救出

「――か、のりたか」


(誰……?誰か呼んでる……?)


「――典孝のりたか、起きろ!」


今度は耳元でそうはっきり聞こえた気がして、藤井ふじいはハッと目を覚ました。


(今のは……?)


気が付くと藤井は狭い部屋にいた。

「どこだ、ここ……」

 

周りを見ると棚に並べられたミシンや布地、授業で使うであろうポスターなどが置いてあった


(家庭科の……、準備室?)


「ぐっ……!」

立ち上がろうとして、上手く身体が動かないことに気づいた。手首と両足首には結束バンドがしてあった。


「なんだよ、これ……」

無理やり引きちぎろうとしたが、外れない。かえってきつく痕がつくだけだった。


「おーい!……おーい!!誰かー!」


一か八か。とりあえず声を上げたが、静けさだけが返ってくる。

今度は扉を両足で蹴りながら叫んだ。


「誰かー!開けろーー!誰かぁーー!」


(無理か……)


諦めかけたそのときだった。

 

「その声……、もしや藤井先生?」

扉の反対側から女性の声が聞こえた。

 

「誰だ……?いや、誰でもいい!早くここから開けてくれ!」

「えっ、藤井先生、本当にそこにいるんですか?」


鍵を開ける音がして、短い髪の女性が扉の向こうから顔を覗かせた。


「ふ、藤井先生!?」

月乃つきの先生……?どうしてここに……?」

「私は、明日の授業で使う教材を確認しに来ただけですよ」


(そういえば、月乃先生の担当は家庭科だったな……)


「藤井先生こそどうしたんですか!?というか、なんで縛られてるんですか!?」

「そんなのこっちが聞きたいですよ……」


はさみで切りましょう……!」

そう言うと月乃は準備室の棚の引き出しから裁ち鋏を取り出した。

 

「あ、そういえば、少し前に同好会の生徒さんかな?教室前の廊下で先生を探していましたよ。どうやらひどく焦っている様子で……」

裁ち鋏で結束バンドを切りながら、思い出したかのように月乃が言った。

蓬莱ほうらいだな……」

「校内放送しとくって伝えましたけど、……あの子どこ行ったのかしら?」


やっと手が解放され、急いでズボンのポケットを探る。中に入っていたスマホは無事だった。

確認すると着信が数件、ショートメッセージが二件入っていた。


『先生、このメッセージ見たらすぐに屋上に行って!』

おそらく蓬莱からのメッセージだろう。


「屋上……?」


もう一件のメッセージにも目を通す。そこに書かれていたのは信じがたい内容だった。


「――君はここから飛び降りるんだ」

狂気に満ちた目で高山たかやま有村ありむらに言った。

 

「……え?な、何を言ってるんですか!?」


「転入早々、イタズラ心で無作為に生徒を突き落とした君は、その行いが周囲にバレて、追い詰められて自殺する――。生徒の様子に気づいた教師は止めようとするが、間に合わず、彼は下へと落ちていく。……な?完璧なシナリオだろ?」

両手を広げながら高山は満面の笑みを浮かべた。


(こいつ、狂ってる……!)

 

有村は胸ポケットのスマホを取り出そうとした。

「……馬鹿だなぁ」

高山は有村の手首を掴み、みぞおちめがけて蹴りを入れた。

「ゔぐっ……!」

高山はうずくまった有村のポケットからスマホを取り出すと、そのまま床へと放り投げた。スマホは滑るように遠くへ離れていった。

「あ……」

「そんなことしても、誰も助けになんて来てくれないよ?」

高山はゆっくりと有村に近づいていく。後ずさるが、もうすでに後ろに足場などない。


(落ちる……!)


「さようなら、有村 由紀雄ゆきお君。――こうして君の運命は繰り返されるんだ」


高山は微笑みながらそのまま有村を突き落とした。


「有村君!」

そのとき、屋上のドアの方から聞き慣れた声が聞こえた。


屋上に繋がる扉。ドアノブに手をかけると、扉は簡単に開いた。

 

(開いてる……!)

 

そのまま開けると、奈緒なおは目の前の光景に疑った。

屋上には高山一人しか見当たらない。


(電話では有村君と一緒だったはず……)


「有村君……?有村君!!」

見回してみても有村の姿はない。


「――残念だったね、君の探している人はいないよ」

高山はゆっくりと奈緒に近づいた。

 

「先生……。高山先生がやったんですか……?」


返事をしない代わりに高山は静かに微笑んだ。


「……!」

ショックと同時に激しい怒りが込み上げてきた。


「どうして……?どうして、そこまでしなきゃいけないんですか!有村君はあなたに何もしてないでしょ!」

思わず掴みかかるも、すぐに突き飛ばされてしまった。

「うっ……!」

 

身体をコンクリートの地面に叩きつけられ、痛みで身動きが取れない。


「全く……。わざわざ俺を追いかけてくるなんてさ。――しつこいね、アンタ」

「先生は……、生徒の味方だと信じていたのに――」

「残念だったね、こんな先生で」

高山は嘲笑あざわらった。


(今までのこと全て知っていた上で、やっていたなんて、許せない……!)


