼女にとってのご主人様なのだから、眷属がそれを望むのであれば、それを呑んでやるのも、度量というやつだろう。

 そうやって恥ずかしがっていると、彼女が満足したのか口を開いてくれた。



「……ふふ、薄い胸でも、使い道はあるものね?」

「……あぁ?」



 散々泣いた後、開口一番煽りを入れるとか、正気か?いや、彼女の語った事が本当であれ嘘であれ、既に正気ではないのかもしれない。それはそれとして、すごく腹が立ったので、ここは抗議してやらねばならない。

 少しだけ荒げてしまった声で、それはいかにもおかしいと、おろかなルナディアに伝えてやると、彼女は降参した様に手をあげて、気持ちの篭っていない謝罪を口にした。



「まったく、ルナディアは、おろかだ……どうしてボクに話を聞かせてくれたの?」

「聞かれたから、って答えじゃダメよね……それは、ノッテが……いえ、なんとなくよ」

「なんとなくぅ?……まさか、ボクに助けてほしいとか?ボクは吸血種なんだぞ、眷属の一人くらい、どうして助けたりすると思う」

「ふふ、まさかぁ?私に投げられちゃう様な、か弱い女の子に、助けてもらおうなんて思ってないわ」

「ああ!なんだと!そんなこと言うなら、絶対助けたりしないからな!」

「はいはい……ふふふ、話を聞いてくれた事のお詫びじゃないけれど、そうね。これから、三日後までは、毎晩血をあげましょうか」

「……!……そ、そんなものは、当たり前のことだ!キミはボクの眷属なんだからな!」

「えぇ?じゃあ後は……そうね、ノッテはどこに住んでいるの?」



 住まう場所はどこか、と聞かれてハッとしてしまう。屋敷を飛び出して、ルナディアの血をいただく事ばかりに気を取られていて、すっかり住処のことを失念していた。

 いや、まるで考えなしだった訳ではない。彼女がボクの『虜』になってさえしまえば、衣食住の全てを、自ずと差し出すと思っていた。

 けれど彼女は『眷属』どころか、『虜』にすらなった様子は正直ないし、だからといって吸血種の力で言う事を聞かせようというのは、先程の涙を見てしまうと躊躇われた。

 ……決して、彼女に飛び掛かっても勝てそうにないからと、尻込みした訳ではない。



「その様子だと、行くあてはないみたいね?」

「そ、そんな訳ない!……けど、どーしてもって言うなら、ルナディアのこの屋敷に、いてやっても良いよ?」

「ふふ……でも、お父様やお母様に許可を取らないといけないから、難しいかもしれないわー?」

「そ、そんな……る、ルナディアがまた泣いてしまったら、慰める者が要るだろう。余が、その役目を買って出てやるのだ!」



 ここでウンと言わせないと、ボクは今日から宿なし吸血種になってしまう。そんなものは偉大で高貴で尊いノッテステラ様には似合わないのだから、必死になって説得する。

 そんなボクの様子を見て、いよいよ偉大さに感動したのか、ルナディアは顔を背け、口元を抑え、身を震わせはじめた。

 わかればいーんだよ、わかれば。



「く、ふふ……じゃあ、お言葉に甘えて、三日間住まう部屋を用意しましょう」

「やった!……じゃなくて、それでいい。くれぐれも丁重に扱いたまえよ?」

「んふふ!……だめ、笑ったら……」

「……?……」



 最後の方はよく聞こえなかったけれど、ともかく無事に寝床は確保できた。もしかしたら、ルナディアは既にボクの虜になっていて、可愛い子にイジワルしたくなる様な感じなのかもしれないね。……そんなことあるのかは知らないけど。



