思い出

 段ボールの中からは小学校と中学校のアルバムが出てきた。けれど幼稚園のアルバムは見つからなかった。小規模の幼稚園だったから、きっとアルバムらしいものなんてなかったのかもしれない。

 有村ありむらはアルバムを見つけたことを早速グループLUINEで伝えた。

 

 今度の木曜日に蓬莱ほうらい含め全員が揃うということだったのでそのときに渡すことにした。


 ★

「有村君、何かあった……?」

「え……」

 部室で蓬莱たちを待っていると、不意に奈緒なおが言った。心配した顔でこちらを見ている。

 

「……何もないよ。この間アルバム探すの大変だったから、疲れが残ってるだけかも」

「……本当にほんと?」

「本当にほんと」

「そう……。じゃあ、いいや」

 そう言うと、奈緒はスマホに目を落とした。


(なんでだろう。他人には悟られないように過ごしていたはずなのに……)


「久しぶり〜!」

 バァンと扉を開けて蓬莱が入ってきた。

「蓬莱先輩!」

 奈緒が蓬莱に駆け寄った。蓬莱先輩は見た目こそ派手なところはあるが、話してみるとなかなか包容量がある人だと思う。奈緒はそんな蓬莱にすっかり懐いているように見える。


「あの、これ。幼稚園のはなかったんですけど……」

 二人のやりとりを見計らってから、アルバムが入った紙袋を蓬莱に渡した。

「おー、有村君ありがとうね!これがあれば多分大丈夫!――ってなんか痩せた?」

「はぁ、実は探すのに二日かかりまして……」

「あらら、それは大変だったね」


(女子ってなんでこう、鋭いんだろう……)


 日記のこと、父のことはショックだった。何かをしていないとすぐに思い出しそうだから、こうしてこの部屋にいるほうが気持ちが落ち着く。


「お久しぶりっす!」

「二世も久しぶり〜!」

 山辺やまのべとあずさも入ってきた。


「じゃあ、とりあえずそれぞれの報告をしちゃいましょうか」


 一週間ほどで得られた情報は5人合わせてもあまりなかった。

 犯人探しはまだ続きそうだ。


 ★

「あれ……?」

 翌日部室に行くと既に奈緒がいた。

前橋まえばしさんたちと一緒じゃないんだ」

「うん、友美ともみは塾で、由香里ゆかりは用事があるからって」

「そっか……」


 奈緒の周辺にはルーズリーフの束が置かれている。

「それ……」

 奈緒は有村の目線に気づいた。

「あぁ、これ?」

 そう言うと奈緒は有村に束を渡した。

「今一度、転落事件の被害者の関係者を周りに聞いたりして調べてみたの」

 遠藤えんどう木之下きのした仁科にしなそれぞれの交友関係や部活や委員会等での知り合いを片っ端から挙げていた。

「すごい……」


 それに比べ、自分は何もできていない。持ってきてと言われたアルバムを探しただけだ。しかもその先の仕事は人にお願いしている。


 自分が絡んでいるだけあって申し訳なく感じてしまう。


「ドラマで見る刑事の仕事ってこんな感じなのかな〜、なんて思っちゃったりして」

 へへっと笑いながら奈緒が言った。

「そうだね……」

 

「でもなんか頭使ったらお腹空いちゃったな〜」

 そう言うと奈緒はおもむろに鞄からパンを取り出して食べ始めた。

 そのパッケージを見て有村は思い出した。

「そのパン……」

「ん?これ?欲しい?」

「いやいや、違くて。……ただ、それ昔好きだったなって思って」

「へぇー」

 奈緒が食べているパンはミルク味のシンプルなスティックパンだった。

「戸棚にあったやつを勝手に食べて、詰まらせたことがあってさ、それで母さんが心配して結局冷蔵庫の上に置かれちゃって……」


「あー……、そんなとこ置かれたら取れないじゃんね、残念」

「いや~、それが—―」

「それが?」

「洗面台のところの台を持ってきて、さらにジャンプして取ろうとしたんだよね」

「……有村君、結構食い意地張ってるんだね」

 奈緒は少し呆れた顔で有村を見た。

「昔の話だよ……?」

 

「それで、どうなったの?」

「それで、案の定ジャンプしたときに踏み外しちゃって」

「えっ」

「たまたま父さんがそれを見て、僕を受け止めてくれたから大丈夫だったんだけど」

「よかったじゃん」

「……うん。それで……」


 話がそこで途切れたため、奈緒は気になった。

「……それで?」

 まだ、沈黙は続いている。

「有村君……?」

 

 有村は唇を強く閉じたまま何も言わない。そのかわり唾を強く飲む音が聞こえる。

 僅かに肩が上下に動いていた。

「大丈夫?」

「大丈夫……」

 その声は震えていた。急いで奈緒は鞄のポケットを探った。

「これ」

 差し出したのは薄いピンク色のハンカチだった。

「大丈夫、きれいなやつ」

「え……」

「泣きたい時に泣かないでいたら、きっといつか泣けなくなっちゃうから」

 ね、と言うとそのままハンカチを有村の手に握らせた。


 視界がぼやけていく。

 気づいたら声を上げて泣いていた。


 思えば父が死んでから泣くことなんて一度もなかった。

 祖母の介護があったり、今回のことがあったりして、まともに思い出すことをしてこなかったからかもしれない。


 怪我をすると自分以上に心配してくれることも

 作った料理を世界一美味しいと言ってくれることも

 日曜大工で一緒に棚を作ってくれることも

 コンディショナーを二つ買ってきたときに笑われることも

 暴言を思わず吐いたときにこっぴどく叱られることも

 

 そんなことをしてくれた人はもう居ない。

 一緒に過ごせる日々はもうない。

 戻ってはこない。


 自分はスペアかもしれない。けれど、父と過ごした日々は、自分に向けられたものは、代わりではなく本物であってほしい、そうであったと思いたい。


 自分の耳に目に記憶に、誰かと生きた証が残っているのを感じる。

 

「――ねぇ」

 涙が少し落ち着いたころ、有村は言った。

「うん?」

「俺が泣いたこと、誰にも言わないでくれる……?」

「……うん」

「秘密ね」

「秘密にする」

「……桐本さん」

「うん……?」

「ありがとう……」

「……うん」


 部室の小さな窓からわずかに西日が入ってきた。

 それがなんだか懐かしくて、あたたかくて、心地よい感じがした。

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