奈緒はなんとか立ち上がって、高山を睨みつけた。

「……なんだよ、何か言いたいことでもあんのか?」

奈緒はそう言って近づいてきた高山に向かって、平手打ちをした。

「つっ……」

「あんたなんかに……、大切な人を失った気持ちなんて分からない……、分かるはずもない!昔も今も自分のことばっかり。昔のことがバレるからって、そんなの自業自得じゃん。あんたなんか、あんたなんか……、一生怯えて生きればいい!」

 

「うるさい!」

 

そう言うと高山は奈緒の顔を殴った。衝撃で口の中に少しずつ血の味が広がっていった。

殴られた反動で倒れないように咄嗟とっさに踏ん張ったものの、突き飛ばされたときの衝撃と無理な姿勢を取ったせいで利き足に痛みが走った。

「……っ」


そんな奈緒を目もくれず、高山はただただ見下ろしている。


(どうしよう……、もう、逃げることもできない……)


そのとき脳裏に浮かんだのは、有村とあずさ、蓬莱や山辺やまのべの顔。


(でも――)

 

(でも、ここで終わりにしないと。これ以上、悲劇を繰り返しちゃいけない……!)


奈緒は少しだけ後ずさった。

「今更、逃げようとしたって無――」

高山がそう言いかけたときだった。


「うああああああああ!」

奈緒は思い切り足を蹴り上げた。その足はそのまま高山の顎目掛けヒットした。

「ぐっ……!」


ドサっという音がして、高山は倒れた。

身体は動かないが、指先が微かに動いていた。意識はあるようだが、暫くは動けないはずだ。

 

「はぁ、はぁ……」


高山が気絶しても、奈緒は下を見る勇気はなかった。


(助けられなかった……)

 

あの時、電話がかかってきた時点でなぜもっと早く動けなかったんだろう。そんな後悔ばかりが押し寄せる。

 

「……っく……」

涙が次から次へと流れてくる。


「ごめ……、ごめん……」


(味方になる、なんて言っておいてこの有様……。結局何もできなかった……)


「き……、りもと……さん……」


そのとき屋上の隅から微かに声が聞こえた。

「有村君……?」


(幻聴……?)


耳を澄ませる。声は奈緒が屋上に出てきた時、最初に高山がいたところから聞こえてきた。目を細めてよく見ると、その屋上の端に手の指が見えた。

 

「あ、有村君……!?」


(生きてる……!)


「いっ……!」

立ち上がろうとしたが激痛が走った。 

到底、歩けそうにない。這いずりながら手の方に少しずつ近づいていく。


「桐本さん……、ごめん……、誰か、他に……」

今にも消えそうな声が耳に入ってくる。


「待ってて……!今……、今からそっちに――」


(早く助けないと……)


身体が思うように動かない。とっさに手を伸ばす。


(あと、もう少し、あと――)

 

けれどまだ、手は届かない。


その時、勢いよく屋上のドアが開いた。


「有村!無事か!」


「藤井先生……!」


藤井は仰向けで失神している高山と、腫れた顔で這いつくばる奈緒を目の当たりにして驚いた。


「ど、どうしたんだ、一体これは……」


「先生!早く!有村君が……!」

「どうした、何があった!?」

「有村君が……、有村君が早くしないと死んじゃう!落ちそうなの!!」


(落ちる……?)


奈緒が指を指す方向に急いで向かう。


「……!」

そこには両手で体を支えたまま、足を宙に浮かせた有村がいた。


「い、今助ける!」

藤井は急いで有村の腕を掴んだ。

 

「せんせ……、どうして……」


有村は泣きそうな顔で藤井を見た。

それはかつての親友の最期に見た顔と瓜二つだった。藤井は胸を強く締め付けられるのを感じた。


「蓬莱から連絡をもらったんだ。羽金はがねから君たちがここにいるんじゃないかと教えてもらったと」

「き、きりもと……さんが……、俺の……、俺のせいで……」

必死で訴える両方の瞳から涙が流れ落ちていった。

「桐本?桐本か。……安心しろ。怪我をしているようだが、すぐに病院に行かせる」


奈緒の顔は勿論だが、足もどうやら痛めているらしかった。やったのはきっと高山だろう。藤井は激しい憤りを感じだ。恐らくこの事態になったのは彼が宙吊りになってからだ。 

 

「先生……。ごめん……、ごめんなさい。こんな……」

「いい、いいんだ、謝るな。君は悪くない……」


その言葉で、藤井は気づいた。彼の言う「ごめん」のその意味を。


(もう、この子はもう知っている。僕に昔、何があったか……)


「……大丈夫だ、助かる。君も桐本も絶対、僕が助ける……!」

そう言うと有村は少しホッとしたような表情を見せた。

 

「先生……」

「……うん?」

「先生が謹慎きんしんになったから、先生の激難しいテスト、受けてないんです……」

「……うん」

「だから……、だから、先生のテスト受けるまで、俺、絶対死にません……。死にたくないです……」

「……それくらい図太いのなら、大丈夫だな」

藤井は微かに微笑んだ。


(そうだ、あいつとこいつは違う……。大丈夫、違うんだ) 

 

「よし……!もう片方の腕を――」

 

有村のもう一方の腕を掴んだ矢先、藤井の重心はガクンと下に下がった。

 

「……え?」「……あ」

二人が声を出したのは同時だった。

そのまま下に吸い込まれるように藤井は屋上から消えた。


ドサっと鈍い音が響いた。

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