「……ふぅ、それじゃあ。貴女も着替えましょうか。その格好で横にいられたら、思わず襲っちゃいそうだわ」

「んなっ……キミは、そういう趣味があるのか……?」

「冗談だし。っていうか、誰彼構わずって訳じゃないんだから」

「意味わかんないことばっかり言うな。着替えもそうだけど、ボクの部屋は?」

「今日はここで我慢して?メイド達ももう休んでるだろうし」

「え、高貴なボクに、床で寝ろってこと?え、眷属?ボクの事ペットかなんかだと思ってる?」

「違うわよ。ほら、こっちに来なさい?」



 そうしてボクは、あれよあれよと言う間にルナディアの手でぶかぶかの寝衣に着替えさせられ、ボクが押し倒されたり、彼女が涙をこぼしたあのベッドへそのまま寝かされた。



「公爵令嬢に添い寝してもらえるなんて、世の男どもが聞いたら泣いて羨むわ?」

「さっきまで泣いてたくせに、ずいぶん自信過剰だなぁ……」

「まぁねー。とりあえず、今晩だけは我慢して」

「う、うむ……余は、寛大だからな……こうして、抱っこされてやらんこともない」



 実はベッドに寝かされていただけではなくって、ボクと同じ様に隣へ身体を横たえたルナディアは、ボクの事を腕や脚で抱き締める様にしていた。



「んー……ノッテの身体、ちょっとひんやりしてるのね……吸血種だからかしら、気持ちいい」

「それは知らないけど……その、令嬢としては、はしたないんじゃないのか?」

「中身は普通の人だから……それに、何か安心するのよね」



 ボクの方でも不思議な事に、彼女に抱き締めてもらうと安心できた。まぁこれなら、些か不遜ではあるけれど、咎める程でもないか。

 ふと、少しだけ横に目線をやると、彼女の青い瞳と目があってしまった。この距離にこの顔があるのは、なんだかすごく心臓に悪い。



「ん……何かしら?そんなジッと見つめて」

「な、なんでもない、ぞ。余は寛大だから、こういう不敬も許してやる」

「ふふ……ていうか、その『余』とか喋り方はなに?さっき自分の事、『ボク』って言ってなかった?」

「こ、これは、その、威厳のある吸血種だから。キミは逆に、どうしてそんな物言いなのさ!」

「ちゃんとした人前だったら、それらしく振る舞うわよ?……でも、ノッテが嫌じゃなかったら、お互いにそういうのは、なしにしたいわ?」



 そういって、ルナディアはボクの身体を抱く腕の力を少し強めて、顔を寄せてきた。ボクに媚を売る様な、少しだけ困った様な表情をみていると、彼女の言葉を拒否する力が失われていく気がする。

 媚び諂うことは望んだけど、なんだか望んだものとは、かなり違う気がする。



「ねぇ、だめ?……ノッテが、自分の事をボクって呼ぶの好きなんだけどな」

「う……わ、わかった。眷属がそこまで言うなら、しょうがないな……」

「……んふふ……チョロ……」

「……チョロ?……なんか、馬鹿にされてる?」

「してないわ……ふふ、ほら、おやすみなさい」



 そういって、ボクのお腹をぽんぽんと叩きながら、ルナディアは目を瞑った。

 ルナディアがどうしてか、ボクの虜になった様子がない事が不満だったけれど、聡明なボクは一つの妙案を思いついていた。彼女が寝静まった後、無理やり襲いかかってしまうのだ。そうすれば改めて彼女は眷属になって、ボクの思いのままだ。血だっていくらでも捧げてくれるだろうし、衣食住も保証されるだろう。それに……それに、なんなんだろう。



「……」



 眷属に血を捧げさせる事、それだけで充分な筈だ。でも、捧げられた血の甘さ、彼女の話、彼女の涙、そして、美しく思える彼女自身を見ていると……それだけでは足りない気がしてくる。でも、何が足りないのかは、わからない。……わからなくて、胸の中で何かが燻った様な気持ちになる。

 もしかしたら、ルナディアなら、何が燻っているのか……わかるかも……しれない……明日、聞いて……。



「……なさい、……貴…………に……くれて、それ………………せよ」

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