裏切り

『あいつの怪我、本当だと思う?』


 輪島わじまが言ったあの一言がずっと頭から離れない。

 

 しかし、仁科にしなが嘘をつく理由が分からない。

 彼は見たところ確かに大人しそうな生徒ではあるが、クラスの学級委員であるとも聞いていた。クラス内や部活でいじめられている様子もなく、友達がいないわけでもない。怪我をして何か同情されて欲しかったのか。


「——ねぇ、有村ありむら君。怪我をして特することってさ、なんだと思う?心配してもらえること?」

 

 今日も奈緒なおは有村と部室で二人きりだった。

 仁科の嘘が気になる奈緒は、その真意が何なのか有村にさりげなく聞いてみることにした。

 

「……唐突だね、桐本きりもとさん」

 そう言いながらも有村は少し考えてから答えた。

 

「うーん、心配してもらえるってのも確かにあると思うけど、やらないといけないことを免除してもらえるとかもあるかな」

「例えば?」

「体育の授業とか、なんかきつい練習とかさ」

「あぁ、なるほど」

 と、考えて奈緒は何となく有村に聞いた。

「……ん?ということは、有村君はもし怪我をしたら、”体育の授業休めるじゃん、ラッキー”って思うんだ?」

「バレたか……」

 有村は苦い顔をした。

 

「桐本さん、何かあったの?」

「……んー、ちょっとね」

「そう」

 

「そういえば、前から聞きたかったんだけど……、有村君なんで護身用にナイフ持ってるの?」

 有村が犯人ではないかと問い詰めたとき、彼の鞄からナイフがでてきた。それがますます彼を疑うことに繋がったのだが、そんな出来事ももう随分前のことだ。


「あぁ、あのナイフは母さんが心配して持ってたらって。日本も物騒だからって」

「え、そういう理由?」

「うん?そうだよ」


(ほんとに護身用だったんだ……)


「でも今は持ってない。日本では基本的には理由もなしに刃物は持ち歩いちゃいけないって、あの後ネットで調べたらでできた」

「そうなんだ……」


 彼の母親は海外で、しかも紛争地域にいる。そして攻撃を受けたり、十分な治療を受けられない人をたくさん見てきている。

 祖母と暮らしているとはいえ、遠く離れた息子を、たとえ平和な国であっても、何かあったらと心配する気持ちは分からなくはない。実際、この国でも物騒な事件は多い。


「有村君のお母さんってどんな人?」

「うーん。……たくましい人、かな」


 奈緒はレスリング選手や柔道の選手をつい想像した。


(いやいやいや、さすがにそれは失礼すぎ!!)


「父さんは大体いつも母さんに叱られてる」

「……なるほど」


 それもなんとなく想像がつく。たくましい体つきの女性がちょっと弱そうな男性の隣で腕組しているイメージが。


(……いや、やっぱり失礼だって、私!!)


「そういえば——」

「うん?」

 有村は思い出したかのように言った。

 

「この間さ、桐本さんが食べてたパン見て父さんのこと思い出したけど、なんで思い出したか分かった気がする……」

「え、なんだったの?」

「怒られなかったからだ」

「怒られなかった……?」

「あの時自分はバカなことしたのに、父さんは怒らなかったんだ。かわりにきついほど抱きしめて、“怪我がなくて良かった”って言ってた気がする……」


 きっと彼の父親は落ちた息子を自分の弟と重ねたのかもしれない。

 

「叱ってくれればよかったのに……」

 有村はポツリと言った。

 彼にはもう、そんな相手はいないのだ。

 

「――でも、よかったと思うよ」

「何で?」

 有村は怪訝そうに奈緒を見た。

「有村君のこと、あの時お父さんがちゃんと助けてくれなかったらさ、有村君今ここにいないかもじゃん。十七年も生きてないかもじゃん」

 そう言うと、有村はしまった、という顔をした。


「……あの、桐本さん、言いにくいんだけど——」

「何?」

「俺もうすぐ十九なんだよね……」

「え……。えっ!?」

「正直引かれると思って、言いにくくて。ってか誰にも言ってないし……」


(初めて見たとき、周りと比べて大人っぽいって感じたのはそういうこと!?)


「あ〜、もう!桐本さんといるとさ、つい自分のこと言っちゃうから怖いんだよ……」

 有村は顔を覆った。


「……秘密にしといてよ」

「どのこと?」

 有村のほとんどが“秘密”だ。この間、彼が泣いたことも。

 

「……全部」

「分かった。秘密にする」

「秘密ね」

「指切りげんまんでもする?」

「別にそこまでしなくてもいいよ」

 笑いながら有村は言った。


 彼の知らない側面を知る、自分だけがそれを知っている——。


(ちょっとだけ、今みたいな時間が続けばいいのに……)


 同級生でも、ただのクラスメイトでもない。友人と呼ぶにはもう少し近い存在になりたい。そんなふうに奈緒はどこかで感じ始めていた。

 

 ★

 翌日、有村は教室に入るなり、普段とは違う異様な空気を感じた。

 

(なんだか視線を感じる……)


 周りが自分を遠巻きに見ている——。そんな感じが。

 

「――なぁ」

 そんな中、最初に声をかけてきたのは輪島だった。

 

「これ、お前?」

 彼はそう言うと、スマホの動画を有村に突きつけた。


 一つ目はは焼却炉でゴミを捨てている生徒――。

 二つ目はその生徒が捨てたらしきゴミの中身。袋の中には白い仮面。


 そこに写っていたのは自分だった。

 いつかの奈緒に見られていた自分の姿だった。


「何、これ……」

 動画は彼のLUINEで送られてきたものらしかった。

 

(なんで……。どうして、それが今?)

 

「今朝、遠藤えんどうのダチのところに動画とメッセージがきた。白い仮面は、仁科が言ってたやつだと思う。自分を突き落とした奴がつけていたって……」

「……」

「……なぁ、遠藤を突き落としのはお前か?」

「違うっ!」

「じゃあなんで、犯人がつけてた仮面、お前が持ってたんだ?」

「それは――」


(言ったところで、信じてくれるんだろうか……)


 輪島含め有村に向けられた周囲の目には、疑いを超えて敵を見るようなものもある。


「仮面を持ってたのは本当か?」

 輪島がもう一度静かに聞いた。

「仮面は……、仮面は、知らない間に鞄の中に入ってた。焼却炉に捨てたのも本当……」


 とたんに周囲がざわついた。


「――有村君がきてからさ、転落事件が起きたんだよねー」

「自分のこと殆ど話さないし、なんか隠してると思ってた〜」

「それな」

「ってかさー、二歳上らしいよ」

「前の学校でやらかしたんじゃね?」

「ナイフ持ち歩いているんだって」

「うっそ、こわ〜」


 自分を非難する声が次々に耳に入ってくる。しかし、有村はある一言が気になった。

 

……)


 仮面のことやナイフを持っていたこと、それまでの事件は奈緒含め同好会のメンバーは既に知っている。けれど、歳のことは昨日部室で二人だけのときにしか話をしていない。


『分かった。秘密にする』

『秘密ね』


(まさか、桐本さん——)

 

 周りを見回したが、奈緒は教室にはいない。


(最初に自分をあれだけ疑っていたんだ。あのとき、証拠として動画を撮っていてもおかしくはない……)


「有村君さぁ、怪我をすれば誰でも良かったって思ってる?」

 今度は遠藤が言った。


(違う。ちがう、ちがうちがうちがう!)


『やっていない』


『信じてほしい』

 

 喉元まで出かかっているのに言えない。

 今、この教室に自分の味方はいない。

 何をどうしたって誰も信じてはくれない。—―そう、確信する。


「……!」

 鞄を持って教室を出た。

 もう、これ以上あの場所に居たくはなかった。

 後ろから輪島の声が聞こえた気がしたけど、何を言っているか聞こえなかった。聞こえないようにした。


 小走りで昇降口に向かっていると、廊下で人にぶつかった。

「す、すみませ――」


 顔を上げた先に見えた相手は奈緒だった。


「あれ?有村君、どうしたの?そんな慌てて」

 奈緒は何も知らないようにキョトンとした顔をした。有村はそれを見て何故か怒りがいてきた。


「あ、有村君、もしかして忘れも——」

「嘘つき……」

「え……?」


 呆然と立ち尽くす奈緒を無視して、有村はそのまま外へと走り去った。


 ☆

「……おはよー」


 ショックをなんとか堪えながら教室に入ると、奈緒はいつもと空気が違うことに気づいた。


(え、なんかあった……?)


「あっ、奈緒ー、もー遅いじゃん〜」

 気づいた友美ともみが声をかけてきた。

「ごめん、寝坊しちゃって……。えと、そういや有村君は——」

“有村”の名前を出したとたん、友美と由香里ゆかりの顔つきが変わった。


「奈緒、有村君に何かされた!?」

「へ?い、いや、別に。なんか今日、いないなぁ~って思って、ね」


(なんか、いきなり嘘つき呼ばわりされたけど……)


「奈緒、有村とは関わらないほうがいいかもよ」

「え、なんで……?」


 そこで丁度チャイムが鳴った。何があったか聞けずに、すぐにホームルームになってしまった。


(有村君に何があったの……?)

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